14 王城の夜会(2)
わざと甘い声を出して団長さんを見上げると、私を見下ろす視線はもっと甘い。(うわぁ)と柄にもなく緊張した。
「では失礼する」
団長さんがそう告げて目から火を噴きそうな令嬢から離れる。団長さんは私を連れて会場内を挨拶して回るが、まだ縁談を押し付けたがる上司とやらは現れていないらしい。
やがて王族を代表して王太子殿下が登場された。王太子殿下は金髪碧眼で迫力のある『静』の印象だった。
簡単な挨拶の後、妃殿下らしい女性とダンスを披露なさり、その後殿下は歓談の輪に入って行かれた。参加者たちがダンスを始めたので私たちも踊った。大きな身体で優雅に踊る団長さん。しっかりリードしてくれて踊りやすい。
「あなたはダンスも上手だから安心しろとエバに言われたが、確かに上手だ。ほんとに君には会うたびに驚かされる」
「ありがとうございます。それで、団長さんの上司という方は?」
「さっき踊っていらした王太子殿下だよ」
「まあ……」
団長さんに感心したような微笑みを返しつつ(近衛騎士団ならともかく、第二騎士団なのに!あなた王太子殿下のお気に入りでしたか!)と驚く。驚きながら私は一人の男を目で追っていた。
給仕係の白い制服を着た一人の男がさっきから仕事をしていない。銀のトレイの上には酒の入ったグラスがたくさん載せられているが、探しているのは酒を必要な人ではなさそうだ。
大きな夜会の会場にはまれに不審者が紛れ込むことがあるが、王城では考えられない。王城で働くには身元の確認が厳しい上に新参者には大切な夜会の仕事など回ってこない。
男の動きは素人。なのにそんな素人がこんな場で何かするなら目的は限られてくる。知らん顔しようかと一瞬思ったけど、その考えはすぐ打ち消した。ここは団長さんに動いてもらおう。
キュッと団長さんの腕に合図を送る。
「どうした」
「団長さんから見て右斜め後ろの人、給仕係なのにさっきから仕事をしてないんです。ご令嬢たちの宝石でも狙っているのかしら。でも王城ではそんなことはありえないのかしら」
団長さんは自然に私を回転させてその男の方を向いた。少し眺めてからうなずく。
「誰かを探しているようだな」
踊りながら私も男を見る。その男が急にとある方向に進み始めた。対象者を見つけたのだろう。私は視線だけ忙しく動かして男が逃走に選びそうな経路を探した。
「ビクトリア、悪い。ちょっと行ってくる」
「はい、どうぞ」
さすがは団長さん。男が目的を果たすための動きに入ったことに気づいたようだ。
警備が厳重な夜会を犯行場所に選んだのは、おそらくそれ以外はどうやっても対象者に近寄れないのだろう。
一人になった私は自然に見える速さでテラスへと向かう。テラスから庭に降りる。男が通りそうな場所を見極めて庭木の陰にかがむ。会場が明るい分、庭木が多いここはとろりと暗い。かがり火もない。
やがて会場から複数の女性の悲鳴とグラスが割れる音が聞こえて来た。
残念、取り逃しましたか?
