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靄が晴れると、蓮が姿を現した。
(よか、ったぁ。もとに――)
安堵したからか、春介の意識が急に遠のく。
「《痛覚軽減》!」
愛梨は春介に痛みを和らげる妖術をかけ、灼に言う。
「灼! 槍抜いて! 春介さんは私と花耶先輩で押さえるから!」
「分かった!」
愛梨と花耶は春介の背中から腕をまわし、起き上がらせる。
「《快癒》!」
その時、快癒もかけて体力を回復させておく。
「ごふっ」
灼が槍を引き抜くと、春介は吐血した。傷口からも血が噴出する。
「《快癒》」
大量の霊力を込めて詠唱する。元々の、春介の頑丈さも手伝ってか、傷口が一瞬で塞がった。
「……春介。平気?」
「うん……。何とかぁ~」
まだ頭がぼんやりするが、花耶の質問に答えた。
「花耶先輩も! もう危険域は脱してますけど完全には傷口塞がってませんよ!」
「……ごめん。つい」
よくよく見ると、つむじのあたりで血がにじんでいた。動ける程度に回復してから、飛び出したようだ。傷口の深さ的に春介を優先したが、愛梨的には無視できる傷ではなかったのだろう。
春介はそんなやり取りを見てから、蓮に視線を移す。
「――め、――ぃ」
「?」
だが春介は、違和感に気がついた。蓮を仰向けに寝かせる。
穢憑き化した屍霊が祓穢衣で元に戻った場合、侵度一、人によっては侵度二までは意識が戻った状態。蓮は侵度三だったので、確かに意識がなくても不思議ではない。
「……蓮?」
だが蓮は、虚ろな表情で涙を流し、譫言を呟いていた。
【ま、待て‼】
無駄に命乞いをするつもりだろうか。化穢は声を張り上げる。
【お、俺はその女の本性を知ってるぜ⁉ その女は、怨霊から怨まれるようなクズだ! 大方、虐めでもしてたんだろうよ‼ その証拠に、そいつは今、幻覚を見ているが、しきりに謝罪してる‼ 許してほしいって言ってる‼】
錯乱しているのだろうか。もしくは、最後っ屁で誰かを巻き添えにしようと、動揺を誘うつもりだろうか。
「幻覚って、もしかして――」
千絃が言いかけた時、春介は、ゆらりと化穢の頭の方に立った。
「……‼」
千絃の背筋が凍った。
いつもの春介からは想像もできないほど、恐ろしい表情を浮かべていたからだ。
「……蓮が」
足を上げ、勢いよく化穢の顔面に落とす。
【ゴッ⁉】
「虐めなんかするわけないだろう‼‼」
化穢がついた嘘は、春介の逆鱗に触れていたのだ。
「あいつは、虐められていて自殺も考えていたおれを助けてくれた。穂花も、白藤も、おれの友達も何人も、あいつに救われたんだ。そんな優しい奴を、お前の汚い口先で貶めるな……‼」
メキッ。ミシッ。
体重をかけ、床に擦り付けるように踏み締める。
【ひっ……】
化穢の頭部が歪み、ひび割れ、血のように黒い煙が噴出する。
泥を付着させて操ろうにも、祓穢である花耶がいる時点で無駄撃ちになる。何か言って動揺を誘おうにも、何を言っても火に油を注ぐ事にしかならないだろう。もう、抵抗の手段が、ない。
【や、やべ、やべろ……‼ やべて、くだじゃ……‼ ごべんなじゃ……‼】
化穢の謝罪を受け入れる余地は、もはや春介にはなかった。完全に手遅れだった。
バキッ。
鎧が割れ、中身が潰れるように霧散した。
◆◇◆
「「「………………っ!」」」
花耶、灼、愛梨は春介の豹変ぶりに身を寄せ合い、青ざめていた。
「っ!」
(怯えてる場合じゃない! 戦闘では私は役立たずなんだ! せめて戦闘以外の事は、頑張らないと!)
しかし愛梨は、いち早く怯えを抑え込み、蓮の様子を診る。
(さっき、化穢は、蓮先輩は幻覚を見てるって言ってた! もしかしたら、エレベーターで見たやつかも)
愛梨、春介、千絃もエレベーター内で悪夢のようなものを見た。内容があまりにも不愉快で、愛梨と春介は怒りで起きた。千絃は怒りを抑え込んでいるような感じで、二人がかりで起こしたのだ。
(もしあれと同じくらいの酷い光景を、長時間見てたら……!)
「蓮先輩! 蓮先輩!」
名前を呼び掛けながらぺちぺちと頬を叩く。
「……っ!」
だが蓮は、自分の顔を庇うように体を丸める。
(……もしかして)
その反応に愛梨は、覚えがあった。
「愛梨! 今度はオレが――」
「待って!」
揺さぶるつもりか、灼は蓮の肩に手を伸ばした。それを愛梨は止めた。
「蓮先輩、もしかしたら夢の中で暴行受けてるのかも。そんな状態で、手荒な方法はまずい」
蓮の反応は、愛梨の身に覚えがあった。
殴る蹴るの暴行をされた時の、反射的な防御行動と酷似している。
愛梨はとりあえず夢だと言っていたが、おそらく少し違う。現実での事も影響しているのだと考えていた。
軽く頬を叩いただけで殴られた時の防御行動を取るくらいだ。あまり強すぎる刺激は与えられない。
「ゅ――――。――――、―――――ぃ」
「愛梨。ちょっと僕に変わってくれる?」
「! はい」
千絃に声をかけられ、愛梨は場所を変わった。
千絃は蓮の口元に、自分の耳を近づけた。本当に微かな譫言に、起こす為の手がかりがあるかもしれないと思ったのだ。
(『ごめん』『春介』『穂花』? あの二人の事が関係してる?)
