鹿の声を取り戻せ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふーん、今年ののど自慢大会、次は9月までおあずけなんだってさ。やっぱりコロナの影響のせいかなあ。
年末の紅白といい、町にいくつもあるカラオケ施設といい、人間なにかと歌については、強い関心を持つよねえ。可憐、美麗なものはできる限り接し、手元に置いておきたいと思う。カセットテープをはじめとする記録媒体なんかは、その表れだと思うんだ。
そしてこの対象は、人間に留まらない。動物の中でも美しい声を持つ者は、人間のおめがねにかかって、専用の飼育かごなんかも用意されたりする。それが動物自身にとって、幸せかどうかは別にしてね……。
そんな動物の声を確保するため、かつて行われた試みの中には、ちょっと変わった結果を引き起こしたものが存在したとか。そのうちの一話を聞いてみないかい?
むかしむかし。とある山の中にあった宿は、新しいウリを求めて定期的に、主人たちが会合の場を設けていたらしい。
開店当初のこの宿の強みは「年中聞こえる、美しいシカの鳴き声」だったという。宿から見て、低きを走る渓流をはさんで、向かいの木立の奥深く。そこから「ふいー、ふいー」や「ころころころ……」という鳴き声が、盛んに聞こえてきていた。
かつて高名な俳人が詠んだという句も宿に飾られているほどで、風流人たちの間でも少しは知られた場所となっていたらしい。
それがいまは、めっきりシカの気配がなくなった。
どうもここのところ、全国で密猟者が増えているとの報告がある。この近辺でもまばらではあるが、弓矢などの狩猟道具を持ち、山の中へ分け入る人の姿を見たという声も。定かな証拠はないものの、従業員たちもシカの声を聞く機会はほとんどなくなっている。
それでも夏ごろには、まだ安定した客足があった。涼しい立地が幸いし、ひとときの避暑地として訪れる者が多かったからだ。そのうえこの時季は、「河鹿」がこの渓流に大挙するときでもあったのが大きい。
いうまでもなく、河鹿の正体はカジカガエルのことだ。
この宿の下の渓流は、毎年、カジカガエルが大いに繁殖する場所でもあったんだ。件の季節が訪れると、渓流のあちらこちらでカジカガエルが精を出し、その美声でもってつがいの心を射止めんとする。
その声は、本物の鹿のものに勝るとも劣らず。夏場に限っては、「全盛期」を保ち続けていたといってよかった。
問題はそれ以外の時期。繁殖を終えた彼らが鳴りを潜める秋以降、どのようにして声を保てば良いのか。飼育することも考えたが、「旬」を過ぎてしまった彼らの歌声は、繁殖期と比べるべくもない。
従業員たちが頭を悩ませて数ヶ月。今年もいよいよ秋が見えるという時期になって、ある従業員が不思議な話を持ってきたんだ。
宿は町一番の像づくりの職人に、ある像の作成を依頼したんだ。
あらかじめ用意された様々な注文。それらを忠実に守って作成されたのは、魚の像だったんだ。
長さにして六寸(約18センチ)前後。合計20体近く作られたその造形は、川魚の「ゴリ」そのものだったという。
「これらを渓流沿いに、距離を離して水の中へ沈めていきます。
効果がいつごろ現れるか分かりませんが、ひと月以内には成果が見られましょう。もしもうまくいかなければ、かかった費用は私の禄より天引き、ということで」
半信半疑な他の従業員たちだったが、彼の指示に従い、渓流沿いにこれらの魚の像を沈めていく。最初の像から最後の像まで、配された距離はじつに一里(約4キロ)にも及んだとか。
それから半月余りが過ぎた、朝のこと。
宿に住み込みで働く従業員のひとりは、いつも聞く川のせせらぎの中に、慌ただしい水音が混じっているのを聞き取った。
――もしや、密猟者? この朝のうちに川をさかのぼって、猟場へ赴こうということか?
見つかって、口封じのために矢でも向けられたらたまらない。寝床からそっと起き出した従業員は、宿の最も高い階へ向かう。障子をこっそりと開けて、梢越しに下へ広がる急流の様子を見やったんだ。
そこには、川の流れへ逆らうようにして、ひれと身体をくねらせ泳ぐ、無数のゴリたちの姿があったんだ。押し合い、へし合い、我先にと急ぐその様は、多くの人に「ゴリ押し」と呼ばれている。
密猟者ではなかったと、従業員はひとまず胸をなでおろした。だが安心してからも彼らの急ぐ様子をぼんやり眺めていて、ふと高い声が耳を打った。
――ふいー、ふいー、ふいー……。
シカの鳴き声だ。それもかなり近いところから。
これなら姿が見えるかもと、従業員は向かいの木立を見やる。けれども、シカの一頭もそこへ立ってはいない。
――ふいー、ふいー、ふいー……。
またも届くその声は、自分がいる場所よりずっと下から聞こえる気がした。ちょうど渓流の中からだ。
カジカガエルの声。しかしここから目を凝らし、また階下へ移って川を見渡しても、彼らカエルの姿は見られなかった。あるのは、いまなお川を勢いよく泳ぐゴリたちの姿のみ。
――ふいー、ふいー、ふいー……。
間違いなく、音は彼らのいる方向から響いてきている。
さらにつぶさに見ていくと、全員が全員、先を急いでいるわけでないことが分かった。一部のゴリはある一点でとどまり、ぴんと身体を伸ばして泳いでいく同士に対し、何かを守らんとする姿勢を見せていた。
何尾もその近くへ集まり、同じように丸めた身体で、先客を押しやろうとする動きも確認できたんだ。それはちょうど、従業員たちが配した像たちの、沈む場所でもあったんだ。
秋の鹿の声が、宿によみがえった。その不思議な現象を聞きつけて、一時期はごった返すほどの来客がいたそうだ。
だがその騒ぎも、数ヶ月ほどでおとなしくなってしまう。沈めたゴリの像はひとつ残らずなくなっており、再度作成してもらって同じことをしても、二度とゴリの声を聞くことはできなかったそうだ。
だがここに勤めた者、および訪れた客たちは、自分たちが見聞きしたこの現象をよく覚えていた。
――魚が奏でるシカの声を、秋に確かに聞いた。
その話が広まった結果、ゴリにもカジカのごとき声を出せること。それが秋のことであったことから、ゴリは「鰍」の名を与えられるようになったとか。




