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「………………」
(全っ然寝れねー!)
その日の十時過ぎた頃。灼は布団を被っていたが、目がさえて眠れなかった。
(今日、マジで色んな事あったからなー)
今日、灼は初めて怨夢の任務に就いた。目の前で蓮が拐われるわ、変な幻覚見るわ、花耶の頭がカチ割られるわ、化穢と穢憑きにされた蓮相手に戦闘になるわ、春介と蓮の悲惨な死に様を聞くわ、もう駄目かと思っていた蓮が起きるわ。蓮が起きた時、安心しすぎて号泣したのも目がさえる一因になっていそうだ。
「えっと、資料集は……」
生前、教科書を見ているとほんの数秒で眠くなっていた。座学で使っていた資料集を読めば、確実に眠くなるだろう。
「……ん?」
漫画本の多い本棚の前に立った時、ふと横にある窓を見ると、中庭のベンチに花耶が座っているのが見えた。
灼は一度、資料集を本棚にしまう。タンスからスタジャンを出し、自分はミリタリーブルゾンを着て部屋から出ていった。
◆◇◆
「……灼。どうか、した?」
「あ、バレた」
中庭のベンチに座っていた花耶は、ふと人の気配を感じて視線を上げた。
こっそり被せて驚かすつもりだったのか、スタジャンを広げていた。微妙につま先立ちになっている所を見ると、忍び足で近づいてきたのだろう。
「春でも夜はまだ肌寒いんだから、そんな薄着してねーで上着着ろっ!」
「わぷ」
改めて頭からスタジャンを被せられた。
「あ、それでも寒いんならこれ貸してやるから」
「んん。平気。上着、ありがとう」
花耶は礼を言って、スタジャンを背中側にまわし、袖を通した。
「でも、どうしたんだ? こんな夜遅くに」
「モヤモヤする事、あって、眠れなかった。それで、頭、冷やそうかと」
「頭どころか、全身冷えるぞ」
「ん。そう、だね」
花耶は自分の冷たくなった頬に、ぷにゅっと触れる。スタジャンのサイズが大きいからか、手の平まで隠れるぐらい袖が長くて暖かい。
「モヤモヤって、何があったんだ?」
「…………」
言おうかどうか迷っているのか、花耶は視線を反らし、俯いた。
「……今日の、怨霊、死んだ。でも、悲しく、ならなかった。いつもは、罪悪感で、辛く、なるのに」
呟くような小さな声で言った。
いつもは、怨霊や怨夢に取り込まれた者が、死んで亡者になると、助けられなかった罪悪感や悲しみが背中にのし掛かるような気持ちになる。
まだまだ生きたかっただろうに。大切な人がいたかもしれない。その人と、二度と会えなくさせてしまった。怖かっただろうに。痛かっただろうに。
もちろん、どうしようもない時がある事は頭では理解している。ただ、どうしても心で反省点を探してしまう。
もっと自分の足が速ければ、間に合って助けられたかもしれない。
あの時身を呈して庇っていれば、怨霊はまだ生きていたかもしれない。
もっと、うまいやり方があったのかもしれない。
ただ、今回はそれが全くなかった。
「いや。別にそれ、普通じゃね?」
「……えっ?」
花耶は目を見開いて、灼の顔を見た。
「さすがに、『死んでよかった』とまでは思ってないんだろ?」
「ん」
地下二階の廊下を走っている時、怨霊の蓮に対する罵詈雑言が聞こえた。響いていたから。
かなり頭にきたが、『死んだ方がいい奴』とまでは思っていない。ただ、助けられなかったのに辛くならなかっただけだ。
「たぶんだけど、廊下での罵詈雑言を聞いた瞬間、そのクズの事が生理的に受け付けないレベルで嫌いになったんだよ」
「くず……」
クズ呼ばわりに少し引っ掛かったが、確かにあの怨霊は、どうやっても好意的に見れない。
