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「花耶!」

 名前を呼ぶ声と、ガラスを割る音が響いた。

 上を向くと、盾を持った春介が飛び降りて来た。

 盾は断頭台のごとき勢いで、穢憑きに迫る。

【ッ⁉】

 穢憑きは咄嗟に飛び退く。花耶の首から手が外れた。

「《快癒》!」

 さらに回復効果のある妖術をかけられた。

「ひゅ゛っ、は、ぁ……。はぁ、はぁ」

 まだ首がヒリヒリするが、呼吸が楽になる。

「大丈夫かい?」

 意識が戻ると、春介の顔がはっきり見えるようになった。


【邪魔スルナァ‼】

 質問に答える暇なしに穢憑きが襲いかかる。

 ガァンッ。

 春介の盾が、爪を弾く。

 花耶は音に跳ね起きた。

「ごめん」

「本当だよー。一人じゃ危ないじゃないか」

 置いて行った事ではなく、手間を掛けさせた事への謝罪なのだが。しかし春介は苦笑いしているだけなので怒ってはいないようだ。

【援軍が来ても無駄よ】

「「‼」」

 穢憑きに追随するように、黒い泥を纏った糸が大量に炎の壁を越える。

【操り人形にしてあげる】

 糸が狙う先は、春介。


 ザシュッ。


 しかし、届く事はなかった。

 花耶の苦無によって切り払われた糸が、宙を舞う。

「ありがとう。助かったよ」

 春介は穢憑きの相手をしながら言う。

「二体いたのか」

「ん。化穢。異能は、覚目、蜘蛛糸、八変化」

 花耶は糸から春介を守りながら答える。

「まじかぁ。これ、仲間を呼ぶ暇、ないよなぁ」

 春介は穢憑きから花耶を、花耶は糸から春介を守っている。

 もし春介が通信鏡を使えば、穢憑きは花耶に向かうだろう。穢憑きと糸の相手をしなければならなくなる。もし一本でも春介に糸が到達すれば、穢憑き化。

 花耶が通信鏡を借りて使えば、糸を防ぎきれず春介が穢憑き化。

 三対一。それも春介は花耶よりも圧倒的に強い。それで穢憑き化によって身体能力まで上げられたら、悪夢でしかない。


「覚目なら花耶の方が相性よさそうだ。問題は、あの炎かぁ」

 穢憑きから意識をそむけないようにしつつも、ちらりと奥を見る。

 分厚い炎の壁。花耶の毛衣には焦げた跡がある事から、完全に炎を防ぐことはできないだろう。最悪、今度は手か足を焼き落とすかもしれない。それほどに穢憑きが発する炎は強力すぎた。

 目の前の穢憑きを倒せれば、炎は消えるだろう。

 しかし、春介と花耶の攻撃は、殺傷力が低い。

 すぐに倒せるが、瞬殺はできないだろう。攻撃入れても化穢によって回復させられる可能性もある。そうやって侵度をちまちまと上げられて、化穢化などしてしまったら最悪だ。

 花耶の祓穢ならば瞬殺できるだろうが、今までに何回も使っており、できれば化穢討伐の為に温存したい。

 キャットウォークと呼ばれる二階部分の細い通路ならばまだ火が届いていないが、そこまで行けそうな炎の切れ目はない。

「なるべく早く化穢討伐できるかい?」

「……接敵、できれば」

「よし!」

 春介は穢憑きの爪を盾で反らしつつ、回し蹴りをくらわす。

 前のめりになっていた穢憑きは、あまりに重すぎる一撃で踏ん張りが利かず、吹っ飛んだ。


 起き上がる前に素早く毛衣を脱ぐ。

 瞬間、肌に痛みが走るほどの熱波が襲う。

(やっぱり、かなりキツイな……! でもこまめに回復しながらなら)

