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8 気難しい歴史学者

 バーナード・フィッチャーは老齢の歴史学者で、たいへん気難しい男だった。


 自分では動かないが決まった時間にお茶を飲みたかったしお茶の淹れ方にもこだわりがあった。書斎や居間に限らず家中どこでも自分のルールに従って置いた物の場所がわずかでもずれていると不機嫌になる。

 その上、研究に行き詰まると小さな事で不機嫌になる頻度が高くなった。そんな老人の助手を長く務められる者はおらず、自業自得ながら助手も使用人も続かなくて困っていた。


 そんな時に職業仲介所に出していた募集を見て面接を受けに来たのがビクトリア・セラーズである。彼女は四ヶ国語が堪能で掃除や料理などの家事もこなせるという。そんな都合のいい人間がいるものかと思ったが自己申告は本当だった。


「バーナード様、昨日お預かりした文献の翻訳を仕上げてまいりました」

「たったひと晩でか?」

「はい。間違いがないかどうかチェックをお願いいたします。その間に掃除を済ませますので」


 ビクトリアはそう言うと書類をズイとバーナードに差し出して机の上を片付け始めた。その片付け方が実に『わかって』いる。乱雑に重ねた書類は決して順序を崩さず、三つの山にして積み上げておいた文献は内容ごとにクリップでまとめて読みやすいように見出しをつけてひとつに重ねてくれている。


 気管が弱いのにほこりだらけにしていたバーナードは、姪に「緩慢な自殺行為」と言われていたが、彼女が来てからは家中が整然と片付きほこりは無くなっていた。


(こんな有能な助手はもう手放せない)とバーナードは数日で思った。


 最初は血のつながらない子を連れての出勤と聞いたのでとんでもないと思ったが、これがまたわきまえた子供で台所の隅で飽きもせず静かに読書をしている。読み書きはビクトリアが教えているらしい。

 子供は嫌いだと思っていたバーナードだったが、(躾の行き届いた子供は嫌いではない)と思うようになっていた。


 ある日、ビクトリアと一緒に掃除を手伝っているノンナに勇気を出して「君は食べ物では何が好きかね」と思いついて尋ねた。そんな質問しか思いつかなかった。子供に話しかけるなどバーナードにしては大冒険である。すると少女は少し考えてから「ビッキーが作る子羊のロースト」と答える。


 偶然にも子羊のローストはバーナードの大好物だったので、思わずビクトリアに「今夜予定がなければうちで子羊のローストを作ってくれないか。君たちも一緒に食べるといい」と柄にもない申し出をした。

 ビクトリアは「まあ、嬉しいです。喜んで作りますわ」と笑顔で返事をしてさっさと買い物に行き、材料を買ってきた。


 食材費の他に時間延長の料金も払おうとすると

「ノンナに私以外の人との食事の経験をさせていただくのでそれは受け取れません」

と断られた。何度言っても上乗せ分を受け取らない。

「君はなかなか頑固だな」

「よく言われます」

 そんな人間らしい会話も久しぶりで楽しかった。


 ビクトリアは手際よく子羊の香草焼きの人参添えとグリーンピースのポタージュ、クリーミーなマッシュポテトを作って並べた。途中でノンナが食べたがったカリカリのバタートーストが追加された。


 自宅でこんな料理を食べるのは妻が亡くなって以来初めてである。つまり八年ぶりだ。

 前の料理人はこんな手間のかかるものは作らなかった。料理人が辞めてからは昼と夜を近所で外食して毎度似たようなメニューを選び、味気なく済ませていた。


 ビクトリアもノンナもよく食べて楽しく会話をしてくれた。ビクトリアはランダル王国から来たということだったが、この国のことも知識が豊富だった。バーナードが歴史の話をしても興味津々という顔で聞いてくれた。二人が後片付けをして帰ったあと、急に家の中が静まり返ったように感じた。人の気配など煩わしいとずっと思っていたバーナードは自分の変化に戸惑った。