「例えばだけど、花耶は三澤達が好きか嫌いかで言ったらどっち?」
「大嫌い」
即答した。
三澤達とは、かつて愛梨を虐めていた三澤、菊竹、石井、関の四人だろう。
「じゃあ、その理由は?」
「愛梨を、虐めたから。愛梨も灼も、危ない目に、遭わせようと、したから」
愛梨と初めて会った時、花耶は灼から嫌われていると思っていた。愛梨は、そんな二人の仲を取り持ってくれた優しい少女だ。さらに、花耶にとって灼は初めてできた後輩だ。仲良くしたいと思っていた。大事な友達を虐め、友達と後輩を自己保身の為に危険な目に遭わせた加害者なんかを、好きになるはずがない。
「そんじゃ、三澤達が地獄に堕ちたのは可哀想とかやり過ぎだとか思うか?」
「んん。自業自得」
「それだよ!」
灼は少し声のボリュームを上げた。
「花耶だって人の心持ってるんだから。大好きな仲間を、逆怨みで辛い目に遭わせたから、許せる範囲越えた。逆怨みで人を殺すようなドクズにまでは情けはかけられなかったんだろ」
「…………」
ストンと、言葉が胸の奥に収まった気がした。
今回の怨霊は、仲間を傷つけた。しかも、動機は逆怨みだ。いくら花耶のだだっ広い許容範囲でも、許せるはずはない。
正直、死んだ怨霊よりも命を奪われた蓮、助けようとして命を落とした春介、友達を二人も同時に失った上に、被害者なのに巻き込まれた穂花が可哀想だと思った。
そんな怨霊にかける情けは持ち合わせていなかった。だから、心の中で無自覚に、自業自得だと割り切れてしまったのだ。
「……なんか、私は、自分で、思っているより、冷酷」
知らなかった自分の一面を自覚し、ショックだった。
聖人とまではいかないにしても、自分は人並み程度には優しいと思っていた。それなのに、嫌いな人物が死んでも、何とも思わないなんて。
「いやいや、花耶は冷酷じゃねーって! 『虐められる方が悪い』って言い切るような奴より、仲間や、仲間の友達の方が大事ってだけだろ? それに、そんな怨霊でも『助けられなかったのに辛くならなかった』って思い悩んでる。充分優しいじゃんか!」
そう聞いて、少し心が軽くなった。
「灼、ありがとう。少し、気が、軽く、なった。モヤモヤ、晴れた」
「おう!」
灼の明るい笑顔を見て、花耶も自然と顔が綻んだ。
「ところで、灼は、どうしたの?」
「実は、オレも全然寝れなくて……。今日、すげー色々あったじゃん? 蓮相手に戦ったり、春介がガチギレしたり……。あ! それとオレの避け方が悪くて花耶の怪我も……」
「帰りにも、言ったけど、怪我は、最初に、私が、突っ込んだから。むしろ、あの状況で、避けたのは、助かった。避けなかったら、二人とも、死んでた。蓮も、犠牲に、なってた。避けてくれて、ありがとう」
そもそも、最初に頭をカチ割られたのは花耶の無茶が原因だ。もしも花耶があの一撃を受けていなければ、もっと安全に戦えていた。完全に判断ミスだ。
「それと、春介が怒ったの、怖かった?」
「ちょっとだけ。でも、春介がキレるのも分かるんだよ」
春介があそこまで激怒するのは、二人とも初めて見た。確かに恐ろしかったが、怒っても仕方ない事を化穢が言っていた。
「……たぶん、春介が、怒らなかったら、私が、怒ってた」
「オレと愛梨もだよ」
本気でキレた春介にびびっただけで、化穢の口走った言葉に腹を立てなかったわけではない。
花耶達ですら不愉快になる発言だったのだ。立場や過去の経験から、春介が怒髪天をつくのは当然だろう。
春介は子供の頃に虐められていた。自殺を考えるくらい追い詰められていたのを、蓮が助けた。
