41 律儀な料理人
ハグル王国の王都。
料理人のデイブがハグルに戻り、連日せっせとアシュベリー王国で味わった美味の再現に勤しんでいた。料理の出来は上々で、ハイランド伯爵様もお喜びのご様子だ。
「今日は鹿肉を使ったあの料理に挑戦しよう」
デイブはいそいそと市場を見て回り、目当ての鹿肉を仕入れて帰ることにした。
その途中で書店から出てきた貴族に気がついた。失脚する前のアンガルド侯爵に自分を斡旋してくれた恩人である。
デイブは荷馬車を止め、今にも馬車に乗って立ち去りそうな伯爵を追いかけて声をかけた。
「伯爵様、イグズリー伯爵様!お久しぶりでございます。以前アンガルド侯爵家にご紹介いただきました料理人のデイブでございます」
「ああ、君か。元気にしていたかい?」
イグズリー伯爵は座席に座ったまま目だけをわずかにデイブに向ける。そっけない態度だ。だが侯爵家に斡旋してもらった恩を忘れていないデイブは近寄って頭を下げた。
「アンガルド侯爵様は残念なことでしたが、おかげ様で今は侯爵家からハイランド伯爵様の家に移って働かせていただいております」
「そうかそうか。これからも頑張りなさい」
イグズリー伯爵は「もう用事は済んだ」とばかりに御者に声をかけようとしたが、デイブの次の言葉を聞いて動きを止めた。
「キャロルはイグズリー様からお預かりしましたのに、お役に立てず申し訳ないことでした。アシュベリーで見かけましたが元気でやっているようでした」
「キャロル?見たのか?間違いなくキャロルだったのか?」
「はい。あの頃のキャロルは目立たない感じの娘でしたが、今はすっかり綺麗になって幸せそうでしたよ」
するとイグズリー伯爵は馬車の扉を開けてデイブに「乗りなさい」と言う。
「いえ、鹿肉を買い求めましたので、馬車を汚しては申し訳ありま……」
「いいから!乗りなさい」
そこからデイブは猛烈な勢いでキャロルのことを質問された。
キャロルを見た場所、一緒にいた人物、キャロルの服装や髪型まで。何度も同じ質問を繰り返され、その全てに答え、やっと解放されたと思ったらイグズリー伯爵はデイブに降りるように命じて猛烈な勢いで馬車を走らせ、いなくなった。
「何だろう。あの方、自分が頼んできたキャロルがいなくなった時は全然興味がなさそうだったのに。今日はまた、ずいぶん熱心だったなぁ」
首を振り振り乗ってきた荷馬車に戻る。
「まあいいさ。キャロルは幸せそうだったし、いい鹿肉は手に入ったし」
ハグル王国特殊任務部隊の中央管理室。
「それは本当ですかイグズリー伯爵」
「ああ。五ヶ月間一緒に働いていた料理人が言うのだから確かだと思うよ」
そこからランコムは根掘り葉掘りイグズリーに質問し、メモに取った。
イグズリー伯爵は汚職事件の証拠を掴むために後妻候補と侯爵を自然な出会いを装って夜会で引き合わせ、クロエと料理人を侯爵家に送り込んだ人物だ。特務隊とがっちり手を組んでいる。
イグズリー伯爵が帰ったあと、ランコムは隊員たちに告げた。
「クロエが見つかった」
「えっ!」
「生きていたんですか?」
「どこにいたんです?」
隊員たちが集まってくる。
「アシュベリーの王都にいたそうだ」
「つまり……クロエは脱走したってことですか?」
「そのようだな」
隊員たちは互いに顔を見合わせる。
「アシュベリー?」
「なんでエースなのに脱走したんだ?」
「アシュベリーに寝返ったのか?」
集まってきた隊員たちが騒ぐのを聞いていたランコムが最後に口を開いた。
「私がクロエの回収に向かう。ダン、ヤコブ、同行しろ」
「はい。しかし室長自ら向かわなくても俺たち二人で……」
「お前たち二人でクロエを説得し同意させて無傷で連れてこられるのか?特務隊が欲しいのは物言わぬ遺体じゃない。クロエの技術と才能を取り戻すのが目的なんだ」
ランコムの刺すような眼差しに口出しをしたダンが顔を強張らせた。
「失礼いたしました!」
すぐに出発の許可を得ようとしたが、宰相はしばらくランコムを待たせてから部屋に入って来た。
「クロエが脱走とはなぁ。あれだけ貢献してくれていたのに残念だよ。お前がわざわざ行く必要はない。クロエを失うのは残念だが、連れ帰るのは諦めろ」
ランコムは(やはりそうなるか……)と落胆した。クロエをこのまま消すのは惜しい、と思う。これから経験を積ませた上で養成所の教官をさせれば特務隊の候補生たちの技術にどれだけ貢献できることか。自分なら説得できる、と思う。
「クロエを八歳の時から指導して来たのは自分です。必ず説得して連れ帰り、またこの国のために貢献させますから、どうか」
ランコムは深く頭を下げた。それを宰相がうっすら苦笑して眺める。
「ランコム、相手はクロエだぞ?生かして連れ帰るのは無理だろう。戦闘になればこちらも無傷では済まない。そこまでして連れ帰って、一度裏切った工作員など、果たして信用できるかね。何より陛下がお望みではないのだ。『飼い主に忠誠を誓えなくなった犬は処分せよ』とおっしゃってる」
「……」
「アシュベリーの連中が何も気づいていないなら、わざわざこちらから彼女の価値を知らせるようなことはしたくない。クロエをアシュベリーに取り込まれたら厄介だ。行きずりの犯行に見えるように処分する。クロエの処分は決定だ。この話はここから先、お前たちの手を離れる」
特務隊がクロエを回収に行く話は消えた。暗殺部隊の案件になったのだ。
「クロエに関する目撃情報は全て提出するように」
「……はい」
アシュベリー王国。
ビクトリアの家ではビクトリアが不要な物、人に見せられない物を暖炉で燃やしている。
「ビッキー、何してるの?」
「ん?お片付け。ノンナ、本当に大切なものだけ肩掛け袋に詰めてくれる?」
「大事なものはひとつしかないよ」
「あら。それはなあに?」
「これ!」
ノンナが見せたのは彼女を保護して最初に買い与えた青いリボンだった。
「これだけだよ」
「そっか。じゃあ、リュックに着替えと下着を一日分だけ入れておいてくれる?」
「はぁい」
ノンナには引っ越すことをギリギリまで伏せておこう。うっかり誰かにしゃべられたら困る。
団長さんに引き止められたら。
クラーク様に悲しい顔をされたら。
バーナード様とヨラナ様にがっかりされたら。
(だめ。そろそろ潮時だから。最初に決めていたことじゃないの)
そう思ってノンナを見る。
(当分はのんびり落ち着いた暮らしは送らせてやれないけど、絶対にノンナを手放さないって約束したもの)
そして気がついた。ノンナの顔が妙に赤い。目も潤んでいる。慌ててノンナのおでこに自分のおでこをくっつけてみた。
「大変。あなた熱があるわ」
ビクトリアは新しく作った身分証を入れた小袋をそっと部屋の隅に置き、急いでノンナを寝かしつけた。






