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都市伝説、死神迷宮。
何の前触れもなく、死神の徘徊する迷宮に閉じ込められる。
その迷宮の見た目は様々で、学校や病院等の施設から市街地や公園などの野外まで、何でもありという感じだ。
そして死神も、ほとんどは人型という話だが中には泥や硬い鎧の体を持つ異形の化け物、あるいは複数種類の死神を迷宮内で見たという者もいた。
だが死神に共通するのは、泥や鎧の色、人型の場合は羽織やローブの色が黒いという事。
もし迷宮内で死神に捕まってしまったら、魂を喰われてしまう。その迷宮から脱出するには、出口を見つけなくてはならない。
ただ、制限時間があり、急いで脱出しなければならない。
もし逃げ遅れてしまうと、迷宮ごと死後の世界に引きずり込まれてしまうから。
「ちょっと! こんな時に怖い話はやめてよ!」
茶髪の女は黒髪の女に言った。
「でも、ちょうど今の状況と似てない?」
黒髪の女も、どこか怯えた顔で言った。
周りは木々が生い茂る森。地面はやや坂になっており、おそらく山の中なのだろう。
急に眠くなり、気がついたらここにいた。
神社に避難していた事もあり、さっきまでは寝惚けて神社の外に出てしまったのだと思っていた。歩き続ければ神社、もしくは道路に出るだろうとも思っていた。
しかし移動した先にあったのは、霧の壁だった。その霧の中を進もうとしたが、元いた場所に戻ってしまうのだ。
さらに道中、黒い羽織を着た死神を見た。近くの茂みに身を隠したので、やり過ごす事はできたが。
認めたくはないが、死神迷宮の可能性が高いだろう。霧は迷宮の壁のような物だと黒髪女は思った。
「た、ただの都市伝説でしょ? ありえないわよ」
茶髪女が恐ろしい考えを振り払うように首を横に振る。
その恐怖を助長するように、茂みが揺れた。
「ヴォー……ッ‼」
低い唸り声と共に、巨大な熊が姿を表した。
「「……ッ⁉」」
叫ぶ事すらできなかった。
ネット等で熊相手に叫ぶのは厳禁だという知識はあったが、それとは別に反射的に喉がヒュッと締まり、声すら出なくなっていたのだ。
ネットで調べた熊対策の知識が走馬灯のように脳裏に流れる。
「だ、大丈夫、大丈夫……。私達は、怖い人間でも美味しい人間でもないよー」
両手をゆっくりと上げて穏やかに話しかけ、熊を刺激しないようにゆっくりと移動する。この時、突進に備えて木等が障害物になるような位置取りを心がけた。
不幸な事に、熊撃退スプレーは持っていない。
このまま離れられればいいが、もし突進されたら防御姿勢を取る。
顔と腹部を守るように俯せになり、両手を首の後ろに当てて守る。首を噛まれるよりはマシだ。
背中はリュックサックがプロテクター代わりに――。
(……ヤバい)
黒髪女は気がついた。
この防御姿勢は、リュックサックを背負っている事が前提である。突然迷宮に閉じ込められた彼女らは、持っているはずがない。
それに気がついたのだろう。茶髪女も青ざめている。
(ええと、後は戦うしかない)
刃物が望ましいが、そんな武器を持っているはずがない。
(目を狙うか、太めの枝で)
すでに熊と自分達の間には太い木がある。突進されても、多少のタイムラグはあるだろう。
油断していたつもりはないが、甘くみていた。
「グオオオオオオオオオオオ‼」
熊は雄叫びを鳴げ、突進してきた。
バキッ。
障害物である木を一撃でへし折って。
「「⁉」」
時間が、ゆっくり流れるような気がした。
しかし、体が動かない。頭が、真っ白になる。
熊の牙が、迫る。
「《痺雷――》ちょっ! 花耶‼」
だが、牙が届く事はなかった。
「グァ⁉」
女達と熊の間に小さな少女――花耶が割り込み、苦無を熊の口に刺したから。
だが熊はまだ絶命しておらず、標的が花耶に変更される。
花耶が駆け出すと、熊はその後を追う。
熊の突進がくるが、花耶はひらりと躱す。
方向転換しようと、熊が速度を緩めた時だった。
