5
数日後の現世見廻が終わった頃。
春介は、手紙を持って穂花が暮らしている仮設住宅に足を運んだ。蓮を無事に助ける事ができたと知らせる為だ。
(……穂花、いるかな?)
ふと春介は思ったが、姿を見るつもりはない。
穂花は、亡者である春介の姿を視る事はできない。ただ、辛くなるだけだ。ある悪い事が、思い浮かんでしまうかもしれない。
表札を見て穂花の暮らしている仮設住宅を確認し、郵便受けに手紙を入れる。
「!」
こちらに向かって歩いてくる、穂花と白藤の姿があった。
ぎゅうと、心臓を絞られるような感覚。
愛する人が、幸せそうにしている姿なのだ。嬉しい、はずなのだ。
立ち尽くす春介の横を、二人が通りすぎる。
振り返ると、笑顔で別れを告げる二人の姿。
「……穂花」
ぽつりと、名前を呼ぶ。だが、穂花には聞こえるはずもない。
白藤が去っていった後、穂花は春介に背を向けた。
「……っ!」
一瞬、春介の脳裏に悪い考えが浮かぶ。
だが、それを振り払うように、その場から走り去った。
◆◇◆
「あ! 春介さん!」
寮に戻る途中で、愛梨が駆け寄って来た。
一緒に帰ろうと誘うつもりだったのか、その様子は尻尾をぱたぱた振る子犬のようだった。だが、春介の様子に気がつき、わたわたおろおろし始める。
「どうかしたのかい?」
「えーと……」
とても誘える雰囲気ではなかったが、放っておくのも気が引けたのだろう。
「! 《異空鞄》」
何か思いついたようだ。異空鞄から瓶詰めのプリンを取り出した。現世見廻が終わった帰りに、購買に寄ったらしい。春介に差し出す。
「えっと。甘いもの、お好きだと聞きました。疲れてる時にいいと思いますし、その、どうですか……?」
「ありがとう。でも、大丈夫だよ」
さすがに後輩から貰うのは申し訳ないので、やんわりと断った。ただ、愛梨がしょんぼりしたので、別の意味で罪悪感がわいた。
「おれ、そんなに疲れてるように見えた?」
「疲れてる、というより、その……」
視線を泳がせながら言いよどむ。
これから言う事が、余計なお節介にならないだろうか。変な気を使わせてしまうかもしれない。
だが、やはり言おうと思ったのか軽い呼吸をし、春介をまっすぐ見た。
「少し、辛そうに見えました」
愛梨の言葉に、春介は目を瞠る。隠しきれているつもりだった。
「つ、辛い時は我慢せずに泣いたり、誰かに話した方がいいですよ! 私が虐められていた時、春介さんに話を聞いてもらえたの、すごく嬉しかったし、気が楽になりました!」
「そっかぁ。それはよかったぁ」
「はい! あの時は本当にありが――って、今はそうじゃない!」
話題が逸れかけたが、自分にツッコミを入れて軌道修正する。
「私は、春介さんのふにゃふにゃした、いつもの笑顔が好きなんです。だから、その、辛そうに笑って我慢してほしくなくて……。えーと……」
こういう時、どう声をかければいいのか分からない。
「あ! もしも一人になりたかったら、ものすごく心配だけどすぐに立ち去ります! 私以外の人に話したければすぐに呼んできます! 私だったら、愚痴でも何でも聞きます! だから、あまり溜め込みすぎないでほしいです」
潤んだ目で見つめてくる顔には、溢れそうなほど心配な表情が浮かんでいた。
必死で春介を慰めようとする愛梨の様子に、春介はここ数日間抑え込んでいたものが、じんわりと広がっていくのを感じた。
「どうしようもない失恋話になる上に、ほぼ確実に泣くと思うけど、大丈夫かい?」
どこか湿り気のある声音。
失恋話と聞いて、愛梨は驚いた顔をするが、頷いた。
声と質問が、救難信号に聞こえた。
「ここだと人に見られる可能性があるので、えっと、私の部屋でも大丈夫ですか?」
二人がいる場所は、今は人気がない。しかし、寮への通り道だ。人が通るかもしれない。
あまり大騒ぎになるのもよくないと思ったのだが、確実に二人きりになれる場所と考えたら自分達の部屋しか思い付かなかった。