自殺しようとしていた相手を、『まだ生きていたい』と思わせたのだ。春介から見て、蓮は親友である以前に恩人なのだ。そんな人物に、たとえ信憑性のない予測だったとしても、虐めの加害者だと濡れ衣着せるのは我慢ならなかった。
「初任務、どうだった?」
花耶は少し不安そうに訊いた。
「……正直なのと強がり、どっちの方がいい?」
「じゃ、正直に」
「すっげー怖かったっ!」
灼の返答を聞いて、花耶はオロオロする。
もしかしたら、辞めてしまうかもしれない。寂しくなるので辞めてほしくないが、それを止める権利は花耶にはない。
「あ! でも辞める気はねーから!」
そう聞いて、ほっとはしたが、まだ心配事はある。
「怪我、するかも……」
「それはもうそんな仕事だから仕方ねーよ! なるだけ怪我したくなかったら、オレが強くなるしかねーし。……それに、花耶にはたくさん借りがあるし……」
と、灼は言うが、なんだかしっくりこない気がする。黄泉軍を辞める気は全くないが、本音では理由が違う気がした。
「……。ある? 借り」
「自覚なかったのか?」
灼は呆れながら、花耶に助けてもらった事を話した。
危うく化穢化させられそうになったのを、体を張って止めてくれた事。
友人達を助ける手伝いをしてくれた事。
戦時中、爆弾や矢、銃弾から守ってくれた事。
縄枷で操られていた時に、正気に戻してくれた事。
今回も、意識が朦朧としている中でも的確な指示を飛ばして、灼が死なないようにしていた事。
灼が花耶を助けた事もあるが、回数としては花耶の方が圧倒的に多い。
「そんなの、気にしなくて、大丈夫。私も、灼に、助けられた事、あるから」
「オレが嫌なんだよ! 花耶に守られてばっかだし、花耶を守れるくらいにはつよく――ごめん。今の忘れて」
勢いで『強くなりたい』と言いかけてしまったが、少しくさい台詞だと思ったのだろう。灼はそっぽ向いてしまった。耳が赤い。
「…………」
花耶はベンチの上で膝立ちになり、灼の頭を撫で始めた。
「花耶ってさぁ、人の頭撫でんの、癖なのか?」
「んん。……嫌、だった?」
「全然嫌じゃねーけど……」
花耶は手を離し、撫でるのをやめた。しかし灼は、花耶の手を掴み、自分の頭にぽんと乗せた。……やめるな、という意思表示だろうか?
「オレの他にも、頭撫でた事ある奴いる?」
「…………。いない、かも?」
「じゃあ、何でオレだけ?」
「……何で、だろ?」
「いや、オレに訊かれても……」
自分だけと聞いてむず痒くも嬉しくなった。
(オレだけ、かぁ)
口元に力を込めるが、それでも口角が上がる。結果、苦笑いのような笑みになってしまった。
「でも、この、なでなでは、嬉しかったから」
「嬉しかった?」
灼は訊き返した。灼自身、花耶を喜ばせるような発言をした自覚がなかった。
「ん。守るって、言ってくれたの、嬉しかった。……でも、口だけに、して欲しい。……それで、怪我、したら、申し訳ない」
「いやいや。口だけはさすがに格好悪いから、花耶を守れる上で怪我しねーくらいには強くなる」
そう断言した時、黄泉軍を辞めない理由について、ピタリとパズルのピースがはまるような、すっきりとした感覚があった。
(花耶を守りたい、か)
その欲求こそが、理由に一番近い気がする。
もちろん、仲間も大事だ。危ない目に遭っていたら守りたい。ただ、その中でも花耶に対する気持ちが特に強い気がした。
(花耶が、特別?)
その考えが浮かんだ時、体温が急上昇した。
穏やかな心地なのに、心臓が高鳴る。
(……もしかして、花耶の事、好きになった……?)
その答えを確かめるように、花耶の顔を見つめた。
美しい月に照らされた花耶の顔に、気がついたら見惚れていた。