明るい会場の光を背景に黒いシルエットが飛び出してくる。
男はテラスの手すりを飛び越え、腰を屈めて走る。手早く給仕係の上着を脱ぎながら私の方に向かって来た。真っ白な制服は目立つからすぐに脱ぐだろうと予想した通りだ。
今だ。
立ち上がってドレスをたくし上げ、目の前で上着の袖から腕を抜こうとしている男の側頭部に回し蹴り。間髪を入れずに両肩をつかんで腹に膝蹴りを入れ、前のめりになった男の頭と首の境に体重を乗せた手刀を落とす。その間三、四秒か。男は「ぐ」と声を漏らして前のめりに倒れた。
全速力で男から離れる。姿勢を低くして走りながら後ろを振り返るとテラスからたくさんの男たちが飛び降りていた。男は意識を失ったまま捕まるだろう。
深呼吸を繰り返して息を整えてからさりげなく会場に戻ると、まだ始まったばかりの夜会は台無しになっていた。団長さんがキョロキョロしているのでそっと近寄り声をかける。
「私は馬車で帰ります」
「ああ、よかった、そこにいたか。帰りはうちの馬車を使ってくれ。俺は戻れない。またあとで」
私が団長さんに男の動きを教えたこと、口止めすべきだろうか。いや、やめておこう。そんなことをすれば逆に怪しまれる。
会場の一角は散乱したグラスの破片やぶちまけられた酒、食べ物で惨憺たる有様だ。あちこちで気分が悪くなったらしいご婦人が連れの男性に介抱されている。帰っていく人に紛れて私も会場から出た。
犯人を捕まえたとはいえ、ここの警備責任者の対応が甘くて助かる。私が責任者なら一人も帰さず聞き取りを行うところだ。
アッシャー家の馬車を見つけ出して乗り込もうとしたら御者が心配そうに私に尋ねる。
「会場が騒がしいようですが、何かございましたか?」
「ちょっとね。もう収まったわ。途中で着替えたいから南区のどこかでお店に寄りたいのだけど」
「かしこまりました」
家に帰るだけなのになぜ着替えを?と思っただろうに、さすがは伯爵家の使用人。余計な口出しはしなかった。
私は南区の気さくな洋品店の前で御者に声をかけて降りた。
「もうここで帰っていいわ」
御者は何か言いたそうだったが心づけを多めに渡して帰ってもらった。久しぶりにあんなことをしたのだ、このまままっすぐ帰ってノンナと顔を合わせたくなかった。あの子はそういう気配に敏感な気がする。
平民用の洋品店で地味な濃紺のワンピースを買って着替えた。結い上げていた髪も下ろした。ドレスは明日取りに来ると告げて支払いを済ませた。
洋品店がある通りから一本入った裏通りに酒場があったのでドアを押して入った。幸い店は空いていた。薄暗い店内の目立たない席に腰を下ろし、注文を取りに来た店主らしい男性に「お勧めの蒸留酒があればそれを」と頼んだ。
心地よい充足感があった。
展開を予想し、先回りして制圧した時の達成感。その時だけ周りの動きがゆっくりに見えるような緊張と興奮。どれも久しぶりだった。
テーブルに置かれた強い酒を一気に飲んで背中を向けたばかりの店主に「お代わり。同じのを」と声をかけた。短い黒髪と顎髭の店長が振り返り、一瞬で空になったグラスをチラリと眺めて「はい」と返事をした。
(私は家族とランコムのために働いていると思ってたけど、あの仕事が好きだったのね)と思う。
もちろん今更工作員に戻るつもりはない。今の私にはノンナがいる。あの子と暮らしたい。
二杯目は味わいながら飲み、少し気分が落ち着いてから代金を支払って店を出た。顎髭の店長は「またどうぞ」と渋い声で送ってくれた。
歩きながらさっきのことを思い出した。
男の邪魔をしたのは殺人を犯させたくなかったから。
狙われた人物が悪人か善人かなんてあの場ではわからない。だけど殺人が起きそうなことに気づきながら知らん顔をして、後日『善人が殺された』と知れば精神の図太い私でも後悔する。後悔が心を強く苛むのは経験済みだ。
それに素人が殺したいと思うなら大抵は私怨が原因だ。その私怨を生んだ過去の事実は殺人を成功させても記憶から消えやしない。『憎いアイツを殺したから酷い目に遭ったことはすっかり忘れた』なんて人はいないだろう。私怨で殺人を犯した人を何人か知ってるが、皆暗い目で生きていた。
男を逃さなかったのは自分のため。
あの庭はとても高い塀から少し離れた場所に一本だけ高い木が生えていた。身軽な男ならあの木に登れば高い塀を飛び越えられそうだった。塀の向こうは別塔の区域だ。夜会中ならそこに人は少ないか全くいないかだろう。着地に失敗すれば両足骨折だが、怪我さえしなければ逃げおおせる可能性が少しはある。
しかもあの場所は行き止まりだったからか衛兵は配置されていなかった。あの男は素人ながらよく考えていたようだ。
もし男が逃げてしまったら男の正体を洗い出すために参加者の調査が行われるはず。初参加の外国人で平民なのに貴族と偽り、身分証まで偽造してる私は詳しく調べられたら大変に都合が悪い。私が責任者ならとことん私を調べる。
だが男が捕まって犯行の動機がわかれば無関係な私の身元が詳しく調べられる可能性は低くなる。
そんなことを考えながら歩いて帰った私はヨラナ夫人に
「なぜ一人で歩いて帰ってきたのか」「なぜこんなに早い帰宅なのか」「なぜドレスじゃないのか」
と質問攻めにされた。
いろいろと濃い夜だった。