18 誰かを信じる時は
バーナード様のお屋敷に団長さんが立ち寄り、私たちを食事に誘ってくれた。
「ノンナも連れて外で食べないか?」
「外で食べるのもいいのですが、団長さんに相談したいことがあるので我が家にどうぞ。あまり人に聞かれたくないことなので」
その約束の日が今日だ。
相談したいこととは、夜会以降かなり腕の立つ尾行が私に付けられていることだった。
ノンナは団長さんが好きらしくウキウキしている。母親のことはあれ以来口にしない。警備隊の詰め所に尋ねたら母親はやはり行方知れずらしい。
夜。
約束の時間ぴったりにドアがノックされて私服に着替えた団長さんが離れを訪れた。団長さんは湯を浴びて来たらしく短めの銀髪がまるで本物の銀の糸みたいに輝いている。
「さ、どうぞどうぞ。料理は熱々のうちに食べるほうが美味しいですよ」
「いい匂いだ。楽しみにしてきたんだよ」
団長さんはノンナに案内されて私の席の向かいに座った。
私はスープ皿に湯気の立つ白いスープを注いでテーブルに置き、着席した。温め直した丸いパンは山盛り用意してあるし、バターと白レバーのペーストも置いてある。スープをひと口飲んで団長さんが目を閉じる。
「あー、腹に染み渡る味だな」
「お気に召しましたか?」
「ああとても。これはアスパラガス?」
「はい。白いのがお店にあったので。この国の食材はとても豊かですね」
「この国を気に入ってくれたなら嬉しいよ」
スープを飲み終える頃合いを見計らって私は席を立ち、自作のミトンをはめてオーブンから深皿を取り出した。
時間を逆算して入れておいた深皿はグツグツと音を立てているチーズ。その下にはベーコン、ニンジン、ブロッコリー、カボチャがゴロゴロと隠れている。
それぞれの皿に野菜のチーズ焼きを取り分けて
「熱いのも味のうちです。さあどうぞ」
と微笑んだ。
団長さんは熱々の料理を平然と食べている。私も火傷に気をつけながらスプーンで口に入れた。とろけたチーズに焦げ目がついていて香ばしい。野菜は柔らかくて甘く、ホワイトソースとチーズが絡んで濃厚な味だ。ノンナはふうふうと冷ましながら食べている。
「それで、ビクトリアの相談は何かな?」
「実はあの夜会以降、私をこっそりつけ回してる男の人がいるんです。気持ちが悪いし恐ろしいので警備隊に通報して捕まえてもらおうかと思っています。団長さんには事前にお伝えしておくべきかと思いまして」
団長さんは考え込みつつ料理を食べてからワインを飲み、私に顔を向けた。
「俺は聞いていないが、どうも第一王子殿下が手配したような気がする。君はよく尾行に気づいたね?」
「最初はお店の窓ガラスに男の人が映ってるのに気がつきました。注意していたら度々その人がガラスに映るんです。それにしても第一王子殿下がですか?大切な団長さんだから関わってくる女性全員にそんなことをなさるんでしょうか」
そうではないだろうことは察しがつくが。
「いや、多分違う。実は……夜会の襲撃犯を庭で倒した人物がいてね。それが君かもしれないと思われているんだ。だから殿下は君がどんな人なのか知りたいんだと思う」
「私?私が男の人を倒したと?なんでまたそんな……」
そこまで言ってから、これ以上ノンナに聞かせない方がいいと判断して団長さんを見てからノンナを見る。団長さんも私の視線に気づいてノンナを見る。ノンナは美味しそうに食べている。
「ノンナ、食べたら歯磨きして寝ましょうね」
「うん」
ここでノンナに「こうやって、こうやって、こう!だよね!」なんて実演されたら目も当てられない。早目に寝てもらおう。
私たちのやり取りを黙って聞いていた団長さんは硬い顔でワインを飲んでいる。
