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【よし! 守りが手薄になったぜ。そろそろあの雑魚女を取っ捕まえてくるわ】
化穢は、穂花と春介の元に向かおうとする。
「待て。この幻覚の罠を試してみてぇ。先に、滝峰を連れてこい」
【あ? 何でだ? 人質なら、弱い奴の方が適任だろ】
「強い奴を一人でも多く潰すんだよ。それに、人質も一人増える。あっちは一人でも欠けるのが嫌だろうけど、こっちは最悪、一人は殺しても大丈夫って状況だ。心理的に、でかいアドバンテージになるだろ」
【……そうか】
続けて、訊いた。
【あの滝峰って女は、強いのか?】
すると、梶原は昔の事を思い出し、イラつきながら言った。
「強いってより狂暴な糞女だ‼ ちょっと態度の悪ぃ女を小突いて注意してただけでしゃしゃり出てボコった上に、俺の兄貴もやりやがったんだからな! 兄貴の友人なんて、一生車椅子になったんだぜ⁉」
事実をねじ曲げて記憶しているのか、もしくはただ蓮を邪悪な加害者に仕立てあげたいのだろうか。
実際は、梶原達に殴る蹴るされていた穂花と舎弟を助けようとした事である。さらに、兄の件は梶原がけしかけた事。友人の負った障害は、蓮をバイクで轢こうとした時にバランスを崩して転倒した事による怪我が原因。つまり、自業自得だった。
【へぇ。意外と、ひでぇキチ女だな】
だが、化穢はそれを信じたようだ。
その目は、獲物を見つけたとばかりに鋭く細められた。
(このレバーは、一体どんな効果があるんだろうな? もしこれが駄目なら、罠に嵌めてやりゃいいだけだ)
どうせならとばかりに、梶原は幻覚レバーを目一杯倒し、蓮だけが映るモニターと対応したボタンを押した。
◇◆◇
「!」
勢いよく、階段の上り口と下り口でシャッターが降りてきた。
「げっ!」
蓮は大急ぎで地下に降りる。
が、僅かに間に合わず、ピシャリとシャッターが閉じてしまった。
「《纏霊刃》!」
蓮は霊棍を鉄パイプに変えて詠唱。刃が形成され、槍になった。
ガァンッ。
勢いも乗せて、槍をシャッターに叩きつけたが、傷一つつかない。腕に振動が伝わる。
「固ぇ……‼ くそが!」
苛立たしげにシャッターを蹴る。
「上は……。⁉」
階段上も見ようと、踊場に戻った時に気がついた。天井から、白緑色の煙が放出されていた事に。
「嘘だろ⁉ 毒ガスかよ‼」
蓮は下に避難し、シャッターに手をかけて開けようとする。しかし、開かない。
今度は体当りをするが、びくともしない。
白緑色の煙は、もう踊場を呑み込んだ。
ガガガガッ。
何度も何度も、槍を突き立てるが、全くぶち破れない。
やがて、煙は蓮に到達してしまった。しゃがんで少しでも煙から離れる。それでも顔に到達し、目を閉じて鼻と口を押さえた。
「…………っ。…………! ――――‼」
息を止めていたが、そう長く続かない。少し、空気と一緒に煙を吸ってしまった。
がくりと、足から力が抜ける。
(やべぇ‼ この毒ガス、こんな量でも効果あるのかよ⁉)
耳鳴りか何かだろうか。カンカンカンと聞いた事のある音が響く。
(……いや、この音……)
どくり、どくりと、心臓が嫌な脈の打ち方をする。
耳鳴りではない。その音は、本当に聞いた事があった。
うっすらと、目を開く。
「‼⁉」
そこは、自分と春介が死んだ、駅のホームだった。
「な、何で……? 駅、逆、だろ……?」
ぶわっと、汗が噴き出る。どくりどくりと、心臓が警鐘を鳴らす。息苦しい。前後左右上下に世界が回っているようで、気持ちが悪い。涙で視界が滲む。
自分達が死んだ時も、煩いぐらいに踏み切りの音が響いていた。
首だけになった春介の虚ろの目が脳裏に、鮮明によぎる。
(こ、これは幻覚だ! あの毒ガスは、幻覚見せる効果あったんだ!)
蓮は必死に自分に言い聞かせる。
もうあれは、過去の事だ。未然に防ぎたくてもできない、過ぎた事だ。
(謝ったら、春介は『蓮は悪くない』って言ってくれた‼ だから……‼)
『それ、本当におれの本音だと思ってるのかい?』
不意に、冷たい声が聞こえた。
その方向に視線を向け、絶望に目を見開いた。
それは、自分が屍霊となる直前の光景――春介が蓮を助けに、ホームから飛び降りた光景だった。
電車が、迫る。
「来るなあああああああああああああああああああああああああああッ‼‼」
喉を裂くような悲鳴。
過去よ変われ! せめて、あいつだけでも生きている過去に変われ!
その願いは、たとえ幻覚でも、叶う事はなかった。
電車が、通りすぎた。
「あ……ぁ……」
原型を留めていない、自分の体か春介の体が分からない肉片。だがその中で、春介の顔がこちらに向いていた。
悲痛な甲高い絶叫が、鼓膜に刺さる。
この時、もう一人いた。
ホームに視線を戻すと、穂花が泣き叫んでいた。『嫌だ』『何で?』『死なないで』『生き返って』涙の合間に、そんな言葉が降ってくる。
『……おれ、まだ生きたかったなぁ』
「ッ⁉」
肩を震わせ、言葉が聞こえた方をゆっくりと向く。
春介の首だった。
春介は、暗い目でこちらを睨んでいた。
『春くんは、あなたに巻き込まれて死んだ』
まるで裁判官のように冷たい言葉が、心臓に刺さる。
『何であなたは、殺されたの?』
『何で君は、殺されたんだい?』
蓮が殺された理由。それは。
「虐めをなんとかしようとして……怨み……買った、から」
蓮は、殺された。動機は、逆恨みによる復讐。
だが逆恨みだろうが何だろうが、蓮には関係ない。
自分の愚かな正義に従った結果、殺され、春介も死んだ。親友は、恋人を置いて逝った。
自分が、余計な事をしたせいだと、蓮は悔やんでいた。
『泣いても、君のした事は消えないよ』
どこからやって来たのか、黒い長羽織を着た首なし死体が春介の首を拾い上げ、ぐちりと体につけた。
『返してよ。生きている春くんを』
『返せよ。おれの、穂花と一緒に生きるはずだった人生を』
春介は、大きな両手で蓮の首を掴み、捩るように締め上げる。
「カ……ッ! ギ、ゥ……ッ!」
息ができない。意識が霞む。
口を動かすが、声が出ない。
(ごめん……! ごめん、なさい……‼)
懺悔の声は、誰にも届かなかった。




