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 微かに、何かが倒れる音が聞こえた。

 花耶は音のした方向、階段に向かって駆け出す。

「んぇ⁉ 花耶?」

 灼の疑問の声と、複数の駆ける音が追いかける。次第にその中から、一人分の足音が目立つようになっていった。


「!」

 階段の前に出ると、踊場から二、三段ほど下の高さに、蓮と化穢がいた。蓮はぐったりしており、化穢に担ぎ上げられていた。

「《祓穢衣》!」

【⁉】

 化穢も、花耶の存在に気がついたようだ。

 だが、もう一人が視界の隅に飛び込んできて、焦った驚き顔から余裕のにやけ顔に変わる。

【これでも喰らいなァ‼】

 化穢は、黒いドロドロした穢れを、花耶の頭上を投げ越えるように放出した。

(……後ろ?)

 一瞬疑問に思うが、即座に血の気が引いて、振り返る。


 花耶の後ろを、追いかける者達がいた。その中でも、一人、花耶よりは足が遅いが、他の全員より速い者がいる。


「‼⁉」


 階段の下で、驚き身を強ばらせている灼がいた。


 花耶は前のめりで駆け降りる。


「「っ‼」」


 だがこの時、ほぼ同時に穢れと灼の間に割り込む者と、灼を引き倒す勢いで下がらせる者がいた。


「ぐぁ⁉」

「うぐ⁉」

 穢れは、灼を庇った綾人とそうびにかかってしまった。

 花耶は即座に駆け寄り、二人に触れる。まだ祓穢衣は解除していない。ほとんど時間がかかっていないおかげで、ほぼ一瞬で穢れが霧散した。


「《痺雷針》!」

 千絃がやって来て、化穢に痺雷針を撃つ。だが、僅かに遅く、踊場から上の階に続く階段に姿を消した。


「花耶、灼。私達はもう大丈夫だから、化穢追って!」

「はい!」

「分かった!」

 駆け出す花耶と灼。

「念の為、《韋駄天走》」

 愛梨は二人に、補助妖術をかけておいた。


「千絃は追いかけずに、手分けして春介を探すぞ!」

「だが、蓮が……! それに、あの二人じゃあ蓮を負かすような相手に勝てませんよ‼」

 千絃も階段を駆け上ろうとする。焦りのあまり、一瞬、昔の口調に戻っていた。

 しかし、綾人が言った。

「お前、視界共有で花耶の居場所分かるだろ? お前まで行ったら、俺達があの二人を追えなくなる。それに、蓮を負かすような相手だ。少しでも戦力を増やしに春介を探した方がいい。確かに、あの二人じゃあ勝てないだろうけど、時間稼ぎくらいはできるはずだ」

 説得に千絃は不満そうにしていたが、そもそも、千絃の足では二人に追いつけない。途中で追いていかれるのが目に見えていた。ならば、視界共有で居場所が分かる分、他の仲間に伝えられるようにしておいた方がいい。

