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仕事のため、自分の執務室に戻る途中。雪音は、ある事で頭がいっぱいだった。
(戦、かぁ……)
灼の話していた、妖怪と人間の戦である。
本音を言うと、何があっても絶対に開戦しないでほしい。主な理由は、生者が大量に死ぬからだ。
もちろん生者が命を落とすという事への悲しみや憐憫の情はある。
しかし、戦時中はそんな感傷に浸れないほどに忙しい。
死後の世界史上最多忙だった第二次世界大戦を例にする。
まず年中無休二十時間越え労働は当たり前。下手すると連徹キメる事もあった。あちらこちらに寿命を迎えていない魂が漂っているのでそれの回収しつつ、怨夢が発生すれば部下の現在地を確認して通信鏡で現場に行くよう指示。時にはとんでもない所に魂があって、命懸けで向かう事もあった。怨夢の発生数も非常に多く、怨霊を確保したら獄卒に預けて別の怨夢に即向かうなんて事も日時茶飯事。時には化穢と対峙しているのに別の隊長から応援要請が入る事もあった。焼夷弾による火災に巻き込まれたり、パイロットの中に霊視能力者がいたのか機銃掃射で蜂の巣になったりする死徒もいた。雪音も、何回も狙われ、七回目あたりで相討ち覚悟で銃弾を武器化した霊棍で打ち返して逆に撃ち落としてやろうかと考えるようになった。さすがに実行には移さなかったが。しかし死んでいる暇はないので獄卒に無理矢理蘇生される。手足が欠損しても入院治療を行う時間も人手もないので一度殺した後で獄卒の蘇生。獄卒の蘇生術は本来、地獄で責め苦を受けている罪人が死んだ時に使うもので、数秒で蘇生できる代わりに全身に耐え難い激痛が突き抜けた後で吐くほどの不快感に襲われる。そのため討伐隊の死徒は必死の形相で穢憑きや化穢を屠りまくっていた。諜報隊は死に物狂いで情報をかき集めていた。医療隊は過労のあまり気絶する者がいれば「死んだら蘇生術が来るぞ‼」と仲間に叩き起こされていた。さらに魂の消滅という殉職率も高く、それでだんだん人手が足りなくなる。他国に応援要請しようにも世界中で人手不足なため断られる。むしろ逆に応援要請される。獄卒や天使が応援に来ても足りない。一般亡者として過ごしていた屍霊にも裏方支援と現世見廻をしてもらったが足りない。最終的に玉砕した英霊達にも頭を下げて、専用の依り代を準備して手伝ってもらっていた。さすがに怨夢には行かせず、物資の配給や生前の世界を漂う魂の回収、怪我人の救助と治療等を任せていたが、それでやっと人員がギリギリで足りたので非常に助かった。それでもまだ休む暇が雀の涙たりとも増えなかったが。
そんな修羅地獄が、四年ほど続いたのである。
ポツダム宣言が発され、敗戦は悔しいが、あと少しでこの修羅地獄から開放される――と思っていた矢先に原爆投下。
その報せが届いた時、雪音は医療隊で治療を受けていたのだが「もう嫌あああああアアアアアアアアア‼」という誰のものか分からない絶叫を聞いた。その後からの記憶はない。
それから一年後になぜか広島で、無傷なのに血みどろで意識が戻った。おそらく記憶が飛ぶほどの忙しさだったと、雪音は思っている。
後に陰陽支部の死徒から聞いた事だが、コトリバコやらリョウメンスクナやらヤバイ呪具を大量に作ってアメリカ大陸中にばら蒔こうと、とんでもない事を考えた死徒が何人もいたらしい。雪音の覚えている限りでは、その呪術テロは未然に沈静化されていたが。
(せめて、戦は日本のみで留めてほしいですね。もし異国の方々が反人間感情や反人外感情を煽られた末に開戦なんてしたら……)
海外でもエクソシストとモンスターの攻防はある。
むしろ、人間側は昔に魔女狩り等の迫害をやらかしていた、モンスターの中には人間=ごちそうもしくは玩具なんて考えている種族もいるので、種族によっては日本よりも険悪である。不安しかない。
最悪の場合、第三次世界大戦なんて惨劇になってしまうかもしれない。
さらに、今はまだ死徒の数が大戦以前ほど回復していない。状況のみ見れば、第二次世界大戦よりも悲惨である。
(まず、諜報隊に調査依頼……。いや、すでにある程度はすんでいるかもしれませんね。なら、諜報隊に煤竹さんの事を伝えて情報提供……)
そんな事を考えている時だった。
「雪音」
「!」
後ろから声をかけられて、雪音は振り返った。
「朧。どうか、しましたか?」
そこにいたのは、背の高い髭面の単眼鬼だった。第一討伐隊副長、夜行の朧である。