「ほら、これ使いな?」

「え。でも……」

【ウガアアアアアアアアアアア‼】

 花耶が言いよどむ間に、穢憑きの爪が突き出されるが、春介が盾で抑える。

「一瞬でも道ができれば通れるだろう?」

 その点は全く問題ない。花耶が心配しているのは春介だ。

「おれは頑丈だし快癒も使えるから大丈夫。でも、長時間は無理っぽいから短時間でやってくれるとうれしいなぁ」

 へにょっと、熱で赤くなった顔が安心させるように笑んだ。

「……分かった」

 花耶は頷くと、毛衣を受け取った。苦無を振るって糸を断ちながらステージに向かって駆ける。

 毛衣を壁の火元に投げつけるように敷く。

 毛衣に抑えつけられ、炎の壁が細く開く。

【! させるかぁ‼】

 意図に気づいた化穢は毛衣に糸を伸ばす。しかし、時はすでに遅い。


 壁を突破できる時間は、一瞬で充分。

「《纏霊刃》」

 難なく突破した花耶はステージに飛び乗りながら糸を躱して詠唱。化穢に苦無を振り抜く。

 化穢は飛び退いて避け、今度はステージの照明に糸を伸ばす。

 花耶に叩きつけるつもりか、メキッと音がした。

 しかし照明が壊れる前に、投擲された苦無で糸が切られた。

「怨夢、壊さないで」

【あら? 記憶がないくせにこの光景にご執心かしら】

「んん。穢憑き、嫌がる」

 正直に答えると、化穢は顔を歪めた。

【はっ。いい子ぶって本当にムカつくわ】

 吐き捨てるように言うと、戦闘状態の姿――黒い鎧に覆われ、四本の腕が生えた異形の人型になった。

 手を振ると、糸がステージに張り巡らされる。わずかにステージ外にも及んでいた。

 まるで、蜘蛛の巣のようだ。

 メキッ。ミシッ。

 軋む音。

 花耶は糸が出ている化穢の指を狙うが、避けられる。そして。

 バキッ。ボキッ。ブチッ。

 床の一部が、照明が、天井の骨が、カーテンが、花耶目掛けて飛んでくる。

「っ!」

 花耶はそれらを躱す。

【あははっ! まるで蜘蛛の巣でもがく虫みたいじゃない!】

 愉快な嗤い声。

【どんな風に避けるか、私には分かるわ! 諦めたらどうかしら? 小虫が!】

 大きな木の板が、花耶に迫る。

 花耶は屈み、跳ねるように板の下を潜りながら化穢に近づく。

【そう来るのは読めていたわ!】

 花耶の後ろから演台が引き寄せられる。

【‼】

 化穢は、この後の花耶の行動を読んだ。演台を確実に当てるため、花耶を糸で捕らえようとする。

 演台が、糸が、迫る。


「ふっ!」

 しかし、苦無で糸を一閃。

 サイドフリップで演台を躱した。


【ガッ⁉】

 演台が化穢に激突。視界が、外れてしまった。

【⁉】

 視線を戻した時には、花耶はすでに間近に迫っていた。

 青白い光放つ刃が、心臓に迫る。

 糸を出す時間的余裕は、ない。

【ッ‼】

 とっさに、四本の腕で花耶の腕と肩を掴んでしまった。

「《祓穢衣》」

【ギャア⁉】

 化穢の手が霧散する。そして花耶はそのまま、自らの霊力をのせた苦無を化穢のそれぞれ鳩尾と腹に刺した。

【――⁉】

 化穢は、一瞬何が起こったのか理解できなかった。

 しかし花耶が苦無で切り裂くと、鎧が切り裂かれ、黒い瘴気が溢れ、霧散する。

【ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼】

 激痛の中、己の死を悟ってしまった。

 これ以上瘴気を逃さないよう、胸と腹を押さえる。


【あんたの攻撃なんて、全て読めていたのに‼ 何でぇっ⁉】

 そう、化穢は花耶の最後の一撃が分かっていた。ただ、それに対応できるだけの時間がなかったのだ。

 それこそが覚の持つ異能、覚目への対抗策の一つである。

 覚目は相手の考えを読む異能。考えを読んだ後、どう対処するかあらかじめ考える事ができるのが強みである。

 逆に言えば、最適な行動に移すには一度考えなければならない。

 それに対して、花耶は反射的に対処する。それゆえ、化穢の攻撃に対してより迅速な対応ができた。

 最終的に、化穢の思考は花耶の素早さに対応しきれなくなった。それだけの事だった。

【ああ゛ぁあ……!】

 化穢の体はすでに、胸から上と腰から下に別れてステージ上に崩れ落ちた。消滅も時間の問題だ。

「――っ!」

 一方で、花耶の体も小さな悲鳴をあげていた。

 ツキリと、胸の中心が痛む。

(霊力、少し、使いすぎた……。でも、春介、援護……しないと)

 キャットウォークから駆けつけようと足を向けた。


 その一瞬、とても短時間では切り裂けない膨大な糸が泥を纏い、炎を貫いた。


【こいつを殺せ! 殺せええぇぇえ‼】

 自棄になりながらも、祓穢の殺害を諦めていない。

「‼」

 花耶は糸に飛び乗り、駆ける。

 炎の壁を突破。毛衣が焼け落ちる。手が崩れ、苦無を持っていられない。ガチャっと、苦無が床に落ちる。


 糸の狙う先は、穢憑き。

 すでに穢憑きの侵度は四。その上は侵度五。化穢化。魂の消滅。

【!】

「え、花耶⁉」

 春介は炎を突き破ってきた花耶に目を見開く。

【死ネエエエエエェ‼】

 花耶しか見えていなかったのだろう。穢憑きは巨大な火の弾を撃った。

「!」

 春介は盾で火の弾を防ぐ。しかし防ぎ切れない。春介の左半身の肌が黒く焦げる。

 ごとりと、黒くなった左肘から先が落ちる。

(避けたら、間に合わない‼)

 花耶は致命傷だけを避けるように流す。右腕と右脚が焼き消えた。

 残った左脚で跳ね、糸の先を越える。

 残った左腕で穢憑きにしがみつく。

「《祓穢衣》‼」

 詠唱とほぼ同時に、糸が花耶の背中に触れた。


【!」


 糸と泥が瘴気となり散る。

 鎧が割れて塵となり、中から学ランを着た赤い髪の子鬼が姿を現した。

 少年は気を失い、花耶は立っていられずその場に倒れた。

 それにつれて、炎が収まっていく。

【何で……っ! 何でなのよ‼】

 化穢は慟哭する。既に頭しか残っていなかった。

【何で皆邪魔するの⁉ 役にたたないの⁉】

 消滅の瞬間が、口元まで近づく。

【皆、死ねばよかったのに……】

 最期に呟くと、ついに声が出なくなり、消滅した。


◆◇◆


「春介、この子は……?」

 花耶がぼんやりする意識の中で訊く。

 春介が診たところ、火鬼は意識こそないものの、呼吸はしっかりしている。

「気絶してるだけだから大丈夫だよー」

「そう……」

 魂は無事。その点のみは安堵した。

 しかし、素直に喜べなかった。

「春介、ごめん……」

「何がかな?」

「怪我……」

「あぁ。これくらい、平気平気」

 すでに最低限の回復はしたのだろう。ケロイド状になってはいるものの、もう黒焦げではなかった。

 しかし、左腕の半分を焼き落としてしまった。肘の状態を見た限りだと、快癒でくっつけるのは無理だろう。

「とりあえず、花耶も回復するね。眠かったら寝ててもいいよ」

「ん……。あり、がとう……」

 花耶は瞼を閉じた。

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