42 第三騎士団
アシュベリーの王城。北の塔。
「君、ちょっとこちらへ」
『管理部長』と呼ばれる人物が侯爵家の素行に関する資料を部下に手渡した。
「これはもう終わりにしていいよ。息子の素行もかなり酷かったね」
「はい。夜会での事件をきっかけに調査を入れましたが、侯爵親子の素行を知ることができたのは幸いでした」
管理部長が渋い顔をした。
「侯爵は自分の行いが平民の怒りと貴族への反感しか生まないってこと、なぜわからないかね。あれだけ仕事ができる人物だったのに」
「息子の方もかなり問題有りでしたね。闇賭博に通っていただけでなく裏の人間に借金をしているとは。それもとんでもない金額でしたし。息子が親の役職を継いでいたらいいように利用されたかと」
ガラスペンを指先で回しながら聞く部長。
「おそらくその為の賭博だよ。最初だけイカサマで大勝ちさせたんだろう。息子も仕事はできたのにね。なんで親子揃ってああかねぇ」
貴族が平民の反感を買うのは愚の骨頂だ。民の怒りが積み重なった末に消えた王家が歴史上どれだけあると思ってるのか。
「それで、例の赤毛の女性はまだ見つからないの?」
「はい。男の方はどう調べても私怨で襲っただけでしたので、脱獄させた意図が不明で。なので捜索の範囲を絞れず、見つけにくいのです」
「そう」
「もしかすると侯爵に恨みを持つ人物が助けたのかもしれません。それと、妹の方も行方が掴めません。精神的に相当参っていたという近所の証言がありますから、最悪の場合もう生きていないかもしれません。兄と一緒の可能性もあるにはありますが手がかりがまだ」
部長が机上の指を止めた。
「そう。わかったよ。あの男も情状酌量の余地はあったんだよね。ただ、犯行に及んだ場所が悪すぎた」
「はい」
管理部長が束ねている部署は、王城内でも陽当たりの悪い北側の塔に場所を割り振られている。そこは外務部、内務部、財務部などの華やかな部署とは距離があった。
北棟には三つの部署が配置されている。
『修繕部』が二階、『資料管理部』が三階、『諸制度維持管理部』が四階を使っていた。
だが実際は三つの部署はひとつであり、その存在を噂でのみ知る者たちからは通称で『第三騎士団』と呼ばれていた。正式名称ではない。
第三騎士団の正体は極秘にされており、正体を知っている者は片手で足りる。大臣たちさえ詳しいことは知らされていない。そういう組織がある、と知っている程度だ。
第三騎士団の長は宰相だが、実際に動かしているのは『諸制度維持管理部』の部長だ。
他の部の長が大臣と呼ばれるのに『諸制度維持管理部』の長は『管理部長』とか『部長』と呼ばれていて、世間的には冷遇されている部署の長と思われている。
現在の管理部長はその頭脳の明晰さ、高い倫理観、鋭い洞察力、誰とも揉め事を起こさない人柄などからこの役職に選ばれた生粋の文官畑出身だ。
人付き合いの巧みさから『社交界の噂で知りたいことがあれば部長に聞くのが一番手っ取り早い』と第一王子が言う。多分揶揄ではなく本気で言っている。
そして彼の洞察は宰相に『気味が悪い』と言わせるほどよく当たっていた。
本人は「面倒な雑務をぜーんぶ押し付けられるつらい部署」と言っているが、愚痴を言う割に生き生きと仕事をしていた。
その男が今、周囲から人がいなくなると鍵のついた引き出しの中から「保留」と書かれた封筒を取り出し、中から三つの書類を取り出した。
ひとつは陛下の命で調べさせたビクトリア・セラーズの調査報告書、もうひとつは夜会事件の謎の女性についての報告書、もうひとつは脱獄事件の報告書である。
「全部若い女性なんだよねぇ……それも彼女が入国してからのことだ」
男は白髪の混じっている艶やかな銀髪をかき上げてため息をつく。
ランダル王国からの報告書を信じれば、ビクトリア・セラーズは白だ。だがビクトリア・セラーズについての報告書は自分が個人的に知っている情報と食い違う部分がある。