「私の相手などしたくないだろうと思っていたが。意地を張るのをやめて話しかけてみて良かったよ。こんな楽しい食事ができるとは。料理も美味かった」

 バーナードは静かになった部屋で妻の肖像画に向かって話しかけた。


 こんなこともあってビクトリアとノンナは時々老歴史学者と夕食を共にする仲になった。


 驚いたのは週に一度ずつ訪問していた姪のエバである。玄関のドアを開けたら前回訪問したのとは別の家かと思うほど整頓され磨き上げられていた。

 伯父の書斎は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が隠れていそうな部屋だったのに清潔で整然とした学者の書斎に生まれ変わっていた。


「伯父様!一体どうなさったの?新しいハウスメイドが見つかったの?」


 エバはバーナード氏の妹の娘で元気いっぱいの女性だ。世話好きな三十代で、赤みの強い茶髪の持ち主である。


「エバ。相変わらずけたたましいな。仲介所に助手の募集を出したら優秀な人が来てくれたんだよ」

「助手?ハウスメイドじゃなくて?」

「四ヶ国語に堪能で掃除も料理も得意な助手だ」


 エバは嫌な予感がした。


「伯父様、その方にいくらお給料を支払ってるんです?まさかと思いますけど、助手に払う分だけってことはありませんわよね?」


 バーナードは世間知らずだったし気が利く男でもなかったので、エバの言う通り助手に払う給料しか支払っていなかった。

 なので(もしや非常識だったか?)と慌てた。妻にも「世間知らずの非常識な学者さんね」と注意されることがよくあったのだ。


 白髪の方が多い茶色の髪を撫でつけながらバーナードは黙っている。


「伯父様、どう考えてもその優秀な助手は三人分は働いてますわよ。そんな安い賃金で働かせていたらすぐに他の人に引き抜かれてしまいます」

「それはだめだ。それは困る。彼女がいなくては本当に困る」

「彼女?女性ですか。とにかく私に会わせてくださいな。お礼とお詫びをしなくては」


 そういう経緯があって、翌日の朝ビクトリアがノンナを連れて出勤すると、エバが出迎えてくれた。そして「世間知らずの伯父がとんでもなく安い賃金で働かせてしまって申し訳ない」と頭を下げて賃金を三倍にすると言う。


「三倍ですか?いえ、それはさすがに多すぎるのではありませんか?」

「いいえ。あなたが来る前は助手のほかにハウスメイド二人を雇っていたのです。それでもここまで綺麗にはなってませんでした。しかも彼らは全員三ヶ月と続かなかったんです。なのにあなたは伯父の話し相手まで。四倍でもいいくらいよ。どうせ伯父は他にお金の使い道が無いんだし。遠慮はいらないわ」


 身振り手振りも大きなエバはそうしゃべりながらテーブルに置いてあった花瓶を手で倒しそうになった。

 しかし向かいに座っていたビクトリアが表情ひとつ変えずに素早く腕を伸ばして花瓶を支えて倒さずに済んだ。その間ビクトリアは花瓶を見ることもせず視線はエバに向けてたままだった。


 エバは(なんて有能な。こんな人ならうちでも雇いたい)と思ったが伯父が手放さないだろうと思った。


 そんなエバとビクトリアの顔合わせから数日後にバーナードの六十五歳の誕生会が本人の家で開かれると知らされた。


「身内が集まるの。とは言っても来るのは私と夫のマイケル、従兄弟二人の合計四人よ。別料金をお支払いするからあなたに準備をお願いできるかしら。大袈裟にしなくていいから」

「ええ。私でよろしければ」


 ビクトリアはそう言って笑顔で引き受けてくれた。ビクトリアが全て済ませてくれるなら伯爵の妻として多方面に忙しいエバは大助かりだった。

 

 意外なところで縁は繋がっているもので、誕生会に参加するエバの従兄弟の一人がジェフリー・アッシャー第二騎士団長であったが、ビクトリアは当日までそれを知らなかった。




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