4 振り返った少女
ドアに鍵をかけ、用心のためにドアノブの下側に椅子の背もたれをしっかり差し込んでから身体を拭いた。
さっぱりとした体で夜着を着てノンナの隣に潜り込んだ。
お腹が空いていたがこの子を置いて出かける気になれない。ルームサービスは大げさだ。空腹を我慢して眠ろう。
「おやすみノンナ」
翌朝、空腹で目が覚めた。ノンナは先に起きていて私の顔を眺めていた。
「おはようお姉さん」
「おはようノンナ。朝ごはんを食べる前に一緒にお湯を使おうか」
「うん」
二人で一階の浴室に入り、備え付けの石鹸でノンナを洗った。全身をチェックしたけれど虐待の痕跡はなかった。それだけでもホッとする。
タオルで丁寧にノンナを拭き上げて昨日帰り道で買った服を身に着けさせた。
(この子、何も聞かないんだな)と思っていたら、ホテルの朝食を食べながらノンナがポツリとつぶやいた。
「お母さんは?」
「来られなかったみたいよ。お母さんはどんなお仕事をしてたの?」
「わからない」
「一人の時はどうしてたの?」
「静かにしてた」
「そっか」
無表情な子だなとは思っていたが、表情を動かさずに育ったのかも。おそらく母親はもう家に帰ってこないだろうし、帰ってきたとしても一度我が子を捨てた人がまともに面倒を見るとも思えない。孤児院なら少なくとも飢えることはないだろう。
「お母さんがいる時はどうしてたの?」
「静かにしてた」
「お母さんが静かにしなさいってよく言ってたの?」
「うん」
(このくらいの不幸な子なら、たくさんいる。これ以上深入りするな。可哀想だけど子供なんて私には無理だから)
そう自分に言い聞かせた。
ホテルの朝食はパン、牛乳、半分にカットされたオレンジ、ジャム、バター、刻んだ野菜の味の薄いスープ、目玉焼き、ソーセージ。
ノンナは黙々と食べていた。私も無言で食べた。
ノンナは私と手をつないで無言のまま詰め所まで歩いていた。
途中にあった小物屋でノンナの青灰色の目に似た色のリボンを買って頭に結んでやった。罪悪感を物でごまかしているみたいだけど、ノンナの顔が少しだけ嬉しそうに緩んだから良しとする。
「お姉さん、ありがとう」
ノンナは詰め所の前で唐突にお礼を言った。
孤児院でも頑張れと言うべきかと迷ったがやめた。この子は今までずっと頑張って来たに違いないからだ。
だから何も言わずにノンナの頭を撫でた。
手をつないで詰め所に入ると、五十歳くらいの女性が待っていた。
「ああ、やっと来たわね。私は南区孤児院の院長です。昨晩はこの子がお世話になったそうで、ありがとうございました」
その女性はノンナの手を引いて「さ、行きますよ」と歩き出した。引っ張られたノンナが少しよろめいた。ノンナが何歩か歩いてから私を振り返った。その目が……目が。
初めてノンナが感情を見せた。
「待って!待ってください」
「はい?なんでしょう?」
「私がその子を引き取る事はできますか?」
院長という女性はこの手のことは初めてではないのだろう。スラスラと言葉を口にする。
「引き取る?あなたはこの国に来たばかりでホテル暮らしだと聞いてます。身元保証人もいないでしょう?申し訳ありませんがあなたに子供を預けるわけにはいかないんです。子供を引き取るふりをして売り飛ばす人もいますからね。ああ、もちろんあなたは違うでしょうけれど。規則ですのでご理解下さい」
この女性の言うことは全部正しい。
だけど、ここでこの子を手放したら私はきっと何年も何十年も後悔する気がするし、あの目を忘れられないだろうと思った。
「います!身元保証人ならいます!」
アッシャー氏は警備隊員に連絡してもらってからわりと早く詰め所に来てくれた。
「私がビクトリア・セラーズさんの身元保証人になりますよ」
「あら、本当でしたか。団長様が保証人でしたら安心ですわ。ではセラーズさん、引き取り手続きの書類にサインをお願いできますか」
私は差し出された書類にビクトリア・セラーズとサインをしてノンナを引き取った。
ノンナは広場の池の周りをグルグル回って時々池の水に手を入れている。それを眺めながらベンチで私とアッシャー氏が会話している。
「お仕事中お呼び立てして申し訳ありませんでした」
「いえいえ。今日は比較的暇ですし、この子も大切なアシュベリーの国民ですからね。でも、どうして引き取ることにしたんです?昨日初めて会った子でしょう?」
ノンナがこっちを向いて私たちを見た。私は笑って手を振った。ノンナが無表情なまま手を小さく振り返した。
「あの子が目で『助けて』って言ったような気がしたんです。私の気のせいかもしれません。でも、ずっと昔、同じ目をした女の子がいて、その子と同じだなって思ったらあなたの名前を出してました。急なことなのに本当にありがとうございました。あなたが私の身元保証人を引き受けてくれて助かりました」
少し間があってアッシャー氏が話を続ける。
「実は昨夜部屋を失礼してから反省したんです」
「何をですか?」
「あなたはおそらくあの子を置いて食事に出るようなことはしなかっただろうと気づきまして。初めて訪れた我が国で最初の夜なのに腹を空かせたまま寝ることになったんじゃないかと思いました。なんとなくですが、ルームサービスを取ることもしないで寝たんじゃないかと。せめて美味しいものを差し入れすべきだったなと反省しました」
思わず隣の大男を見上げた。
見てたのかと思うほど当たっていた。人の心を読める人のようだ。さすがは王都の治安を守る第二騎士団長。
「団長さんが反省する必要はありません。私が外出すべきではないと思ったのですし、ルームサービスも頼む気になれなかったのですから。でも、全部当たりです」
私は愛想良く見える顔を作って笑いかけた。
「俺の罪悪感を消すためと思って今夜、夕食をご馳走させてもらえませんか。引ったくり犯逮捕の協力と我が国の捨て子を保護してくれたことへの感謝のつもりです」
私は大男の誠実さに思わずクスリと笑ってしまった。
「ノンナも一緒で良ければ」