「いや。少々疲れているように見えてな」
朧が続けて訊く。
「どうかしたのか?」
「いえ……。第二次世界大戦の事を思い出していたら、精神的に疲れてしまって……」
「ああ……」
朧のぎょろりとした単眼が遠くを見つめるように細められる。
「お前、最後は精神崩壊していたな」
「あぁ、道理で一年ほど記憶がないわけです」
約七十年の謎が、今解けたのだった。
「虚ろな笑みを浮かべて童歌を歌っておった」
「うわ……。予想外にひどい精神状態だったのですね」
「ああ。さすがに、今までの仕事はこなせないからな。俺が代理を努めた」
「そうだったのですか……。その節は、ご迷惑をおかけしました」
雪音は申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや。米国にえげつない呪具をばら蒔こうと考えている連中の沈静部隊の一人として広島に送ったからな。むしろ謝らんでくれ。心苦しい」
だいぶ鬼畜だが、当時はたとえ発狂していても動ける者ならば使わなくてはならないほど、人手がとにかく足りなかった。
しかも、コトリバコは魔術や妖術に精通している有識者のほとんどから『人間や人外が作れる呪具の中でも世界一凶悪な道具』と言われている。
リョウメンスクナは諸説ある内の一つだが、さすが両面宿儺という鬼神の名を冠しているだけあって、世界で二番目に強力な道具と一部の有識者の間で言われている。
そんな物をばら蒔かれてしまったら、呪具を全て回収しない限りアメリカ大陸は生者の住めない土地となっていたのである。亡者ですら暮らすのは厳しいだろう。
回収不能の場合、神の力で呪いを解く事もできるが、コトリバコは神の力をもってしても無力化に数百年はかかる。これが、世界一凶悪な呪具と言われる由縁の一つだった。
いくら本気でブチギレていたとはいえ、他所様――他国様にテロをしかけていいはずはない。
「あの、気が狂っているのに沈静部隊に入れられた、という事は……」
「武力行使だ」
「ひぇ」
手段の選らばなさ加減に軽く引いた。
雪音は関東支部第一討伐隊隊長。朧の方が強いが、並みの死徒では何十人が束になっても太刀打ちできないほど強い。さらに、気がついたら血みどろだったのだ。それも無傷だったので、完全に返り血である。
そして、雪音の霊棍は鉈だ。
絶対に勝てないほど強い少女が、気味の悪い笑みを浮かべ童歌を歌いながら、返り血をぽたぽた滴らせ、鉈で斬りかかってくるのだ。
呪術テロを起こそうとしていた者達からすれば、恐怖以外何物でもない。心がぽっきりと折れた事だろう。奇跡的に生き残る事のできた者がいるのなら、生きた心地はしなかっただろう。すでに死んだ身だが。
ちなみに、陰陽支部で彼女は白き鬼夜叉と呼ばれている事を、二人は知らない。
「しかし、なぜその事を思い出していた?」
「そうですね……。まだ詳しくは知らないので他の方には話さないでほしいのですが」
そう前置きをして、雪音は朧に灼から聞いた戦争の事を話す。
「…………」
無言だが、朧の険しい表情が心情を物語っていた。
「一番心配なのは、怨夢の発生数ですね……」
「そうだな……」
戦争は、敵への憎しみや怨みを深める。その結果、怨霊が生まれる。怨霊は、生死の境で怨夢を作り出す。
怨夢は、化穢にとって都合のいい餌場だ。そして、怨夢が発生すれば死徒が出動しなければならない。
死徒が蘇生できなくなる状態、殉職するのは魂を失う為。
化穢は魂を喰らう。穢憑きは、魂を消化できないが体内に貯める事はできる。化穢の元に持っていく目的もあるが、化穢化すると体内の魂は一気に消化されるのだ。
怨霊が魂を失った状態で討伐されると、作り出した怨夢は崩壊する。怨霊が魂を失う主な原因は、化穢化である。
怨夢が崩壊すると、中にいる者も巻き添えになる。
つまり、怨夢が大量に発生すると、その分死徒の殉職する危険も高まるのだ。
人手不足の原因はもちろん辛いが、この二人にとっても後輩や部下はかわいいもの。消えてほしくなどない。
「有事の際、助けに行けるようにしておいた方がいいですね」
「いや、それでは限界がある。幸い、まだ時間はあるだろうからな。訓練内容を強化して、個人の生存能力を底上げした方がよいであろ」
「そうですね……。私も、お仕事があるので頻繁にとはいきませんが、お手伝いに参りますね」
「助かる。あやつらの動きの癖等を指摘してくれるとありがたい」
「かしこまりました」
一足早く、戦に向けて訓練内容を強化する事になった。




