6 三人の夕食と部屋の下見
連れて行ってもらったレストラン『アイビー』は名前の通り外壁をアイビーに覆われた店だった。アッシャー氏はここでも顔を知られていた。騎士団長は王都の民に敬愛されているらしい。
ただ、私とノンナを連れているのを見た案内の男性もホール係の女性も一瞬「え?」という顔をしたのが気になる。
「ここ、顔馴染みのお店なんでしょう?私たちを連れて来て問題なかったのですか?」
「俺?俺の方は問題ないよ。気楽な独り身だ。誰にも遠慮は必要ない」
「それなら安心しました。団長さんを狙ってる人に恨まれたくありませんもの」
「そんな人はいないさ」
いや、いる。絶対にたくさんいる。
アッシャー氏の口調がざっくばらんになってるけど、これが素なのだろうか。アッシャー氏は黒のドレスシャツを微妙に着崩していて大人の色気が漂っていた。
フロア係のチーフらしい男性が注文を聞きに来た。私とノンナの分はアッシャー氏にお任せした。やがて前菜と一緒に白ワインと果実水が運ばれて三人で乾杯した。ノンナが美味しそうに果実水を飲んでいるのが可愛い。
前菜は手長海老の身を金串に刺して炙ってオリーブオイルを塗ったものと、薄く切ってハーブ入りバターを塗った小さなカナッペ。上に上等なハムと刻んだ香草が載っている。
手長海老が甘くて美味しい。ノンナも気に入ったようでパクパク食べている。
ノンナを眺めている私をアッシャー氏が見ているのに気づいた。
「私、何か不作法なことをしましたか?」
「いいや。君は子供が好きなんだなと思っただけだ」
「子供が好きというよりこの子が好きなんです」
アッシャー氏は姿勢が良く食べ方も上品だ。きっと育ちが良いのだろう。
「俺の仕事終わりに時間を合わせてもらったからノンナが眠くならないといいが」
「お昼寝した。お部屋を見に行くの」
しまった、口止めを忘れてた。案の定アッシャー氏が眉を寄せた。
「お部屋って貸し部屋か?食事の後で?夜に子連れじゃ危ないだろう」
「そうなんですが、夜はどんな感じか確かめてから契約しないとハズレを引く場合がありますから」
「それなら俺も同行しよう。夜に女子供だけで歩いては危ない」
うん、そうなりますよね。王都警備担当の第二騎士団団長ですものね。でも、それだと契約候補の部屋の上下左右の部屋のドアや壁に耳をつけて中の様子を探るのはできなくなりますね。
「迷惑か?でも我慢してくれ。身元保証人としては君たちの安全を守ることは譲れないよ」
「迷惑だなんて。心強いです」
笑顔で愛想良く返事をした。
食事は順調に進む。骨つきの肉の食べ方がわからないらしいノンナのために肉を切り分けたり、ソースがついた口の周りを拭いてやったりして、私はほのぼのしていた。
「これ、なんの肉?」
「仔羊の香草焼きよ」
「ふうん」
ノンナは仔羊の肉が気に入ったようだ。今度引っ越したら家でも作ってあげよう。
おなかいっぱい食べてから店を出てのんびり歩いたら、一軒目の貸し部屋の候補に向かっている途中で鐘の音が九回鳴った。
目的の建物の前に到着したらアッシャー氏が環境を確かめるように周囲を見回している。
「どの部屋?」
「二階の角部屋です」
窓が暗い一室を指差す。
こんなに簡単に住まいを他人に教えることに迷いを覚えるけど、普通の平民の女性はどこまで用心するものなのか若干自信がない。工作員ならあり得ないことだけど、アッシャー氏が部屋に押し入って私たちを殺すことはないだろう。
アッシャー氏の行動をいちいち疑ってかかるのは愚かなことだ。彼は工作員でも暗殺者でもないし、全人口に占めるその手の人間の割合を考えたら私が彼らと出会うことは奇跡みたいなものだ。
そういえば組織の精神科医が『クロエが十九年間自滅せずにいられたのはその図太さだ』と笑って言ってたっけ。
候補の物件を二つとも下見した。
ドアの前に立って上品に耳を澄まして近所の様子を調べた結果、一軒目のお隣さんは奥さんがヒステリックに誰かを怒鳴り散らしていてノンナが怯えた。却下。
二軒目は階段にゴミがいくつも落ちていて管理が行き届いてない。これも却下。
「今夜はありがとうございました。夕食も美味しかったです。ごちそうさまでした」
「貸し部屋はどっちもお勧めできないな」
「ええ、私もそう思いました。また他の業者を探します」
少し疲れた顔をしているノンナをアッシャー氏が抱き上げて歩き出した。ホテルまで送ってくれるつもりらしい。
「団長さん、ここからは私が背負って帰ります。お食事をご馳走になった上に貸し部屋めぐりまでお付き合いいただきましたから。これ以上ご迷惑はかけられません。本日はありがとうございました」
そうはっきり伝えたがアッシャー氏は束の間私を『困った人だ』というような表情で見下ろしたあと、聞こえなかったように歩き出した。
(ええ?)と思っていると団長さんは前を向いたまま口を開いた。
「あなたはランダル王国からこの国に来たばかりだ。ランダルではどうだったかわからないが、この国では夜間に女性が子供を背負って歩いても安全とは言えない。送らせてほしい」
なるほど。
「ではお言葉に甘えます。感謝しております」
「堅苦しいなぁ」
「そうですか?」
「うん。それにしてもあなたはアシュベリー語が上手だね」
「語学の勉強は趣味でしたので」
「立ち入ったことを聞くようだけど、ランダルではどんな仕事を?」
私は無邪気そうな笑顔を作る。
「いろいろです。またいつかお会いする日がありましたら思い出話でも」
「では次に会う日を楽しみにしているよ」
「ええ、わかりました」
ホテルに着き、また今回も部屋までノンナを運んでもらい、今回はドアのところでノンナを受け取って挨拶をした。
「とても楽しい夜でした、団長さん」
「俺もだ。おやすみ」
「おやすみなさい」
アッシャー氏はヒラヒラと後ろ姿で手を振って帰って行った。私はノンナをベッドに寝かせ、着替えをさせて布団をかけた。
そのまま床に顔を近づけて足跡をチェックする。部屋を出る前、習慣でベビーパウダーを極々薄く撒き散らしておいた。
足跡なし。引き出しも開けられた形跡なし。そりゃ普通はないか。
私は急いで一階に降り、お湯を浴びて身体を洗った。
明日は仕事を先に探そう。仕事場を決めてから職場に近い部屋をゆっくり探せばいい。
部屋に駆け足で戻るとノンナはよく寝ていた。
「二人で楽しく暮らそうね」
小さな声で話しかけたら眠っているノンナが少しだけ口角を上げた。いい夢を見てほしい。楽しい子供時代をこの子に過ごさせてやりたい。たった二日間ですっかりノンナに情が移ってしまった。
「仕事を見つけないと」
当分働かなくてもお金の余裕はあるが、働こう。自宅でできる翻訳の仕事があれば一番いいのだが。
とりあえず真面目に働いている真っ当な人間だという事実があれば世間に信用される。
私はノンナの隣に潜り込み、目を閉じた。