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3 騎士団長ジェフリー・アッシャー

 よほど喉が渇いていたらしく、ノンナはオレンジの果汁を水で割った果実水を買い与えると一気に飲み干した。なのでもう一杯買ってから焼き肉とキュウリを挟んだパンを二つ買ってベンチに戻った。


 ノンナはすぐに口を開けてかぶりつこうとしたが、ハッとした顔をして「ありがとう」と礼を言ってから夢中で食べ始めた。


(どうしたものかなぁ)


 おそらく母親は来ない。

 お礼を述べるだけの躾をしていたところを見ると、親はこの子をそれなりに大切に育てていたのだろう。だがここにきて食い詰めたのか。それとも恋人ができて子供が邪魔になったのか。尋ねたら父親はいないそうだ。


 さりげなくひと通り観察して、少なくとも見える範囲に殴られた痕跡が無いことにほっとする。子を捨てる親の中には暴力を振るう奴も少なくない。


「喉に詰まるからゆっくり噛んで食べるのよ」

「はい」

「果実水、もう一杯あるから飲みながら食べて」

「はい」

「ノンナは何歳?」

「六歳」


 私は父が商売に失敗してどこかの家の下働きに出されそうになった時、まだ若かったランコムに声をかけられて八歳で拾われた。いや、正しくは結構な額のお金と引き換えに売られたのだ。だがそれは仕方がなかったことで、親を恨んではいない。むしろ家族の役に立ててよかったと思っている。




 パンを食べ終わるとノンナはコクリコクリと舟を漕ぎ出した。

「四時間も待ってたんだものね。可哀想に」


 私の膝枕でノンナはすやすやと眠っている。汚れてはいるが、金髪と青灰色(あおはいいろ)の目の可愛い子だ。悪いやつに目をつけられたらすぐに連れて行かれただろう。自分が気づけて良かった。

 あたりが薄暗くなるまでそこにいたが、思ったとおり母親は来なかった。


(この子、捨てられちゃったんだな)


 眠ったまま起きないノンナをおんぶして警備隊の詰め所を探すことにした。ノンナは孤児院に送られるだろう。そこでも母親を待つんだろうか。そんな事を考えて歩いていたら前方から若い男が全力で走って来るのが見えた。


(危ないな。避けなきゃ)


 そう思ったが男が抱えているバッグが明らかに女物だ。ひったくりか。ノンナをおんぶしているが仕方ない。工作員時代なら関わらなかったが、(今は善意の一般人だし)とあまり深く考えずに行動に移したのは、自由になった初日だから少しはしゃいでいたのかもしれない。

 私は身構えて男がすれ違う瞬間に足を伸ばして男の足を引っ掛けた。ズデーン!と男が派手に転んだ。


「いってえ!」

 男はすぐ後ろを追いかけてきた体格のいい銀髪の男性に押さえつけられた。


「おとなしくしろ!」

 銀髪の大男はなぜか細紐を持っていた。慣れた手つきで男を後ろ手に縛る。そして私に礼を言った。


「お嬢さん、助かりました」

「いえ。あの、その男を警備隊に引き渡すんですか?もしそうなら私も一緒に行ってもいいでしょうか」

「え?どうして?」

「この子、おそらく捨て子なんです」


 銀髪氏が私の背中に目をやる。

「そうですか。では案内します」


 それ以上は何も言わず、銀髪氏はやっと追いついた貴族らしい年配の女性にバッグを返した。真っ白な髪の女性は身体を優雅にかがめて何度もお礼を言って立ち去った。

 縛り上げた若い男を引っ立てながら銀髪氏が道案内をしてくれることになった。銀髪氏はジェフリー・アッシャーと名乗った。


 アッシャー氏は見たところ三十代前半、鍛え上げた筋肉の持ち主だ。身長はおよそ百九十センチ、体重は八十キロというところか。着ている服はかなり上等なものだ。この体格で銀髪に碧眼、顔もなかなか整っていて懐に余裕がありそう。さぞかし女性に人気があるだろう。