やがてノンナは椅子に座ったままあくびをし始めた。
急いで歯磨きをさせてから寝室に連れて行き、着替えさせた。ベッドに寝かせて毛布をかけ、部屋を出てそっとドアを閉めた。
二人で飲み直すことにしてグラスを別のものに替え、赤ワインをもう一本開けようとしたら団長さんが私から瓶を取り上げ、慣れた手付きで栓を抜いてグラスに注いでくれた。
「実は夜会の時、倒れた男から逃げていく女性の後ろ姿を警備兵が見ている。その女性のドレスの色が薄紫か薄い水色だったと証言している」
あの場所はかなり暗かったのに。夜目の利く人間が私の他にもいたのか。思わず舌打ちしそうになる。
「私は会場の隅にいました。身に覚えのないことで尾行されるのはとても迷惑です。もし第一王子殿下がこれからも私を尾行させるようなら……」
私が言い終わるのを遮るように団長さんが言葉を重ねる。
「俺が責任を持って尾行を中止するよう殿下に申し上げる。だからいきなりいなくなったりするのはやめてくれ」
「いきなりいなくなる?」
私に聞き返されて団長さんの顔がわずかに怯んだ。
「その、なんとなく君は突然姿を消してしまいそうな気がするから」
「そんなことはしません。考え過ぎですよ」
異様に勘が鋭い人なのだろうか。偶然だろうか。
王家が私に関心を持っているならさっさと他国へ移るべきだと思ったところでそう言われて驚く。
そのあと私は次々と他愛ない話をした。団長さんにあれこれ質問しては聞き役に回った。団長さんは部下たちの愉快な失敗談で笑わせてくれた。夜も深くなり、彼は立ち上がった。
「また来てもいいだろうか」
「ええ。どうぞ」
玄関で団長さんが私を両腕で包むようにふんわりと抱え込んだ。お休みの挨拶にしては少し長かった。私はじっとして動かず抱き返さなかった。腕を外されてから彼に笑顔を向けて「おやすみなさい」と声をかけて見送った。
ぬるま湯で食器を洗いながら考える。
私は十五歳で働くようになってから信用した人は一人しかいない。そのたった一人が私の信頼を踏みにじったからここにいる。
誰かを信じる時は同時に裏切られる覚悟もするべきなんだろう。それなら裏切られても途中で手を離されても痛みを感じないで済む。『ああ、やっぱりね』と笑えばいい。
そう自分に言い聞かせながら眠った。
翌日から尾行の気配が消えた。
どうやら団長さんが本当に話をつけてくれたらしい。
それから数日後。
今日はバーナード様の助手の仕事はお休みの日だ。
ノンナとどこかに出かけよう。
出かけて気分転換をしよう。いざとなればいくらでも生きていける場所はある。来るか来ないかわからない凶事に怯え続けるのは無駄に消耗するだけだ。
「ノンナ、新しいリボンを買おうか。その青いのだけじゃ寂しいわ」
「これが好きなの」
「ノンナの金髪には深い赤紫色も似合うと思うのよね。ワインみたいな色。リボンと同じ色の靴も買いましょう」
私たちは「うちの馬車を使いなさい!」と大騒ぎをなさるヨラナ夫人に「歩かないと身体がなまります」と笑顔で返事をして南区を目指して歩いて出発した。
小物屋に入り、いろんな色と柄のリボンをあれこれ眺める。ノンナはまた青いリボンを欲しがったので今のリボンより少し深い色の青いリボンを一本と赤ワイン色のリボンを一本買った。
「ビッキーも買おうよ」
「私も?そうねえ、じゃあ、ノンナとお揃いのを買っちゃおうかな」
ノンナが私を見上げてとろけるように笑う。
(大切な人に贈り物を買うのって、買う側の心が満たされるわ)とノンナの手をつなぎながら思った。実家への贈り物も私を幸せにしてくれていたっけ。
今夜はノンナが母屋の侍女スーザンさんのところに泊まる日だ。
あの酒場にまた行ってみよう。






