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生前の世界、人間の通うとある高等学校。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼」
少年が一人、廊下を全力疾走していた。
「待てゴルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」
その後ろで、女教師が同じく全力で追跡している。なぜか化粧が崩れている事もあって、せっかくの整った顔立ちが妖怪に見えるほどのブチギレ加減だった。
「先生ぇえええええ‼ 廊下は走っちゃダメだと思いまあああああああす‼」
「ならあんたが止まればいい話だあああああ‼」
「そんな怖い顔で言ったら止まるわけないじゃないすかああああああああああああ‼」
「誰のせいで怖くなったと思ってるんじゃあああああああああ‼」
女教師の化粧が崩れているのは、実は少年が仕掛けた悪戯によるものである。
少年は教室の黒板側の入口に、持参してきたラップをちょうど女教師の顔の高さで張っておいたのだ。
少年の目論見は見事大成功。女教師はラップに気がつかず、そのまま当たった。
しかし、女教師は予想外の格好で来ていたのだ。
「この糞ガキ‼ 悪戯のついでに頭髪とか生活態度とか成績とかまとめて説教したらあああああああああああああああああ‼」
「俺の頭注意する以前に先生だって珍しく厚化粧じゃないすかあああああああああああああああああ‼」
「今日はこの後合コンがあるのよおおおおおおおおおおおおおおおお‼」
女教師は、担当が保険体育という事もあって、体育があろうとなかろうとジャージとすっぴん姿で来ていた。それが今日は、しっかりと化粧を決めて清楚な服装で来ていた。
かなり男受けのいい装いだった。……今となっては見る影もないが。
「せっかく高一以来の彼氏ができると思ったのにいいいいぃぃ‼ しかも相手は弁護士や医者や大学教授の、高学歴高収入組だったのにいいぃぃいい‼」
「あまり高望みしすぎると、連敗記録更新しますよおおおおおおおおお‼」
「だまらっしゃいこの糞チビイイイイイイイィィィィィィェェェェェェェェァァァァァァァァアアアアアアアアアアア‼」
「オレこれから伸びるんで‼ 育ち盛りなんでえええええええええええええええ‼」
切羽詰まった状況でも反論を忘れないあたり、身長がコンプレックスのようだ。
◆◇◆
一方その頃、教室では。
「なぁ。灼、さっちゃん先生に勝てると思う?」
少年――灼の友人達が四人、机を囲んで話していた。
「いやぁ、無理だろ。あの人陸部の顧問だろ? この間SHINOBIに出てたんだし」
「でもあいつ、体格のわりに体力ありあまってるもんなぁ。俺は灼にトッキー三本かけるわ」
友人の一人が、鞄からチョコレート菓子を出してちらつかせる。
「じゃあ俺はさっちゃん先生につくしの村五本」
「えー。俺きのこ派ー」
「ばーか、たけのここそ至高だろー」
こうして、なぜかお菓子戦争が勃発した。
「オレにも取っといてええええええええええええええええええ‼」
そんな中、廊下で灼の声が響いた。
「……あいつどうやって折り返してきたんだ……?」
「「「さぁ?」」」
◆◇◆
その日の放課後。
「いやぁ、勝った勝った♪ 灼、今日はありがとな!」
「へへっ♪ 超楽勝だったぜ!」
どうやら、灼はさっちゃん先生から見事逃げ切ったようだ。
「何が楽勝だよ!」
「追いつかれそうになったところを通りすがりの教頭と激突。二人して生活指導室に呼び出されただけじゃねぇか」
「あのままだったら絶対俺ら勝ってたのによー」
口々に言われた灼は三人を振り返った。ちなみに、教頭は若い頃にラグビーと柔道を経験しており、うまく受け身をとった為、無傷である。
「それでも勝ちは勝ちなんですー!」
「あ、今だいぶムカついた」
「よーし。夏休みはホラゲーオンリー企画やってやる」
「もちろん、プレイヤーは灼。お前な」
「それはマジやめて」
完全に調子こいた煽り顔だった灼は、一瞬で真っ青になった。やんちゃそうな見かけに反して、ホラー系は大の苦手らしい。
「でも灼がやるホラゲーって、すげぇ視聴回数稼げるんだよなぁ」
「お前まで! オレのおかげで賭け勝ったんだぞ!」
「それはそれ。これはこれ」
バッサリと灼の意見は却下された。
実はこの五人、MineTubeというサイトに動画を投稿している。
内容はゲーム実況や実験映像、歌ってみたや踊ってみたまで幅広い。主に、やりたい事をやっているという感じだ。
中でも灼のホラゲー実況プレイが視聴者の中で一番人気である。プレイスキルが高いのもあるが、猿並みに甲高い絶叫を鳴げる様子が意外と受けたのだ。
そんな無様な光景により、視聴者からは『悲鳴猿』略して『ひめ猿』と呼ばれ親しまれていた。
「よし! じゃあ夏休み中にホラゲー企画を完走したら、九月の最初の投稿はお前の好きなやつをやる。それでどうだ?」
「よっしゃそれなら死ぬ気でやる! 歌って演じてみたやりてー!」
先程とはうってかわり、やる気を出したようだ。
「歌って演じてみたか……」
「まず歌と台本用意しねぇとなぁ」
「俺の姉ちゃん声優志望だから、ちょっとコツとか訊いてみるわ」
「灼はどんなんやりたいんだ?」
「えーっと……」
いくつかの曲候補が浮かぶ。ファンタジー世界の冒険をモチーフにした曲や、だいぶ早いがハロウィンっぽい曲が二つ。悲恋ものも受けが良さそうだし子供の喧嘩をモチーフにした曲も面白そうだ。
「やっべ。全然決まんねー」
「いくつかあるんだな」
「じゃあくじで決めるか」
かなり気の早い九月最初の投稿について話し始めた。
「! 何だあれ?」
友人の一人が地面に何かを見つけた。
「ちょっと見てくる!」
「おい、灼!」
それは黒い穴だった。四人はその場で様子を伺っていたが、灼は好奇心赴くままに近づいた。
黒い手が、灼の頭めがけて飛び出した。
「ホァ゛ア゛ッ⁉」
灼はそれを奇声あげながらギリギリで躱し、コケそうになりながら振り返り走った。
他の四人も悲鳴をあげて逃げる。
「うわああ⁉」
しかし、一人が捕まった。わずかに追い越していた灼は咄嗟に友人の腕を掴み、引っ張ろうとする。
「ヒィ⁉」
無数の黒い手が、絡みつく。
「ギャアアアア‼ やめろやめろ! 離せ‼」
恐怖で泣き叫びながら、アスファルトの凹凸に爪をたてる。
それでもガリガリと引きずられていく。
「だれか……!」
灼が最後見たのは、友人二人が黒い手に呑まれるのと、かろうじて逃げきれた友人の後ろ姿だった。