「いや、おれの部屋でもいいかな? 帰り、送るから」
「分かりました」
なるべく、春介がリラックスできる環境がいい。愛梨は了承した。
◆◇◆
「そこのソファ、どうぞ」
「あ、はい」
愛梨が三人掛けのソファに座ると、春介が隣に座った。
「ごめんね。あまり泣き顔は見られたくないから、そっぽ向いててくれるかい?」
「……はい」
愛梨が視線を背けると、すぐに息を詰まらせる音が聞こえてきた。
すすり泣きに混ざって、春介の声が聞こえてくる。
この間、怨夢から救出した穂花は、春介が生前に、結婚を前提に付き合っていた女性だった。
春介の死後八年。穂花は、蓮の不良仲間である後輩と婚約していた。
「嬉しいはずなのに、すごく辛かった……っ!」
春介の気持ちも、当然だと愛梨は思った。
もし、自然消滅や話し合って別れたのならばまだ諦めはつく。しかし、春介と穂花は相思相愛で、突然死に別れてしまった。
心残りや未練が残っているのは、当然である。
「さっき、偶然穂花を見かけた……。おれには、気がついてなかった……」
それも、仕方のない事だと春介は理解している。穂花は生者。それも、霊視能力はない。どんなに近くにいても、すぐ目の前にいても、視えないのだ。
とても、『会った』なんて言えない。
「その時に、さ。……穂花を、連れて逝けば、一緒にいられるって、思った」
その言葉を聞いた時、愛梨は体をわずかに強張らせた。
それは、穂花の命を奪う事を意味している。
脳裏に、化穢を討伐した時の春介の姿がよぎる。
春介はその手段は絶対に取らない。頭では分かっているのに。
「でも、そんな事、できるわけがない‼」
まるで、悪い考えが浮かんだ自分を説得し、叱るように声を上げる。
愛梨は不思議と怖くは思わなかった。
「あの子は、おれと蓮が死んで、自殺する方法を調べてたみたいなんだ。おれ達の後輩や友達が、それから立ち直らせてくれた! おれだけの我が儘で、壊すわけにはいかない‼」
春介自身の欲を通せば、友人や後輩達を裏切る事になる。だからこそ、抑え込まなければならなかった。幼い時に一度だけ死を選ぼうとして、救われたからこそ、その手段を思いつく事すら許せなかった。
「おれはもう、死人なんだ……。生者の幸せを、盗っちゃ駄目だ……っ」
亡者としては、至極普通の考え。
だがそれは、春介の本当の気持ちを必要以上に封じ込める枷のように、愛梨は感じた。
「春介さん」
愛梨は春介に語りかけた。
「この部屋には、私しかいません。それに、私は誰にも言いません。それを口にして歯止めが利かなくなったら、春介さんのまわりには殴ってでも止めてくれる人もいますよね。だから、本当の気持ちを話しても大丈夫です」
そう聞いた春介は、愛梨の方を向いた。
愛梨も、泣いていた。
顔は、先程より少しだけ春介の方を向いていたが、まだ顔が見える向きではない。泣き顔を見られたくないと、春介が言っていたからだ。
しかし、愛梨の腕が春介の腕に触れていた。まるで、春介の力になりたい。春介に元気になってほしい。そう言っているような気がした。
「――っ!」
溜め込んでいたものを吐き出すように、春介は慟哭した。
それほどまでに、穂花を深く愛していた。
幸せになってほしいという願いと、一緒にいたいという相反する欲がごちゃ混ぜになる。
慟哭とぐちゃぐちゃな気持ちの中、心から望んでいた事を口にした。
「穂花と、一緒に生きたかった……っ‼」
自分の隣に穂花がいて、蓮や、友人に後輩達から茶化されつつも祝福される。
自分達の子供を、共に育んで成長を見守る。色々と大変な事はあるかもしれない。喧嘩もするだろう。それでも支えあって乗り越えて。最期は暖かい布団の中で家族に看取られる。
それが、春介が望んでいた未来だった。
もう二度と、叶う事のない心からの願いだった。




