13 王城の夜会(1)
「ひと通りのマナーをざっくり教えるわ」
エバ様に言われて大人しくレッスンを受ける。
毎日の仕事終わりや仕事の合間にノンナを待たせるのが嫌だったから「一、二度教えたら覚える人」という設定にすることにした。
「すごいわ。どうしてそんなに早く覚えられるのかしら」
「実は虫除けの役目を仰せつかったのは今回が初めてではないんです。でもそれはずーっと前のことですので自信がなくて」
「あー、なるほど。そういうこと」
エバ様には「以前貴族のお屋敷で働いている時に、後妻の座を狙う令嬢たちを追い払うためにご主人様の仮の恋人役を務めたことがある」と説明した。それは本当だった。ただ、その時の私の目的はその貴族が他の国の誰と繋がっているかを調べることだったが。
もしかしたら愛人をやっていたのではと思われるのは覚悟の上だ。「そんな女は雇えない」と言われたら他の仕事を探せばいいかと思っていた。だがエバ様はそれを聞いても態度を変えなかった。バーナード様も気になさらないようだった。
エバ様に身体のサイズを測られた十日後、サイズ直しされた既製品のドレスがアッシャー氏の名前でミセス・ヨラナの屋敷に届いた。配達の人は母屋の貴族が注文したと思ったのだろう。薄紫の上品なデザインのドレスは襟ぐりと背中の開き具合も品が良く、同じ色の靴も別の箱に入って届いた。
ドレスと靴の箱を運んでくれた侍女さんと一緒にヨラナ夫人もいらっしゃった。
「あなた、団長さんとお付き合いが続いているのね?」
「お付き合い、と言えるかどうか。団長さんはバーナード様のお屋敷に時々いらっしゃるので」
「このドレスは?」
「それが……」
事情を説明するとヨラナ夫人は楽しそうに笑った。
「不器用な方ねぇ。そんな理由を付けずとも正面からあなたを誘えばいいのに」
もう食事とピクニックに誘われましたとは言いにくくて曖昧に笑っていたら、ノンナが「三人でピクニックに行ったの」と嬉しそうに報告する。
「あら、そうだったの。いいことよ。あなたも騎士団長も独身なんですもの。身分の差はこのご時世だもの、なんとでもなるわ」
「いえ、そんなお付き合いでは」
「いいのいいの。人生に恋の煌めきは必要よ。あなたは若いのだから」
ヨラナ夫人の応援は私を少々困惑させた。虫除け役を務める以上、私たちは恋人同士と思われるだろう。今後いろいろ厄介なことになりそうだが、一度行くと言った以上は覚悟の上だ。
「守れない約束はしない。交わした約束は守る」のが私の信条だ。
夜会の当日は朝から時間をかけて身だしなみを整え、団長さんを待った。
夕方の四時、約束どおりに団長さんは馬車に乗って迎えに来た。そして正装した私をひと目見るなり驚いた顔をした。
「どこからどう見ても美しい貴族令嬢だよ。薄紫がきっと似合うと思ったんだ。今夜俺は嫉妬の視線に晒されるな」
「ありがとうございます。称賛は無制限に受け付けますわ」
わざとツン、と気取った仕草で顎を上げた私に団長さんが笑う。
ノンナは本人の希望で結局母屋の侍女であるスーザンさんが預かってくれることになった。
「朝まで預かりますからね。今夜は帰って来なくてもいいのよ」
「ヨラナ様、帰ってきますよ。いったい私をどんな不良にしたいんです?」
「ふふ。行ってらっしゃい。楽しむのよ」
ウインクして送り出してくれるヨラナ夫人に頭を下げ、ノンナに手を振って馬車に乗った。乗る時に手を差し出してくれたアッシャー氏の大きな手は剣ダコで固く、乾いていて温かかった。
「虫よけ役が初めてじゃないこと、エバに聞いたよ」
「本日の虫除け役、しかとお任せくださいな。それで、しつこく縁談を持ち込んでくる方のお名前を教えていただけますか。お会いする前にその方のことを頭に入れておかなくては」
「あー。それは顔を見たら教えるよ。もしかしたら来ないかもしれないし」