「《痺雷針》!」
雷の針が、熊の頭を貫いた。
ドッと重い音をたてて、熊は倒れこむ。
どうやら本物の熊ではなく、怨夢内の罠の一つだったようだ。
熊の体が透け、やがて実体がなくなり消えた。
「花耶ー!」
千絃が名前を呼びながらかけてくる。
「怪我してない⁉ 咬まれたりとかは⁉」
「平気」
第一声で出てきた心配に答えると、千絃はほっとした。
しかしそれも一瞬。キッと睨み、声を荒げた。
「急に飛び出しちゃ駄目でしょもー! 危ないでしょ‼ 普通の人は、熊の前に飛び込んでいかないよ‼」
「……ごめん」
叱られた花耶はしょんぼりと俯いた。
「……し、死神……?」
「!」
呟かれた言葉に、千絃が振り返る。
「あ、すみません! あなた達も、大丈夫ですか?」
と、訊きながら女二人に駆け寄る。
「「キャアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」」
「え⁉」
女達は悲鳴をあげて逃げ出したが、花耶が回り込んで行く手をふさいだ。
「ひっ⁉」
「あ、あの……」
「「‼」」
千絃が後ろから声をかけると、女達はへたりこみ、泣きながら命乞いを始めた。
「ご、ごめんなさいごめんなさい……‼」
「い、いいぃ命だけは、命だけは……‼」
その様子を見た千絃は、なんとなくこの反応の理由を察した。
(あぁ、都市伝説か)
死神迷宮という都市伝説には、間違いがある。
都市伝説では死神は複数種類いると言われているが、おそらく黒い羽織やローブを着ている死神は自分達の事。泥や黒い鎧の異形の化け物は化穢や穢憑きの事。それらがごっちゃになって、死徒も化穢と同じような扱いにされたのだろう。
ただ、自分達にも非はある。
彼女らのように、本気で怯えて話すら聞かない生者に攻撃をし、魂だけにする死徒もいる。
理由は、その方が手っ取り早いからだ。生者は魂の緒さえ繋がっていればいい。そして、影の中に入れてしまえば魂の緒が切れる事はない。非常に合理的な考えの末、そのような行動をするのだ。
千絃自身も、敵に囲まれた時等の本当にどうしようもなくなった時にその手段を用いるのは間違っていないと思っている。いい手段ではないが、死ぬよりはマシなのだ。
ただし、本当に最後の手段だ。乱用してしまってはこのように誤解を生んでしまう。
人外や祓い屋等の、自分達亡者を認識できる者ならば理解してくれるが、何も知らない一般人間からしてみればやっている事が化け物と同じである。
「えーと……。大丈夫ですよ。僕達はあなた達に危害を加えるつもりはありませんから」
と、千絃が説得を試みる。花耶はこくこく頷いた。
「嘘だ! あんた達、死神でしょ⁉」
「魂を喰べるやつらでしょ⁉」
「いやいやいや! 僕達は喰べませんよ! むしろ助けるタイプの死神ですから! ここの出口までちゃんと案内しますし――」
「そうやって油断させて喰べる気なんでしょ‼」
「もしくは出口目前で喰べるとか‼」
「そんな鬼畜な所業しませんよ!」
「そんな妖怪みたいな外見じゃあ信じられないわよ‼」
「イケメンだからって何でもかんでも信じてもらえると思わないでよ‼」
そう言われて、千絃は一瞬言葉を失った。
千絃と花耶は今、視界共有している。瞳の色が、濃紺と深紅のオッドアイだ。
もし千絃の瞳の色が、緑や明るい青、茶色等だったらまだ人間だと隠し通せただろう。花耶の瞳も、光の加減によっては黒く見えるので誤魔化せはした。
しかし千絃の瞳は深紅。アルビノならば赤い瞳の者もいるかもしれないが、千絃のそれはアルビノにしては色が深い。おまけに花耶はアルビノとは程遠い容姿。
戦時中で妖怪が人間を大量虐殺しているこのご時世で、人外にしか見えないような人物を信用しろというのは無理な話である。
「わ、分かりました! では信用しなくても大丈夫です! ですが、ここにはさっきの熊みたいな化け物がうじゃうじゃいます。僕達ならそれらから守る事もできます。自分の身を守るためにも、ここは一緒に行動しませんか? 敵の敵は味方とも言いますし。ね?」
