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雨の降る暗い路地裏。
女は妖怪に首を掴まれ、足が宙に浮いていた。
その妖怪は、火鬼という種族。その首には、木の板がつけられた縄でくくりつけられていた。さらに、ぼろぼろのスーツを着ている。
「い゛ぁ……っ! ゃえ゛、で……っ‼」
涙を流す女に構わず、火鬼は手に力を込めた。
「やめぬか‼」
その瞬間、怒号と共に足下の水溜まりから小刀を持った手が出て、火鬼の足を刺した。
「⁉」
あまりの激痛に、火鬼は女から手を離して足を押さえる。
「げほっ! げほっ! な、何⁉」
激しく咳き込んだ後、水溜まりに目をやった。
「ひっ⁉」
水溜まりから姿を表した老人に、女は悲鳴を短い鳴げる。
「お嬢さん、こちらへ」
穏やかな声だが、老人は女の手首を両手で掴み、水溜まりの中へ引きずり込もうとする。
「いやぁ⁉ なになになに⁉ 化け物‼ やめて‼」
「こ、これ! 暴れなさんな!」
女は抵抗するが老人の力は強く、水溜まりの中へ連れ去られてしまった。
◆◇◆
「よっこらせ」
「……え?」
老人は路地裏から離れた、半壊した建物の窓から女を外に出した。しかも、ギリギリ雨で濡れない木の下だ。
「あちらへ一町ほど走った所に、祓い屋のいる寺がある。まわりに妖怪もおらぬ。急いで逃げんさい」
老人は柔和な笑みを浮かべて言った。
「あ、あの……。殺さないんですか?」
「殺しはせぬよぉ。儂は人間が好きじゃからのぅ」
そう返されて、女はきょとんとした。
このような漫画や小説のような奇跡、今だに実感できないが、ぺこりと老人に頭を下げる。
「すみません! さっき、化け物って言ってしまって……」
「よいよ、よいよ。儂こそ、強引に連れて来てしもうたからのぅ」
そう言うと、老人は鏡のようになった窓から異空間に入った。先ほど、水溜まりからここまで避難するのに使った空間だ。
「さて。名残惜しいがお話しはこれまでじゃ。儂は鏡爺。祓い屋に見つかると不味いからのぅ。お嬢さんも、早く逃げんさい」
「はい! ありがとうございます!」
「達者でのぅ」
老人は、窓ガラスから去っていった。
◆◇◆
路地裏には、足を刺された火鬼がいた。
「! 大丈夫ですか⁉」
通りかかった春介が、水溜まりを跳ねさせながら駆け寄る。
「‼」
亡者ではあるが、元人間の春介を見た火鬼は、足を酷使しながらも襲いかかる。
「おっと⁉」
春介はとっさに火鬼の手首を掴み、親指が下になるようにして外に捻り、体重を相手の手首にかけた。
「ギャア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ⁉」
火鬼は絶叫する。
春介が死後に独学で学んだ、逮捕術の技の一つである。
足を負傷していて踏ん張りが利かず、捻られた手首の激痛から逃げるようにうつ伏せになる。
「はい、こっちの腕も失礼しますよー」
春介は火鬼の背に馬乗りになって片方の腕も後ろにまわさせ、両腕の関節を極める。その上で自身の太腿に固定。
こうする事で、相手は手を使う事ができなくなる。押さえ込むのがかなり楽になる。
相手が怪力しか自慢できるところがなければ、だが。
「《火衣》」
火鬼が詠唱すると、全身が炎に包まれた。
瞬間、春介の羽織の内ポケットから護符が破れる音がした。
(危な! 異能の方を使われたら火傷するところだったぁ)
「《異空鞄》」
春介は異空鞄から小刀を出し、首を切らないようにしながら縄を切った。
正気に戻ったのだろう。火は収まった。
そして、火鬼に襲いかかる手首と足の激痛。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼⁉」
先ほどよりも大音量の絶叫が路地裏内に響き渡った。
「《快癒》」
火鬼の背からどいた春介は、火鬼の足を治した。
「大丈夫ですか?」
「……手首が痺れて感覚がありません……」
「そ、それは……。すみません」
謝罪する春介。
「いえ。それより、あんたは大丈夫ですか⁉ 足燃えてましたよ⁉」
「大丈夫です。ある道具で火を防いだので」
そう聞いた火鬼は、暗い表情で口を開く。
「こ、これって、やっぱり夢ですよね? 俺が化け物になったり、人、殺したり、……放火、したり……」
血を吐きながら懺悔するように訊いてきた。
自分の意思が強制的に封じられて、トラウマになるような犯罪をさせられたのだ。
夢だと伝えられたら、どんなによかった事か。
「……すみません。おれからは、とてもはっきり答えられません。代わりと言ってはなんですが、戦争が終わって半年までの間、配給などを手伝ってくれれば衣食住を保証してくれる所があります。とりあえず、そこでこれからの事を考えましょう」
落ち着かせるように穏やかな声音で話す。
火鬼は俯いていた顔を上げる。
「そこでは、娘と妻も保護してくれますか?」
「奥さんとお子さんですか?」
「はい」
火鬼が頷くと、春介は少し考える。
「訊いてはみますね。もし、駄目だったとしても安全な避難場所がいくつかあるので、一番近い場所までおれが責任を持って連れていきます」
「お願いします!」
火鬼は頭を下げた。
「それで、奥さんと娘さんはどちらにいるか分かりますか?」
「…………」
分からないようだ。当然と言えば当然だろう。彼が拉致されたのは何ヵ月も前なのだ。
「では、お二人の写真か何かはお持ちでしょうか? 仲間にも見せて、探してもらうので」
「財布の中にありましたが、今は持っていません。もしかしたら、家にあったかも……」
「家かぁ……」
最悪、火鬼の自宅が焼け落ちて焼失してしまっているかもしれない。
だが残っている可能性もあるので、二人は火鬼の自宅の方向へ移動した。
◆◇◆
火鬼は絶句した。
かろうじて形は残っていたが、見るも無惨な住宅街が広がっていた。
壊れた塀や壁に、道を埋め尽くすような大量の死体。
地獄があるなら、まさにこんな光景だと火鬼は思った。
しかし、操られている時にもう多少は見慣れてしまったのか、吐きはしなかった。その事が辛かった。
「ご自宅がどこか、分かりますか?」
「あ……はい。確か……」
死体を端に寄せる時間がないので、せめて踏まないように注意しながら移動し、不自然な崩れ方をした塀の所で止まった。
「ここに曲がり角があったはずで、こっちをまっすぐ行くと、家が……。⁉」
道中、目に入った腐敗死体を見て、火鬼は頭が真っ白になった。
その腐敗死体の指に、見慣れた結婚指輪。それは、サイズこそ小さいが、自分がつけている物と同じだった。
そして、その横にある小さな腐敗死体。パジャマやヘアゴムも見た事がある。服は、火鬼の姉が誕生日プレゼントに贈った物。ヘアゴムは、娘にせがまれて買った物。娘のお気に入りだ。
同じ結婚指輪と、服とヘアゴム。
それらを身につけていると言う事は。
「あ……! あぁ……‼」
膝から崩れ落ちる。涙が溢れる。
「どうしました⁉」
春介も屈み、声をかける。
「見つけ、ました……」
火鬼は顔をぐしゃぐしゃにして、やっと言葉を出す。
「愛美と、未来……。妻と、娘……‼」
「!」
春介も目を見張った。
妻と娘を探す必要はなくなった。
既に、死んでいたから。
「愛美……! 未来……! うわああああああああああああああああああああああ‼」
地獄のような現場に、火鬼の絶叫が響いた。




