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7 アッシャー伯爵邸

 ジェフリー・アッシャーは楽しかった時間の余韻に浸りながら酒を飲んでいた。広い居間はスッキリした内装で置いてある家具はどれも名工の手による古い物だ。


 ここは兄が当主を務めるアッシャー伯爵家の王都の屋敷。

 普段のジェフリーは騎士団の宿舎住まいなのだが病気がちな母の容体が心配なのと母親が寂しがるのとで週に一度くらいは屋敷に顔を出すようにしている。


「戻ったのか」

「ええ。兄上はまだ仕事の途中でしょう?」


 兄のエドワードも銀髪で、亡き父の銀髪を兄弟揃って受け継いだ。兄は四十歳。八歳年下の自分をやたら心配して面倒を見ようとするのが困りものだ。三十二歳はもはや兄に心配されるような年齢ではないと何度言っても理解しない。


「お前が珍しく洒落た服装で出かけたと聞いたからね。女性と出かけたんだろう?」

「そんなことを言うためにわざわざ顔を出したんですか?」

「そう邪険にするな。私は喜んでいるんだよ。お前が女性と出かけるなんていつ以来のことか」


 ジェフリーはもう何十回言ったかわからないセリフをまた口にしなければならないことにため息をつく。


「兄上、いつまでも私を可哀想な被害者みたいに扱うのはやめてくれませんか」

「わかったわかった。その話はもうしないよ」


 エドワードは両手を上げて降参のポーズをとった。


「で?楽しかったのか」

「ええ、楽しかったですよ。この国に来たばかりの外国人の女性と彼女が保護した六歳の少女の三人で楽しく食事をしてきました」

「……」

「兄上には跡継ぎがいるんですからそちらを心配していればいいのですよ。私の心配はしなくても大丈夫です。では、明日は朝早いので私は寝ます」


 そこまで言ってさっさと自室に向かった。


 ビクトリア・セラーズは平民の女性だが言葉遣いは知的で物腰が上品だった。そしてかなりの度胸がある女性だった。


 この王都では自分を騎士団の団長と知っている女性も知らない女性も自分を見るとベタベタと絡みつくような視線を送ってくる。少年の頃からそんな状況だったから笑顔で拒絶する技ばかりが上手くなった。


 だからビクトリアが自分を頼ろうとしないことも、粘つく視線を向けないことも、入国したばかりの国で保護した捨て子を一人で面倒を見ようとしていることも、全てが新鮮で好ましく見えた。そんな自立心旺盛な彼女が自分に身元の保証を頼んできたのは困った挙句のこととは言え、本人はさぞかし不本意なことだったろう。


 それにしてもひったくりに足をかけて転ばすなんて。


 あの若い男が起き上がって襲いかかってきたらどうするつもりだったのか。男と格闘するには細すぎる身体で、しかも眠った子供を背負っていたというのに。


 無謀過ぎる。


 だが、ノンナを背負ったまま走ってくる男を迎えた彼女には隙が無いような気がして(あ、あの女性は武闘派だ)と思った自分は見誤ったんだと思う。

 一緒に食事をしてみれば、細い身体で気持ちの良い食べっぷりを見せてくれた。食の細さ、か弱さを印象づけようとする令嬢たちよりずっと魅力的だった。


 彼女は遅い時間に貸し部屋を下見に行くつもりだったらしい。ノンナがそのことをうっかり漏らした時に(しまった)と思ったようだ。彼女は感情を全く顔に出さなかったが、長年街の人々の中で働いている自分はわずかな目の動きで彼女が慌てているのがわかった。


 興味深い。


 あそこまで人を頼りにしない女性は見ていて爽快だったが心配になる。彼女がこの国に馴染んで無事に生活の基盤を築くまでは頼りにしてくれたらいくらでも手を差し伸べたい……とは思うが。


 まあ、ありがた迷惑だろう。


 そう苦笑して余計な手助けはやめておこうと思った。彼女がそれを望んでいないことがひしひしと伝わってきた。泊まっているホテルから想像するに金銭に不自由はしてなさそうだし、身元保証人としては頼られたら助ける、くらいが丁度いいのだろう。ジェフリーはビクトリアの事は今夜を最後に自分からは関わらないことにした。



 翌朝。

 王城の敷地内にある騎士団の建物に足を踏み入れると、皆がキラキラした目で自分を見る。(なんだ?)と思いながら自室に入ると秘書の四十代の女官が兄と同じような笑顔で自分を見る。


「なんだい?」

「いえ、なんでもございません」


 そう言いつつも生温かい目を向けてくる。その意味がわかったのは昼食時に騎士団の食堂に入ってからだった。


「団長!見ましたよ!昨夜はお楽しみでしたね!」

 第二騎士団の若手ボブ・ノールズである。(こいつが発信源か)と事情を察して手招きでボブを呼び寄せると

「ボブ、憶測で噂をばら撒くなんてずいぶん余裕があるようだな。十三時になったら鍛錬場に来い。久しぶりにみっちり訓練してやろう」

「えええ」


 情けない声に笑いそうになるがいかめしい顔を崩さないようにした。


 そこから三週間が過ぎたある日。

 ジェフリーは規則に従い、捨て子を引き取ったビクトリアの身元保証人として彼女が宿泊していたホテルに向かった。


「ビクトリア嬢はまだこちらに泊まっていますか?」と尋ねると、受け付けの人間から一通の手紙を渡された。


 上質な封筒には美しい文字で自分の名前が記されていた。急いで開封した。


『ジェフリー・アッシャー第二騎士団長様


 ご無沙汰しております。

 ノンナを引き取る際に私の身元引受人になってくださりありがとうございました。ご招待いただいた夕食も素晴らしく美味しいものでした。

 入国直後の心細い時でしたので大変心強く励まされました。感謝しております。


 ノンナも私も元気に過ごしております。仕事が無事見つかり、安心できる部屋も借りることができました。ご連絡も差し上げずに移動した失礼をお許しください。


 この国では孤児を引き取った者は身元保証人に毎月現況報告するのが義務と聞いております。また一ヶ月後には報告のお手紙を差し上げます。次回は騎士団に報告書をお送りいたします。

  現況報告まで。

                     

                        ビクトリア・セラーズ  』


 あまりに事務的な内容に笑いがこみ上げる。だが、元気ならそれでいい。彼女は一度も心細そうな顔などしなかったが、そこは大人の社交辞令なのだろう。縁があればどこかで会うだろうし顔を合わさなくても一ヶ月後には報告書が届くのだ。


 書かれていた新しい住所は貴族が住む東区だった。実家からもそれほど遠くはない。貴族の家の住み込みの仕事でも見つけたのか。


「二人の様子を確認しなくては」

と思いつつなかなか行けないままだ。

『孤児を引き取った者は身元保証人に毎月の報告書を、身元を保証した者はそれを元に住居を確認し、子どもの状況と報告書に違いがないかを確認すること』

という期限が迫っていた。

 

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