 しかもとてつもなくいい声だ。

 




 警備隊の詰め所は繁華街の中心部にあり、二階建ての大きな建物だった。入口の前には帯剣した立ち番が二人いて、アッシャー氏を見ると姿勢を正した。


「ひったくりを捕まえたから連れてきた」

「ありがとうございます団長!」


 団長?警備隊なら隊長だから騎士団か軍隊の団長だろうか。私服なのは休暇中か。


「こちらの女性は?」

「捨て子を保護してくれたそうだ。よろしく頼む」


 私は警備隊員に案内されて通路を左に、アッシャー氏はひったくり犯を連れて右へと別れた。その後、保護した経緯を説明して身分証を提示し、書類にビクトリア・セラーズとサインをしてから気になっていたことを尋ねた。


「この子は今夜、どうなりますか」

「今夜はここに泊まることになりますね。孤児院に連絡を取りますが、収容先を決めて責任者に来てもらうのは早くても明日なので」


 迎えに来る母親を長いこと待ち続け、夜は一人で詰め所で眠るのか。自分が八歳で組織の施設に連れて行かれた時を思い出す。見知らぬ部屋で怖くて心細くて泣きながら眠ったっけ。


「あの、今夜だけでも私が泊まっているホテルに連れて行ってはいけませんか。私、この国に来たばかりで身元保証人がいないのですが、この子と何時間も一緒に過ごしたのでここに置いて立ち去るのが切なくて」


「身元保証人がいないのですか。うーん……善意の保護者だから許可したいところですが、万が一あなたが記入してくれたフルードホテルの宿泊客じゃなかった場合、我々はもう手の打ちようがなくなりますからねぇ」


 そう言われたらたしかにそうだ。無理か。諦めようとしたら、後ろから声をかけられた。


「そのお嬢さんが本当にフルードホテルに泊まっているかどうか、俺が確認してもいいぞ。今日は休みだし。さっきのひったくりに足を引っ掛けて転ばせたのはこのお嬢さんなんだ」


「そうだったんですか!セラーズさん、ご協力ありがとうございました。それと、ホテル確認の件、助かります団長」

「いいさ、逮捕に協力してもらったんだし。俺もこの子がむさ苦しい詰め所で心細い思いをするのは胸が痛むからな」

「むさ苦しいって言わないでくださいよ」


 苦笑する警備隊の人に許可をもらって今夜はノンナを私の部屋に泊められることになった。


「その子は俺が抱いて運びますよ」

「助かります。ありがとうございます」


 ノンナを軽々と抱き上げたアッシャー氏はホテルに着くまで私にあれこれと話しかけてきた。ずっと聞いていたくなるような艶のある低音の声だ。


 アッシャー氏は王都の治安を守る第二騎士団の団長さんだそうだ。警備隊の上位組織になる。


「お嬢さんはどこから来たんですか」

「隣のランダル王国から来ました」

「いつまでこの国にいるんですか」

「家族が火事で死んでしまったので、気持ちを切り替えるためにこの国に移り住もうと思って」


 用意していた答えを淀みなく答える。騎士団の団長なら良い印象を与えておいて損はない。笑顔で愛想良く答えた。嘘はできるだけつかない。その方が覚えていられるし嘘が破綻せずに済む。


「この国の言葉がお上手だ」

「ありがとうございます」



 途中でノンナの着替えを買ってからホテルに到着した。

 「お帰りなさいませセラーズ様」と迎えてくれたフロントの男性にノンナのことを説明した。アッシャー氏は受け付けの人とも親しげだった。


 部屋までたどり着いてノンナをベッドにそっと置いてもらい、「助かりました」とお礼を言ったらアッシャー氏はピシリと良い姿勢になった。


「引ったくり犯逮捕のご協力とあの子の保護をありがとうございました。ではおやすみなさい」

 団長さんモードで最後を締めて帰って行った。それを見送ってドアに鍵を掛けた。


 ビクトリア・セラーズとしての初日は、なかなか盛りだくさんだった。


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