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怨夢の中では生者がほとんど見られなかった。この猛火にやられてしまったのだろう。
そんな状況でも、まだ生きている者がいた。
【グルルルルルル……】
「……っ」
隻腕の老人は、仕込み杖の切っ先を穢憑き共に向けていた。
【【【【【ガアアアアアアアアアッ‼】】】】】
穢憑きが、一斉に襲いかかる。
老人は、全て見切った。
「ッ!」
振り返り様、よろけそうになる足に力を込めて踏みしめ、一体に折れた刀を突き立てる。
【グルゥ!】
しかし、刀を掴まれた。
「くっ!」
放り投げられる前に刀を手放し、距離を取る。
普段ならば、このような雑魚に遅れは取らなかった。
しかし、今回は状況が悪すぎた。
周囲に満ちる熱気。
一呼吸一呼吸が、体力を奪う。
肌がヒリヒリと焼ける。
正直、立っている事すら辛い。
おそらく、走って逃げるのも無理だ。
(それでも、まだ果てる訳にはゆかぬ……! 人間共を殺すまでは……‼)
穢憑きを睨みつける。
五体から拳や爪、蹴撃が繰り出されるが、老人は無駄な動きなく避ける。
しかし、このような灼熱の中で激しく動き回った代償は、すぐに来る事となった。
「――……。っ!」
一瞬、意識が飛ぶ。倒れそうになるのを意地で持ちこたえる。
その隙を、穢憑きは見逃さなかった。
【ガァッ‼】
「ぐっ⁉」
一体が、蹴り飛ばした。
とっさに片腕で庇い、胴体へのダメージは防いだ。
「‼」
しかし、飛ばされた先は、炎上する床。
突っ込めば霊体が焼失し、魂のみとなる。
そうなってしまえば、もう抗うすべはない。
迫る死の熱源。
避けきれない。
「危ねぇ!」
しかし、ギリギリのところで体当たりするような勢いで庇われた。
老人を庇ったのは背の高い中性的な女――蓮だった。
「《痺雷針》!」
さらに別の声。
雷の矢は、老人を蹴り飛ばした穢憑きに風穴を開ける。
「蓮! お爺さんは⁉」
弓を持った千絃が訊く。
「大丈夫だ! ただ、この火ぃヤベェ。毛衣焦げた」
裾がかすったのだろう。わずかに焦げ落ちた。
「嘘でしょ……⁉」
戦慄する千絃。
毛衣は耐火性能が高く、普通は焦げたり燃える事はない。
(数は四。いくら蓮でも、お爺さんを守りながら全部倒すのはきついはず。春介なら霊棍的に余裕かもしれないけど)
一瞬で蓮の力量と状況を鑑みる。
(あのお爺さん、熱中症起こしてるな。連れて逃げるのは無理だ。なら、倒すしかない!)
「僕が二体やる! 蓮はそれまでお爺さん守って!」
「おう!」
蓮は霊棍を出し、霊力を込める。霊棍は、槍のように長い鉄パイプになった。
千絃は一瞬で術式を組み上げ、さらに手を加える。
総合的な威力は落とさず、しかし範囲を狭めた、密度の高い範囲攻撃。
「《痺雷雨》!」
直後、超局地的な雷の豪雨が穢憑き二体に降り注いだ。
【【――――――――‼】】
微かに穢憑きの悲鳴が聞こえるが、雷の前にかき消される。雷が止んだ時にはすでにその黒い姿はなく、代わりに魂が漂っていた。
「っしゃあ‼」
蓮は穢憑き二体の攻撃を防いでいたが、一体を吹っ飛ばし、もう一体にぶつけるようにして隙を無理矢理作った。
「爺さん! ひょろい奴の方に……って早ぇ⁉」
「誰がひょろいって⁉」
蓮が指示を出した時には、老人はよたよたと千絃の方に移動していた。
「これで思いっきり殺れるぜ……!」
美しい顔が、凄惨に歪む。
【ガアアアア‼】
【グルァ‼】
爪が右と正面から迫る。
「《纏霊刃》!」
身を低く躱し、踏み込みながら詠唱。
鉄パイプに霊力でできた幅広い刃が形作られる。
【ガァッ⁉】
一体に槍となった鉄パイプをブッ刺す。
穢憑きは目をかっ開いたまま霧散。後に魂が残る。
【グゥア‼】
「!」
残りの一体が蓮の背中めがけて爪を突き出す。
「当たると思ってんのか⁉」
蓮は振り返りながら槍を袈裟懸けに振り下ろす。
穢憑きの胸に切れ込みが入り、腕がぼとりと落ちる。
(っち! 浅ぇ!)