「……分かりました」

 しぶしぶ了承した。


「俺達が地下一階と偶数階を探す。千絃と愛梨は奇数階を頼む。時間もかけていられないから、ざっとでいい。春介ぐらいの体格なら、それでも見つかるはずだ」


◆◇◆


 花耶と灼は、化穢を追っていた。

 途中、石が降ってきたが花耶が苦無で弾き飛ばし、大岩が転がってくれば灼が一撃で粉砕するなど、道中の罠も回避する。

「!」

 突然、床に大穴が空いた。

 花耶は普通に飛び越えた。

「うわぁ⁉ っとぉ……‼」

 灼は落ちかけたが、縁をギリギリで掴んでよじ登り、難を逃れる。

【ッチィ‼ 何やってんだよあの下手くそが‼】

 化穢は悪態をつきながら近くの商品棚を倒す。

 瓶が降ってくるが、二人とも飛び退いて躱す。


「「‼」」

 今度はシャッターが降りてきた。

 スタートダッシュから一気に加速。

 ここで塞がれたら、化穢を見失ってしまう。

 花耶は頭を下げて体勢を低くし、灼はスライディングで潜り抜けた。

「ひぇっ」

 シャッターが肘を掠め、悲鳴を鳴げる。

「か、花耶! オレの左肘、ちゃんとあるか⁉」

「平気。ある」

 一瞬だけちらりと見て答える。

 韋駄天走がかかっていてギリギリだ。もしかかっていなかったら、間に合わなかっただろう。

【糞が‼ 《颯の刃(はやてのやいば)》‼】

 あの化穢は、鎌鼬の魂を喰べていたようだ。

 鎌のように鋭い風が、二人に迫る。

「っ!」

「っとぉ!」

 だが、二人は躱した。


 さらに灼は、化穢の隙を見逃さなかった。

「ぅおら゛ぁ‼」

 ビュンと空気を切り裂き、化穢に向かってガラス瓶が飛んだ。

 先程、商品棚が倒れた時に一つ拝借していたようだ。

【ガッ⁉】

 瓶は見事化穢の頭に命中。浅いが、傷ができた。

「よっしゃ!」

「!」

 この時灼は、化穢に集中していて気がつかなかった。

 天井に、巨大な斧の振り子が出現した事に。

 花耶はギュッと向きを百八十度変え、灼に飛びかかった。

「へぶっ⁉」

 体当たりで灼をその場からよろめかせる。

 次の瞬間。


 ブォンッ。


「…………⁉」


 全身の血液が、凍ったかと思った。

 花耶のすぐ背後を、斧の振り子――ペンデュラムという拷問器具が通過したから。

 はらりと、花耶の髪の一部が床に落ちる。


「ご、ごめん‼」

「んん。怪我は?」

「ねーけど……」

「よかった。追うよ」

 花耶は短く安堵の一息つくと、タイミングを見計らって振り子を通過した。


「って、ヤバい! もういねー!」

 その時には、化穢は姿を消していた。しかし。

「こっち」

「花耶は分かるのか?」

 灼は花耶の後を追いながら訊いた。

「少し、黒い煙、残ってる」

 灼の投げた瓶は、化穢の頭に命中していた。その時に小さな傷をつけており、そこから黒い煙が出ていた。それが天井付近に、微かに残っていたのだ。


◆◇◆


【ッチ! もう追いついてきやがった‼】

 化穢はエレベーターに乗りながら悪態をつく。

 遠くに、花耶と灼の姿があった。

 だが、距離的に僅かに遅かった。


 花耶はまっすぐ駆け寄り、エレベーターの扉の間に腕を差し込――。


「どっわ⁉ 危ねー‼」

 みかけたのを、灼が掴んで引っ込めた。勢い余って、二人とも尻餅をつく。

 そのタイミングで、エレベーターの扉が閉まった。


「はぁあ……」

 灼は落胆と安堵が混ざった、複雑な気持ちでへたり込む。

「……ごめん。また、無茶、した」

「ほんとだよ。ギロチンエレベーター、トラウマなんだよなぁ」

 もしあの時、灼が引っ込ませていなければ、エレベーターの扉に腕を挟んでいただろう。

 現実ならば、挟まれたとしても安全装置が作動してまた開くはずである。

 しかしここは怨夢。最悪の場合、挟んだままエレベーターが下降して、まるでギロチンのように切断されてしまったかもしれない。


「とりあえず、皆に連絡して他の階に化穢が降りた時に対応してもらうか」

「……連絡は、お願い。でも、化穢、他の階に、降りないと、思う」

「んぇ? 何で?」

 灼が訊くと、花耶は、あらかじめ渡された駅のマップを広げた。

「私達がいるの、ここ。エレベーター、繋がって、ない」

「うわ、マジだ」

 本来なら、花耶達がいる場所もエレベーターはなかったはずである。怨夢だから多少は構造が変わっているのだろう。

 花耶はちらりと見えただけだったが、他の階ではそのエレベーターに繋がりそうな位置に出入口がなかった。

「――って、え? あれ?」

 ふと電子板を見た灼は、もう一度マップと見比べる。

「この駅ビルって、地下一階までだよな? このエレベーター、地下二階に行ったんだけど……」

 どうやら、このエレベーターだけ地下二階に行けるようだ。

 地下二階から、エレベーターが上がってくる。


「……。灼は、千絃達、呼んできて。一階の、雑貨店近くのドアで、春介と、合流してる」

「! 春介は無事なのか?」

「ん」

 こっくり頷くと、灼は安堵した。

「……一つ訊くけど、危ねーから一人で時間稼ぎに行くなんて言わねーよな?」

「……………………」

 灼の疑いの視線から逃げるように、花耶は視線をそらした。


 花耶のこの態度で察したのだろう。灼は、通信鏡を出した。

「もしもし千絃? 化穢、エレベーターで地下二階に行った。地図に載ってないエレベーターなんだけど……。あ、もう場所、花耶の視界で視た? 分かった。とりあえず、五階からそのエレベーターに乗れる。オレと花耶で先に行くから」

