皇帝大本営
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──皇帝大本営
「陛下。メクレンブルク宰相が間もなく参内されます。シコルスキ元帥は2時間後に到着とのこと」
「何故、9時間も経っているのにまだ皇帝大本営が設置されてないんだ」
エドアルド侍従長の報告にハインリヒが唸る。
「何分、皇帝大本営が設置されるのは鉄血蜂起以来のこととなりますので。このようなことが起きるとは誰も」
「何のために訓練をしてきたんだ。こういうときのためではないのか!」
ハインリヒは苛立たし気に皇帝大本営が設置される予定の宮殿の地下司令部に向けて進む。宮殿内はシュヴァルツラント近衛擲弾兵師団の将兵が厳重に警護している。
「陛下。落ち着かれてください。あなたが取り乱されればメクレンブルク宰相たちの戦争指導に影響が出ます」
「分かっている。だが……」
エドアルド侍従長の言葉にハインリヒが首を横に振る。
「皇帝大本営の列席者だが、帝国宰相、枢密院議長、軍務大臣、陸海空軍大臣、そして陸海空軍司令官だな。国家憲兵隊と自治省の地方警察は?」
「それらの警察機関は有事の際には軍の指揮下に入ることになっておりますので軍務大臣、陸軍大臣、陸軍司令官の管轄となります」
「ああ。そうだった。私も忘れていた」
帝国の安全保障において帝国議会議員から選ばれる陸海空軍大臣は軍政を担当し、軍人である陸海空軍司令官は軍令を担当する。
軍政とは軍という組織の管理運営する行政を指し、予算の編成や人事などの業務を行っている。軍令は軍の部隊を実際に動かし、戦闘などの作戦行動を指示するものである。
しかし、近年の帝国ではシビリアンコントロールを重視するため、軍令も陸海空軍司令官に全て委任するものではなく、帝国宰相及び皇帝の承認が必要となっていた。
皇帝は帝国宰相の意見を基本的に承認する。帝国憲法で帝国軍の総司令官は皇帝であり、皇帝は大元帥の地位を有するが実質的な権限はない。形式上のものだ。
「エドアルド。アレステアを列席させたい。手回しをしてくれ」
「なりません、陛下。アレステア卿には何の権限もないのです」
ハインリヒが地下室の皇帝控室にある椅子に座って言うのにエドアルド侍従長が首を横に振った。
「彼はゲヘナ様の眷属だ」
「ええ。そうです。そして、今回の件にゲヘナ様や神聖契約教会は関係しておりません。彼が皇帝大本営に列席する権利はないのです」
エドアルド侍従長は首を縦に振らない。
「陛下。あなたは全ての帝国臣民にとっての皇帝であり、帝国統一の象徴であらせられます。あなたの行動と意見はそれだけの重大さを有します。あなたが身内を贔屓するようなことがあれば、皇帝としての信頼と権威が失われるのです」
「何度も聞かされてきた。分かっているつもりだ。だが、これは身内を贔屓するのではない。法で定められていなかったが、必要である人材を皇帝の権限で配置するだけだ。これまでの戦争に神々の眷属がいたか?」
「陛下……」
「頼む。私もたまには我がままを言ってもいいだろう?」
ハインリヒがそうエドアルド侍従長に頼み込む。
「分かりました。私から言っておきます。ですが、アレステア卿をこれ以上贔屓してはなりませんよ」
「ありがとう、エドアルド」
ついにエドアルド侍従長が折れ、ハインリヒが少し笑みを浮かべた。
その後、皇帝大本営のメンバーが地下司令部に集まり、皇帝大本営が開設。
「ここに皇帝大本営を設置いたします」
メクレンブルク宰相が宣言した。
「ご苦労、メクレンブルク宰相」
「はい、陛下。では、まずは現在の戦況を確認したいと思います」
ハインリヒが頷き、メクレンブルク宰相が会議を始める。
「まず陸軍から。シコルスキ元帥、説明を」
「はっ。陸軍の状況をお伝えします」
メクレンブルク宰相の言葉にシコルスキ元帥が発言を開始。
「まず魔獣猟兵の侵攻は一時的に停止しました。これは我が軍の遅滞戦闘が成功したというよりも、敵軍が攻勢限界点を迎えた結果と思われます。現在我が軍は戦略機動によって援軍を前線に向かわせています」
「撤退に成功した部隊はいないのか?」
「一部が撤退に成功し、防御陣地を構築していますが、被害は甚大です。重装備はほぼ喪失しました。火砲がありません。弾薬も僅か。これでは戦えないでしょう」
「なんてことだ」
シコルスキ元帥の説明に列席者たちが呻く。
「陸軍は魔獣猟兵を押し返せるか? 反撃の予定は?」