それで真っ先に思い浮かんだのは、蓮の生前での事だ。穂花は生者。死後の事はほとんど関係がないだろう。
「……皆。もしエレベーターで悪夢を見てたらその内容、どんなのだったか教えてくれる? 言いたくないなら無理はしなくていいけど……」
あくまで蓮が正気に戻る為の手がかり程度。確信を持てる程ではないが、蓮の見ている悪夢の内容についての予測はついた。これは、自分が確信を持つ為の質問だ。
愛梨は三澤達に虐められていた時の事。しかし、虐めの中には花耶達五人も加わっていたそうだ。
灼は友人達や両親達に責められた内容。
春介は小学校時代の虐め。ただ、虐めの中心人物は蓮だった。
花耶は暗闇の中で雷の檻に閉じ込められていた事。
愛梨、灼、春介は、『そんな事するわけない‼』と、激怒して幻覚を振り払った。実際、現実と大きな違いがあったのだ。
愛梨、灼、春介の証言で、千絃の予測は確信に変わった。
「春介。話せる範囲でいいから、蓮が死んだ時の事、教えて」
千絃は、慰労会の夜に蓮からある質問をされていた。その質問と春介達が見た悪夢の共通点から、蓮が見ている悪夢に内容をより具体的に推測する。
春介と蓮は、電車に轢かれて死んだ。蓮は、過去に懲らしめた虐めの加害者に、駅のホームから突き落とされて殺された。春介は、蓮を助けようと線路に降りた。そして、二人とも死んだ。
「……千絃。何か、分かった……?」
花耶はすがるような目で訊いた。
「蓮を起こす具体的な方法じゃなくて、あくまで手がかりだけど。蓮が見ている悪夢の内容、たぶん分かった」
「どんな内容⁉」
春介が食いぎみに訊く。
とにかく蓮を正気に戻さなければ。どんなに小さな手がかりでも、逃したくはない。
「状況は、二人が死んだ直後。でも、夢の中で蓮は、春介に『お前のせいで死んだ』とか言われてると思う」
「……‼」
千絃が言うと、春介は顔を青ざめさせた。
「蓮のせいじゃないよ! おれが死んだの」
「僕もそう思う。でも、蓮はそう思ってない可能性が高いよ。慰労会の時に、『親友を助けようとして自分も死んだら、親友を恨むか?』って訊かれたから」
蓮を殺した犯人は、かつて懲らしめた、穂花を虐めていた加害者。
もし自分が虐めを無視していれば、春介は死ななかったのではないか? 蓮はそう思っていると、千絃は推察していた。
「そんなん、悪いのは完全に虐めの加害者じゃんか!」
「そうですよ! 虐められている子を助ける事の、どこが悪いんですか⁉」
灼と愛梨は憤慨していた。
愛梨は実際、虐められていたのを助けられたのだ。灼も、愛梨の護衛をしていた時に陰口を聞いたし、現場は見ていないがやられた事も聞いた。
そんな経験もあって、虐めを正当化する理由など考えられない。
「……蓮、起きる……?」
花耶が訊いたが、千絃は顔を横に振った。
「術や呪いなら、解けるんだけど……。ごめん。これ以上は分からない」
愛梨や灼、春介の起き方を聞いて、手がかりにはなるだろう。しかし、これ以上は皆目検討もつかなかった。
◆◇◆
「じゃあ、オレはいったん地下二階に戻るけど……。その、本当に大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
結局蓮を起こす方法は思いつかず、常夜の病院に連れていこうと言う事になった。
エレベーター内では壁が迫ってきたが、あらかじめ刺しておいた花耶の苦無がストッパー代わりになった。しかし万が一折れた時の為に、全員が五階に戻るまでの間、保険に灼を乗せる事にした。壁が迫ってきても、灼ならば軽く止められるのだ。
ただ、灼が押さえている状態で六人全員が乗るのはさすがに狭すぎるので、春介と蓮だけ先に五階へ上がらせたのである。
エレベーターの扉が閉まるまで、春介は不安を表情に出さないようにしていた。もっとも、バレていたらしく姿が見えなくなるまで灼は心配そうにしていたが。
エレベーターの扉が閉まると、春介は蓮の方に視線を移した。
「ごめ………ぃ。は…すけ、ほ…か、……………ぃ」
蓮は、耳を押さえて踞っている。床に涙が落ちていた。
「……蓮」
春介は蓮の前にしゃがみ、声をかけた。
「おれが死んだのは、本当に蓮のせいじゃない。蓮は悪くない。穂花も、全然恨んでなかった。ホームから飛び降りたのは、おれの意思だよ」
少しでもいい。蓮が正気に戻る為の、きっかけになればいい。
「おれは、蓮が死ぬが嫌だった。あの時はそれしか頭になかった」
春介が死んだ時、自分の身の安全は本当に考えてなかった。
このままだと蓮が死ぬ。
そう思った時には、ホームから飛び出していたのだ。
「自分で自分の事が許せないなら、おれが許すから。だから、起きてくれよ……。蓮がいなくなるの、嫌だよ」
俯くと、滲む視界から滴が落ちた。
もし、蓮が二度と起きなかったら。
とても考えられない。春介にとって蓮は、かけがえのない日常の一部だった。
だから、たとえ嘘でも『許す』と言った。
春介自身は、蓮は全然悪くないと思っている。しかしそれでは、蓮は救われない。
蓮は、許してほしかったのだ。
「ほ、とう、か……?」
今までとは違う言葉が聞こえて、春介は顔を上げた。
「本当に、許してくれる、のか……?」
そこには、不安そうにしながらもまっすぐ春介を見つめる、蓮の姿があった。