「えっ」

「分かった! さすがに、オレと花耶二人じゃあ自信ねーから、本っ当に大急ぎで頼む! そんじゃっ!」

 灼が通信鏡を切ったのを見計らって、花耶が言った。

「……灼、本当に、危ないから、千絃達と、一緒に、来て」

「やだ」

 断った所でエレベーターが到着。扉が開いたので、灼は乗り込む。花耶も乗り込み、引っ張り出そうとするが微動だにしない。花耶は体重をかけてぐいぐい引っ張っているが、灼は特に踏ん張っている様子もなく、軽く耐えていた。

「灼、相手、蓮に勝つほど、強い。蓮も、穢憑き化、してるかも。だから、危ない」

「それなら花耶だけ行っても同じじゃん」

「でも、さっき、不安そうな顔、してた。怖いなら、皆で、行った方が……」

「!」

 花耶は、よく仲間の様子を見ている。エレベーターが上がってくる時、灼は、緊張した面持ちだった。化穢と戦うのは初めてだからだろう。

「確かに怖ぇーけど、ここで引いたら絶対後悔する。もし、どうしても無理だってなったら、後ろから火の球投げたりして援護するだけにするからさ、オレにも行かせてくれよ」

 確かに、魂を喰べるような化け物相手に戦うのは初めて。負けたら消滅。それで恐怖しないわけがない。

 ただ、灼自身も仲間を助けたいし、大事な者が消えるのも嫌なのだ。恐怖心だけで身を引きたくなかった。

「……絶対に、前、出ない?」

「おう! ……たぶん」

「…………」

 ぐいぐい。

 花耶は再び、灼の羽織の裾を掴んで引っ張り始めた。


「……。よっと」

「!」

 急に灼は、花耶の手首を掴んでエレベーター内に引っ張り込んだ。

 片腕でしっかりと押さえておく。

「んじゃ、閉めるぞー」

 ボタンを押すと、エレベーターの扉が閉まる。そして、下降し始めた。


「灼……」

 もう、上に戻るのは無理だ。おそらく、敵も強い。

 灼を守りながら戦えるだろうか……。

 花耶が不安そうにしてると、灼が言った。

「確かに花耶から見て、オレはすげー頼りないと思う。……現に、化穢の攻撃、避けられずにそうびと綾人に迷惑かけちまったし……。花耶の髪も、バッサリやられたし……。ごめん」

「髪は、気にしなくて、いい」

 しょんぼりと俯きつつも、灼は『だけど』と続けた。

「花耶にはできねーけど、オレならできる事もあると思う。守られるだけじゃなくて、オレも何かしたい」

 灼の決意じみた欲求を聞いて、花耶はぱっちりとした目を大きく瞠る。

(……灼も、守られるだけ、や)

 どうやら自分でも気がつかない内に、少し過保護になっていたようだと、今気がついた。

「……分かった」

 花耶は頷いた。

 おそらく、二人では蓮を救い出すのは無理だろう。だが、時間稼ぎはできる。

「二人で、蓮を、守ろう。皆で、助けよう」

「おう!」

 灼は、やる気に満ちた笑みで笑った。


「……しゃがんで」

「んぇ? おう」

 灼は言われた通りにしゃがんだ。

 花耶は口と鼻を押さえて、上を睨んでいる。

「?」

 灼も真似をしつつ、上を向く。

「んぇっ⁉ 何だあれ!」

 そこには、白緑色の煙が浮いていた。

「分からない。でも、吸わない方が、いいと、思う」

「吸わねー方がいいって、どんどん充満してきてるんだけど⁉」

 果たして、地下二階につくまで耐えられるだろうか。

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