「今は不可能です。いえ、今後も不可能かもしれません。まず我が軍の有する部隊のうち完全充足されているカテゴリーIの師団は近衛師団を含めて13個師団。予備役の動員が必要なカテゴリーII、カテゴリーIIIの師団は47個師団です」
「予備役の動員か……」
帝国は徴兵制を既に廃止しており、志願兵と予備役のみで構成されている。
「ですが、魔獣猟兵側の戦力はこれまでの攻撃を見るに100個師団以上。予備役を動員しても反撃は困難です」
「100個師団以上だと!? どこにそんな兵員と装備を……」
「帝国国防情報総局の分析ではアイゼンラント領を中心に大規模な空間操作によってこれまで兵員と装備を隠匿していたものと思われます。また敵は人狼と吸血鬼などだけではなく、屍食鬼がいます」
「死霊術師が魔獣猟兵を手助けしているのか……」
帝国軍は前線からの報告で魔獣猟兵側に屍食鬼がいることを確認していた。
「同盟国からの援軍は得られないのか?」
「今や世界協定会議のほとんどの国が魔獣猟兵の攻撃を受けています。最大の同盟国であるアーケミア連合王国も国土を占領されました。他の中小国も魔獣猟兵の攻撃を受けることを恐れて軍に守りを固めさせています」
「では、どうやって100個師団以上の相手に対抗すればいいというのだ、シコルスキ元帥? このまま勝利できないというのか」
閣僚のひとりがシコルスキ元帥を問い詰める。
「帝国軍の将兵の数は帝国国民の人口と比較すれば僅かな比率です。それを18歳から60歳の男子に限っても。つまり、帝国には潜在的なマンパワーがまだ残っています」
シコルスキ元帥が重々しくそう語ったのに閣僚たちがメクレンブルク宰相を含めて狼狽える様子を見せた。
「それは徴集を実施すべきだと言うことか、シコルスキ元帥?」
「その判断は私には下せません。ただ、私が言えるのは現有戦力で勝利は見込めないということだけです」
メクレンブルク宰相が尋ね、シコルスキ元帥はそうとだけ返した。
「……今現在、帝国に一般市民を軍に動員する法は存在しない。既に徴兵制は廃止されている。これから法案を整備し、帝国議会を緊急招集し、可決を目指せばかなりの時間がかかるだろう」
「徴兵制を廃止するべきではなかった。帝国のためにも、帝国臣民が己の義務を認識し国家に奉仕する精神を得るためにも徴兵制は続けるべきだったのだ」
メクレンブルク宰相が呻き、トロイエンフェルト軍務大臣が忌々し気に語る。
「しかし、徴兵に対する地方の反発が暴動になったのだぞ。忘れたわけではあるまい。徴兵された地方の兵士が軍内部で差別的な扱いと暴行を受け、地方で大暴動が起きたことは。中央に軍に従わされることに地方はもう納得しない」
「その地方を守っているのは帝国軍ではないか。あれは嫌だ、これは嫌だと身勝手な地方を甘やかし続けたツケがこれだ。地方とて帝国の一部である以上、義務を果たすべきではないのか」
閣僚のひとりが指摘するのにトロイエンフェルト軍務大臣が反論する。
「地方の問題だけではない。総合的な評価の結果だ。徴兵によってキャリアをスタートさせる世代であり労働力として有力な成人男性に経済活動を行わせないことは経済にマイナスの影響を与えたし、徴兵制を維持するコストも高かった」
メクレンブルク宰相がトロイエンフェルト軍務大臣を宥めるように言う。
「そう、職業軍人による量より質を取った軍隊というものを目指した。しかし、質のある軍隊が行うべきことをしなかった。我々は魔獣猟兵が不振な動きを見せた段階でアイゼンラント領に侵攻すべきだったのだ」
「それは帝国の側から停戦協定を破棄し、帝国が戦争を起こしたことになる。そうなって世論の戦争に対する同意や国際社会の支援が受けれたと思うのか?」
「だが、今のような状況は防げたかもしれない」
「敵の戦力も分からずに戦争を仕掛けてかね?」
メクレンブルク宰相がそう言うとトロイエンフェルト軍務大臣は呻いたのちに意見を肯定も否定もせず黙り込んだ。
「一般市民の徴集についてだが、正規の手続きを経た場合は対応が致命的に遅れる可能性がある。まず保守党内部で異論が出るだろうし、野党との協議でも揉めることは間違いない。本土が戦場となっているのに悠々と議論はできない」
メクレンブルク宰相が慎重に語る。
「そこで皇帝陛下に緊急勅令を出していただきたい。それで帝国議会の承認なしに法案を成立させることができます。今の帝国に必要な法律が速やかに施行されるのです」