調査報告書で『生死不明』とされているビクトリア・セラーズの両親は「火事で死んだ」と聞いている。「火事」という事件があり、死亡が確認されているなら手違いがあったとしても「生死不明」にはなりにくい。
馬に関しては「軍人の兄に習った」と言ったらしいが「本物の」ビクトリア・セラーズに兄はいない。
「油断したね、ビクトリア」
困ったような顔で部長が書類を眺める。
そしてもうひとつ。自分の勘が『脱獄を手伝った赤毛の女はビクトリア・セラーズではないか』と訴える。証拠は全く無い。
それにしてもこの三件が全部ビクトリアだと仮定したら、なぜこの国に来たのか。そしてなぜ死刑囚を脱獄させるような自分の得にならないことをしたのだろう。
「本人に直接聞いてみたいなぁ」
従姉妹の夫であるアンダーソン伯爵にそれとなく「クラークの語学が伸び悩んでいるならビクトリアを語学の教師に雇ってみたらどうだい?伯父上の怪我が治るまでは彼女も収入が減って大変だろう」と助言した。彼女のことをできるだけ目の届くところに置いておきたかったからだ。
自分はビクトリアのことを気に入っている。彼女は弟を心の牢獄から引き出してくれた大恩人だ。できることならジェフリーとビクトリアの関係を応援してやりたいと思っている。しかしはっきりしないことが多すぎた。
おそらく彼女は何かから逃げている。その理由によっては保護したいが、同時に理由によっては当事国に引き渡さなければならない。
もし彼女がなんらかの罪を犯しているのなら一人の外国人のために国同士が揉めるような事態は避けたい。
「うーん」と唸ってからエドワード・アッシャーは(今はまだ自分の憶測を宰相に話すのはやめておこう)と決めた。
今までは「こういう可能性も視野に入れておいてください」と宰相や陛下に自分の考えを述べることが多かった。
「でも、宰相はせっかちだから。『適当な理由を作って国外追放にしろ』って言いかねないんだよね」
考える時の癖で髪を前から後ろへと指で梳く。
そして三つの書類を再びもとの封筒に戻し、引き出しに入れて鍵をかけた。ここの人間にこんなチャチな鍵はかけてもかけなくても同じと知っているが、鍵があるなら掛けておきたい。そういう性分なのだ。
そこで今度は別の部下を呼んだ。
「マイルズ氏からの報告はどうなってるの?あ、そう。順調なんだね。それなら彼はそのままにしておいて。よろしく頼むよ」
弟はどこまで気づいているだろうか。少なくとも彼女がただの平民じゃないことくらいは気づいてるだろう。
(ジェフが早まったことをしないといいんだけど)
と、優しすぎて一途すぎる弟を心配する顔は一瞬だけ兄の顔になった。
ビクトリアはノンナを看病し続けている。
ノンナは流行り風邪のようだった。熱が上がり咳が酷い。
真っ赤な顔でハァハァしながら寝ている。食欲がなく、水や薄い果実水を少し口にするだけだ。エバ様に聞いた過去の流行り風邪のことを思い出して暗い想像にのみ込まれそうになる。
(大丈夫。ノンナは体力がある)
繰り返し自分にそう言い聞かせるが、病気の子どもを看病するのは初めてだ。このまま悪くなるのか回復するのか見当がつかない。温まった額の布を冷たい水に浸して絞ったり、汗をかいていれば着替えさせる。そんなことしかできないのが焦れったい。
「ビッキー、ごめんね」
「なんで謝るの。ノンナは謝らなくていいの。病気になるのは仕方ないことよ。早く治るようによく眠るのよ」
「うん」
熱と咳はしつこかった。しかし五日目を過ぎたあたりで熱が引いて食欲を見せた。湿った咳と嫌な音がする呼吸はまだ残っているものの穏やかになりつつある。
「ノンナ、病気に勝ったみたいね」
「もう苦しくないよ」
「そう? 良かったわ。あとはおなかが空いたらしっかり食べて眠れば治るわよ」
「アップルパイが食べたい」
「それはもう少し待ってね。おなかがびっくりしちゃうから」
発熱から十日後にはノンナはすっかり回復した。
(だけど、馬での移動はまだ無理ね)
ビクトリアはそう判断した。






