1
国道近くのある住宅街。
ある男女の集団が、急いで別の避難場所に向かっていた。
最初に逃げ込んだ避難所は、妖怪によって壊された為である。運よく逃げ出す事ができたのだ。
先頭にいる女教師が、曲がり角から顔を覗かせる。生徒からさっちゃん先生と親しまれている、白鳥幸恵である。
人がいないか、地響きのような足音はないか、他に気配や聞きなれない音はないか。神経を研ぎ澄ませ、安全な道だと判断する。
「大丈夫そうです」
幸恵が言うと、念のためにまず、生徒の父親が何人か曲がり角を進む。何もなかったので、女と生徒達が後を追い、その後に残りの父親。
最後に、幸恵が進むのだが、一度後ろを振り返る。
「⁉」
屋根の上に、黒い影が見えた。
「ヒヒヒ、人間共‼ 待ちやがれ‼」
大猿は巨体に似合わぬ身軽さで降りてくる。
完全に、こちらを狙っていた。
「皆! 走って‼」
幸恵の悲鳴じみた言葉に、彼らは駆け出す。幸恵も、彼らを追い越さないようにしながらもスピードを出した。
「何なんだよあれ‼ 猿⁉」
「喋る猿なんて見たことないわよ‼」
追ってくるのは、黒い体毛に覆われた猿だ。しかし、明らかにただの猿ではない。
人語を話すのもそうだが、普通の猿より明らかにデカイ。人間など、二、三人は軽く持ち運べそうなほどである。
あれは、狒狒という大猿の妖怪だ。肉、特に女の柔らかい肉が、食べ物として大好物である。
「お針! やれ!」
狒狒が言うと、背中から鉤針のついた黒髪が伸びてきた。
狒狒の巨体で見えなかったが、背中には女がいたのだ。
「うわぁ⁉」
殿を走っていた幸恵が、髪に捕まってしまった。
「放しなさい! 放せ‼」
髪から逃れようとするが、もがくほど鉤針が肌に刺さる。
「ひっ!」
一気に引き寄せられる。
狒狒の牙が、迫る。
「い、いやぁ‼ やめて‼ 死にたくない‼」
鋭い牙が、幸恵の腕と肩に食らいつく――。
バキッ。
「ブヘッ⁉」
「⁉」
その寸前、青いパーカーを着た男の飛び蹴りが、狒狒の頬に叩き込まれた。
「きゃあ⁉」
狒狒の背中から、女が転げ落ちる。針女という妖怪だ。
「ふん!」
青パーカー男は、幸恵に絡みつく髪を掴むと、力任せに引きちぎった。
「先生! こっち!」
「!」
別のパーカー男が、幸恵の腕を引いて走る。その後ろを、青パーカー男がついていく。
「逃がすか‼」
「待ちなさい‼」
頬を腫らした狒狒と、針女が追おうとする。しかし。
「てい!」
ばさぁっと、粉……いや、砂が狒狒と針女に降り注ぐ。
「ぐぁ……⁉」
「な、に……? 体、が……⁉」
地面に倒れ込む二人の前に、パーカー姿の少女がぴょこっと降り立つ。
「どうにゃっ! 砂子おばあちゃん特製の痺れ砂はっ!」
「シャノ自慢してる暇ねーよ! 行くぞ!」
「にゃー!」
青パーカー男が戻って来て、パーカー少女を回収して去っていった。
◆◇◆
妖怪達を撒き、先に逃げていた生徒達に追いついた。
「とりあえず、この薬あげるのにゃ! その程度の傷にゃら、一瞬にゃ!」
「あ、ありがとう」
(なんか違和感あるけど、名古屋から来た子かしら?)
幸恵はそう思いつつ、シャノから軟膏をもらった。
「あなた達も、ありがとうございます」
パーカー男達に礼を言い、さらに気になっている事を訊いた。
「……もしかして、桐原と城崎?」
「はい」
「さっちゃん先生、久しぶり!」
桐原蒼大と、城崎創は角が見えない程度にフードを上げる。
瞬間、生徒達が取り囲んだ。
「「久しぶり!」じゃねーよ!」
「あんた達、今までどこに行ってたの⁉」
「心配したんだからな!」
「親御さん達なんて、すごく辛そうだったのよ!」
「あと晃もな!」
クラスメートが無事だった事の喜びより、今までの心配が爆発したようだ。さらに、逃げ延びる事のできた友人――晃の様子も、日常的に見ていたからだろう。
そんな彼らを、保護者達が宥める。あまり厳しい事を言わなかったのは、気持ちが分からなくはなかったからだろう。
「……あんた達……っ! 無事で、よがっだ……!」
ようやく目の前の光景を理解できたのか、幸恵は泣きながら言った。
他の二人の事もその後に続けて訊いたのだが、嗚咽とひどすぎる涙声で聞き取り不能なほどだった。
「ごめん。心配かけて……」
「ちょっと、色々あって。まだ話せねーけど、戦争が終わったらちゃんと言うから」
そう言って全員に納得してもらう。
「とりあえず、皆で神社に行くのにゃ!」
「え、神社?」
「そこ、避難場所じゃないよ」
「何で神社?」
シャノが言うと、幸恵達は訊いてきた。
「あの人達、神様を信じてるのにゃ。だから、天罰を怖がって、神様や仏様の領域である神社や寺は手出しできにゃいのにゃ」
「でも、本当に大丈夫なんですか?」
開戦前と比べたら、神に関する事は信じる事ができた。しかし、不安のせいで慎重になる。
「妖怪相手だと、避難所よりは安全ですよ」
「鬼みたいな怪力の妖怪だと、普通に鉄筋コンクリートの壁も壊してくるんで」
蒼大と創は実際に、拳一発で岩を粉砕した事がある。
鉄筋コンクリートでも、一発は耐えられたとしても二発三発を全力で叩き込まれたら、耐えられるかどうか分からない。
一方で彼らも、実際に避難所内で妖怪を見たのだ。その瞬間を見てはいないが、壁を破壊して入ってきたと聞いた。逃げる時に、粉々に砕き割られた壁も見た。
次の避難所が絶対に壊れないなんて言い切れない。むしろ、壊される可能性の方が高い。今回のように、運よく逃げられるとは限らない。
ならば、なぜか妖怪を撃退できた彼らの言うとおり、神社に逃げ込んだ方がいいのではないだろうか。
念の為、安全だと分かるまで一緒に行動する事を約束して、神社に避難する事にした。