(じゃあ何のために私が参加するのかわからないじゃない?)と思ったが口には出さない。おしゃべりをしているうちにあっという間に王城に到着した。
王城はたくさんのランプが置かれたり吊るされたりしている他に、庭で大きなかがり火も燃やされている。会場内が明るい分、庭の暗さが際立っていた。会場の外に濃紺の制服の護衛兵士、中には真っ白な制服に金の飾りが華やかな近衛騎士がいた。
会場内には大きな花のようなドレスを着た女性たちがあふれている。王城での夜会は他国のを含めれば今回で四回目だが今までで一番華やかな夜会だ。さすがは商業王国。
私たちが会場に足を踏み入れると既に会場にいた人々の間に波のようにざわめきが広がり、皆がこちらを見る。さりげなくチラリと見る人もいれば露骨に見てくる人もいる。団長さんはどれだけ人気者なのか。そしてその視線が団長の隣にいる自分にもついでに向けられる。
(さ、お役目の開始ね)
久々に心地よい緊張感に包まれ、背筋を伸ばして団長の腕に手をかけたまま笑顔で銀髪の大男を見上げた。
「団長さんは男女を問わず人気者なんですね」
「女性と参加したのが十年ぶりだからね。驚かれているんだろう」
「えっ」
それは聞いてなかった。十年ぶり?この美丈夫が?どういうことだろうか。
「アッシャー卿、久しぶりだな。女性を伴って参加とは驚いたよ」
「ウォールド伯爵、やっとエスコートしたい女性が現れたんですよ」
「お嬢さん、お名前をうかがっても?」
「ビクトリア・セラーズと申します。ランダル王国から参りました」
「そうか、お見かけしたことがないと思ったら隣国のご令嬢でしたか」
事前の打ち合わせで私は隣国の貴族に嫁いだアンダーソン家の親類の娘ということになっている。「平民を連れてきたと正直に言えばそこばかり話題になる、それではビクトリアが気の毒だ」とエバ様が断言なさったからだ。念のために私は懐に自作のランダル王国民の身分証を忍ばせている。
それからは次々と話しかけられた。
やがて二十歳になるかならないかという若い令嬢が連れの男性を引きずるようにして近づいてきた。(あ、これは用心が必要だ)と思わせる視線の強さに、私はそっとアッシャー氏の腕に合図を送った。アッシャー氏が前を向いたままうなずいた。
「やあ、ギルモア伯爵令嬢、こんばんは」
「アッシャー卿、フローレンスとお呼びくださいと何度も申し上げてますのに。今夜は珍しいことですわね?」
そう言いながらこちらに向ける視線が私を上から下まで品定めしていて感じが悪いことこの上ない。しかも表情が伯爵令嬢とは思えないほど品がない。嫉妬のあまりに表情を取り繕うことを忘れているらしい。私は大人の余裕を漂わせるべく笑顔で無礼な視線を受け止めた。
「ビクトリア、こちらはフローレンス・ギルモア伯爵令嬢だ。ギルモア伯爵令嬢、彼女はビクトリア・セラーズ。隣国の子爵家令嬢です」
「まあ、隣国の」
自分より身分が下と知ってフローレンス嬢の視線が更に意地の悪いものになる。
(馬鹿ねえ。そんな性格の悪さ丸出しの顔を意中の人の前で晒すなんて)と心でつぶやく。
「ビクトリア・セラーズでございます。アシュベリー王国のご令嬢は皆さんとても上品でお優しいので感激しておりますわ」
「クッ」
笑いを噛み殺したのは団長さんだ。私の嫌味に気づいたらしい。
「私の大切な女性なんだ。仲良くしてくれると嬉しいよ」
そう言って団長さんが私の肩を抱き寄せ髪に口づけた。
「なっ!」
驚いて固まるフローレンス嬢。顔と首が怒りでみるみる赤く染まっていく。
十年も女性を同伴しなかったという団長さんの仕草に、様子をうかがっていた周囲もどよめく。私も驚いたが、事前の打ち合わせで「とても仲の良い二人を演じてほしい」と言われていたので
「もう、ジェフリーったら」
と甘い声を出した。少し上半身ひねり、心から喜んでいる表情が他の人にもよく見える角度を選んで団長さんを見上げた。
ここまでは全て順調だった。