「メクレンブルク宰相! それは皇帝陛下に責任を押し付けるような行為だぞ!」
メクレンブルク宰相の提案に枢密院議長が叫ぶ。
「枢密院議長、私は構わない。メクレンブルク宰相が戦争指導の上で必要とするならば私も協力しよう。そのために私がいるのだから」
だが、ハインリヒがそう横から告げた。
「感謝します、陛下。もちろん議事録には私の要請で陛下が承認されたと言うことと記載させていただきます。またこの事態が収束したのちには私を含め内閣は然るべき責任を取る覚悟です」
「そうするがいいだろう」
メクレンブルク宰相はハインリヒに頭を下げる。
「速やかに徴集に関する法案を策定する。軍務省にて法案の作成を行うことを求める。軍務官僚は当然として現役の軍人の意見も反映させ、現場が必要とし納得する法にしてもらいたい。だが、何より迅速に頼む」
「分かりました。すぐに作成を命じましょう」
メクレンブルク宰相がトロイエンフェルト軍務大臣に命じた。
「さて、戦況の確認を続けよう。空軍の状況は、ボートカンプ元帥?」
次に説明を求められたのは空軍司令官であるヨーゼフ・フォン・ボートカンプ元帥だ。元戦闘飛行艇の艦長などキャリアを経て今の地位についた人物で60代後半ほど。恰幅のいい身体に藍色の帝国空軍の軍服を着ている。
「まず我々は前線における航空優勢を喪失しました。地方に配備されていた空中艦隊はほぼ壊滅し、後方に撤退した飛行艇を現在再編中です」
「魔獣猟兵が空中艦隊を持っているのか?」
「はい。確認されています。撤退に成功した飛行艇の乗員の報告では超弩級空中戦艦や空中巡航戦艦などの大型飛行艇を見たとのこと」
ボートカンプ元帥の報告に皇帝大本営のメンバーが呻いた。
「しかしながら、我が方の主力飛行艇は無傷です。喪失したのは空中巡航艦、空中駆逐艦などの補助艦が中心で主力は後方で敵の攻撃に備えていたため無事です」
「では、航空優勢の奪還は?」
「それはどのようなタイミングで、どの程度の間、航空優勢を確保するかによります。絶対的航空優勢というのは不可能。そして、飛行艇には作戦可能な時間が限られ、かつ損害はすぐには埋められません」
メクレンブルク宰相が尋ねるとボートカンプ元帥がそう説明する。
「航空優勢は敵空中艦隊との決戦により勝利することで得られます。しかし、敵が艦隊決戦にいつ応じるかは予想できません。こちらが陸軍を支援しているときに敵艦隊が突入してくる可能性もあります」
「ふうむ。下手に貴重な主力艦を投入するのはリスクを伴うわけだな」
「その通りです。故に空軍のみで作戦を立てるのではなく、陸軍とも連携すべきでしょう。我が方が反撃に出れば敵の陸空軍も動きますから」
ボートカンプ元帥は皇帝大本営のメンバーたちにそう事情を話した。
「空軍については分かった。では、最後に海軍の状況を頼む、リッカルディ元帥」
「はい」
次に海軍司令官のフランチェスコ・リッカルディ元帥が応じる。リッカルディ元帥は軍人としては痩せており、丸刈りにした頭で白いフレームの老眼鏡をかけている老齢の男性だ。帝国海軍の白い軍服を纏っている。
「まず海軍の被害は軽微です。哨戒航行だった海防艦1隻が砲撃を受け、艦体の僅かな損傷と3名の負傷者を出したのみ。今は陸軍の戦略機動のために船団を編成しています」
飛行艇という航空機以上の強力な航空戦力が存在する世界ミッドランにおいて海軍は特殊な形に変化していた。
まず海軍の役割だ。
海軍は海上輸送を最大の任務としている。依然として海上輸送は最大の輸送手段だ。飛行艇には重量制限があるのに対し、海軍の輸送艦は重量のある装備や大量の兵員、そして資源などを安定して輸送可能なのだ。
そして、海軍はその海上輸送を達成するための戦闘艦を保有している。
潜水艦を探知、撃沈する駆逐艦を多数。飛行艇からの攻撃を退ける防空艦を多数。
防空艦は大量の高射砲を搭載した中型艦と大型艦だ。海上を移動する高射砲陣地のように運用されている。
「魔獣猟兵の海軍は?」
「今のところ確認されていません。ですが、潜水艦には厳重に警戒しています」
「そうか」
空中艦隊を保有する魔獣猟兵が海軍を全く有さないというのも考えにくい。
「戦況が把握できたところで、話し合うべき重要なことがある。この戦争の終着点だ」
メクレンブルク宰相がそう皇帝大本営のメンバーを見渡して告げる。
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