と、言うと女達は沈黙して考えた。
確かに、また熊のような物に襲われてはたまったものではない。自分達を取り囲んでいる二人は、太い木を一撃で折るような化け物を倒せる。少なくとも、熊からは身を守る事ができる。
しかし逆に言えば、熊より強い者に襲われる危険を身近に置く事になる。逃げようにも、花耶の足の速さを考えると無理だ。
「……では、二人とも手と口を縛ってください。それと、女の子の武器もここに捨ててください」
茶髪女は、二人の攻撃方法の一部を封じる事にした。
「え゛っ」
千絃の声が裏返った。
確かに千絃と花耶は、熊に勝てるくらいには強い。しかしそれは、武器や妖術が使える事が前提だ。素手だと、花耶は攻撃を避けるだけ。千絃にいたっては躱す事もできない。
武器も使えず妖術の詠唱すらできない状態では、完全に役立たずである。
「いやいや! それじゃあまともに戦えませんよ!」
「万が一、あなた達に襲われた時に少しでも逃げやすくするためです!」
「あなた達は熊より強いんですから、その分危険なんですよ!」
「じゃあ、せめてこの子だけでも勘弁して――」
「「だめです!」」
全く譲る気はないようだ。最終的に、千絃達が折れた。
「……花耶。こうなったらもう危険察知能力しか頼りにならないから、極力敵に遭遇しないようにお願いしてもいい?」
「ん」
「ごめんね」
「んん。平気」
小声でそんなやり取りをした。
その辺に生えていた蔦で手首を縛り、舌が回らないように口の中に詰め物をした上で猿轡をする。
(最近の子は本格的な方の猿轡のやり方まで知ってたの?)
もし、ただ布を口に噛ませるような猿轡もどきならば、まだ舌を動かせるので詠唱はできただろう。しかし今は、舌がほとんど動かないやり方をされてしまっている。千絃の妖術は全く使えなくなった。花耶も祓穢術を使えない。
◆◇◆
途中、何度か熊や狼、猪等に遭遇しかけたが、花耶がいち早く察知して危険を回避した。
本物ではないが、生きている人間を殺す為だけに作られた罠だ。実際に襲われたら、本物より絶望的な状況だっただろう。
「!」
「ねぇ、あれって」
二人に案内された場所は、巨大な神木だった。
木の幹に人が入れそうなほど大きな樹洞があり、向こうの風景が森の中でも木の中でもなく、どこかの町の中だった。
「もしかして、出口?」
黒髪の女が訊くと、二人はこくりと頷いた。
その瞬間、女二人は駆け出した。
「んぅ⁉ んん、んっん‼」
千絃の蔦と猿轡を取って欲しいという訴えに、女達は止まった。
多少、信用はしたようだが、まだ信じきれないようだった。
そこで、一歩後ろに下がれば怨夢から脱出できる位置で花耶の手首を縛っている蔦だけはずした。万が一の事が起こっても、花耶のように体が小さく、さらに素手ならばひどい怪我にはならない、二人がかりならば抵抗できると考えての事だった。
「……ん」
蔦だけを外してもらった花耶は一歩、女達から離れてお辞儀をした。
女達はすぐに怨夢の外に出た。
瞬間、体のある方向に一気に引っ張られた。
◆◇◆
「「!」」
女達は神社内の神楽殿で目を覚ました。
まわりには避難中に仲良くなった者達と、医者がいた。
「起きた!」
「大丈夫ですか?」
「心配したんだよ!」
「急にぶっ倒れたんだから!」
その後、軽い診察をしてもらったところ特に体に異常はなかった。
話を聞いたところ、境内で急に倒れたとの事。神社内に医者がいたので診てもらったら、ただ眠っているだけで原因は不明。何をしても起きなかったようだ。
女達も、怨夢での話をしたら心配された。
普段ならただの夢ですまされそうだが、実際に現実で妖怪に襲われ、神社まで逃げてきた状況では信じるしかなかったのだろう。
しかし、思いの外死神が安全だったという話だけは信じられない様子だった。戦時中で、警戒心が強まった為だろう。
「……もう少し、素直に言う事を聞けばよかったね」
「うん。……男の方は、少しだけ格好よかったし」