瞬時に片足を斬り飛ばす。穢憑きはバランスを崩し、倒れる。
蓮は穢憑きの視界を塞ぐように顔を鷲掴み、短く持った槍をみぞおちめがけて突く。
ドスッ。
穢憑きを床に縫いとめた。
貫かれた穢憑きは瘴気となり霧散。瘴気が晴れると生者の魂が浮遊していた。
「よし。爺さん、大丈夫か?」
影に魂をしまいつつ、老人にかけより、手を差し出した。しかしその手は、パシッと払いのけられた。
「「……え?」」
驚く二人。老人は憎悪を込めた視線を蓮に投げ掛けている。
「女、お前は人間であろ」
「元人間だよ。亡者は人間でも人外でもねぇ」
老人の態度に眉根を寄せつつも反論する。
「どちらにしろ同じ事。人間の手は借りぬ」
「あ゛? 何でだよ」
「蓮、待って」
キレそうになる蓮の前に、千絃が割り込んだ。
「あの、なぜなのか理由をお伺いしてもいいでしょうか?」
千絃は老人を刺激しないように訊く。
「人間はわしの娘と、その婿を殺した。その上、孫も連れ去った。わしの片腕はその時に切り落とされたのじゃ。亡者とはいえ人間に助けられるなど、わしの誇りが許さぬ」
蓮は舌打ちした。
よくいるのだ。こういう人間嫌いの人外が。
大抵は親やまわりの大人から人間の悪行を聞いて嫌悪感を持つ場合が多い。しかし、この老人のように実際に被害を受けて憎んでいる者もいる。
「蓮。この人は僕が運ぶよ」
「いや。それじゃあ遅ぇし、こけるかもしれねぇ。それに護衛なら遠距離攻撃のできる千絃の方がいい」
体力は千絃よりも蓮の方がある。蓮が老人を運ぶ方が効率的。
さらに道中、穢憑きや化穢に襲われる可能性もある。千絃ならば近づかれる前に討伐するのも可能。
より安全かつ迅速に怨夢の外に運び出すならば、蓮が老人を背負って千絃がその護衛をした方がいいのだ。
「爺さん。死ぬよりましと思って、今だけ誇りなんか忘れろ!」
「人間に助けられるという生き恥を晒すくらいなら、死んだ方がましじゃ‼」
「――っ!」
ついに蓮の中で何かが切れた。
拳を握りしめ、ボディブローをかます。
「ガッ⁉」
老人は手の平で受け止めようとするが、力が足らずめり込んだ。
蓮は気絶した老人を肩に担ぐ。
「れ、蓮……」
「あたしらは他の生者や魂も回収しねぇとなんだよ。こんなジジイの我儘なんか聞いてられるか」
さすがにやり過ぎと諫めようとした千絃だったが、蓮の浮かべている表情を見て、口をつぐんだ。
(まだ生きたかったのに死んだ奴や、死んでほしくねぇ奴に目の前で死なれた奴だっているんだ。それを誇りだの何だのくだらねぇ事で命を捨てるような事してんじゃねぇよ)
◆◇◆
花耶は俯きながらも春介と怨夢内の探索をしていた。
すでに魂を十四、五個集めており、その内の九個は亡者の魂である。
怨夢内で亡者になってしまう要因はいくつかあるが、共通するのは魂の緒が切れてしまう事だ。
特に、今回の主な原因は炎だろう。
霊体は致命傷を負うと、屍霊等の例外を除いて消滅する。そうなると魂と魂の緒が無防備な状態で晒される。
通常、劣化により魂の緒が切れるのは、短くても数日ほど。しかし、状況によってはすぐに切れる場合もある。
今回の場合、怨夢に閉じ込められた瞬間などに炎にまかれて霊体が焼失。その後、魂の緒は炎に晒され続け、劣化が早まったのだろう。
怨夢が発生してからあまり時間が経っていない今ぐらいならば、普通は亡者の魂はあまりなく、代わりにまだ霊体が消滅していない生者に会ってもおかしくない。その場合は怨夢の外に誘導するのだ。
しかし花耶達は生者には一人も会っていない上に、おそらく炎にまかれたであろう亡者の魂と侵度三以下の穢憑きしか見ていなかった。
そんなしょんぼりしている花耶の頭に、春介はぽふ、と大きな手を置いた。
「たまたま遭遇してないだけで、きっと生者はいるさ。もしかしたら、仲間が保護しているかもしれない。何か後悔があるなら任務終わりに聞くからさ、今はできる事を頑張ろう」
「……ん」
暖かい声音にこくりと頷き、顔を上げた。
(保護に、集中)
◆◇◆
しばらく穢憑きと交戦したり探索していると、廊下が焼け落ちた場所についた。
幅はかなり広く、花耶でも助走をつけた上で壁走りや壁蹴りで渡るのは厳しい。
「……上」
「あぁ、踏み台があれば行けるかい?」
「ん」
上を向くと、一部が崩れているところがあるものの、まだ足場が残っている。あと少しだけ花耶の身長が高ければ、跳躍して届く高さだ。
「じゃあ少し待っててー」
春介は崩れている場所の真下よりやや外側にしゃがみこみ、両手を組んだ。
「よし。いいよー」
間延びした合図と同時に、花耶は駆け出す。
春介の手に足をかけると、真上に押し出されるように勢いよく持ち上げられた。
最頂点に達すると跳躍。
身を捻りながら上の階の床を掴み、軽々と登った。
異空鞄から鎧草というちぎれにくく燃えにくい材質を芯にして作られた縄を取り出し、近くの手摺に固く結びつけて下の階に垂らした。
「よ、こいしょっ」
強度を確かめた後、春介はゆっくりと登り始めた。
春介が登ってくる間、軽くだが周りを探索しておく。
「ギャアアアアアア‼」
「!」
肉を抉る音と、悲鳴。
千絃の言葉を思い出し、身を潜めて声のした方をこっそりと覗き見る。
遠くの暗がり。
今までに見た者とは違う穢憑きがいた。
黒いドロドロの肌に、黒い鎧。しかし黒い炎が噴き出している。
そして、その手にはまだ魂の緒が繋がっている魂。
穢憑きは、魂の緒を掴んだ。