・・・・・・(9)恐竜の弾くピアノ
2月10日。
窓の外は、雪。
そして、室内には大きな恐竜がいる。
体を縮めて、小さなピアノを弾いている。
そんな感じがする眺めに、あたしは癒されていた。
まあるくなってココアを飲みながら、恐竜の手さばきに見とれている。
「お。出た出た、うわホントにイケメンだな。CG映像かと思った」
恐竜が操作しているのは、ピアノではなくパソコンのキーボード。
恐竜の名前は寺内まどか、 高校の時の同級生だ。
女の子だけど身長が177cmある。
顔立ちも態度も男っぽいので、クラスでは「アニキ」と呼ばれていた。
まどかは大学に行き始めてからひとり暮らしをしている。
あたしは、寝袋を持ってそこへ転がり込んだのだ。
「ウィザード」を失った今、あたしにはそういう場所が必要だった。
まどかは体格の割にスポーツが苦手で、趣味はパソコンだ。
プログラミングはプロ級。ハッキングは大得意。
本人は認めたがらないが、オタクとしか呼べっこない。
画面に出て来たのは、ウィズが開いている占いHPのトップページだった。
まどかが、問題の占い師の顔を見せろと言うので、サイトに案内したのだ。
ページを開くと、占い師らしい衣装を着たウィズのアップがのっけから迎えに出てくる。
「顔に自信のあるやつはふてぶてしいというか、やるもんだね」
まどかはその写真が気に入ったらしい。
あたしは笑った。その衣装には少し思い出があった。
「馬鹿なんだよ。この衣装、わざわざ貸衣装で調達してやったんだから。
それらしくしてるけど、この下はジーパン、で‥‥」
あ。‥‥まずい。
だめだ、ウィズの顔見たら。
「美久!もう、泣ーくーなーよー!」
まどかが肩を抱いてくれた。
今更ながら、自分のしつこさに驚いている。
あたし、こんなに涙もろい人間だったかしら?
あれから泣いてばかりいる。
いくら頑張っても止まらないので、泣くのは仕方ないことにした。
泣いてもいいから、前に進まなきゃ。
「ほんとにやってもいいんだな?」と、まどか。
「うん。お願い」とあたし。
まどかは今から、爆弾を投下する。
ブツはミヤハシ父のスナップ写真。
桜花台出身の友達のつてをたどって手に入れたものだ。
「よし、スタートだ」
ミヤハシ父の写真が、ウィルスになって投下された。
ウィズに言われて、あたしはあたしの犯してきた間違いに気付いたのだ。
あたしはこれまでの人生で、一度も相手とぶつかったり、戦って勝ち取ったりしなかった。
泣き叫んででも、食らいついてでも、自分の意思を貫き通さなければならない場面があったのに、それをしてこなかった。
全部自分のせいにしたのは、強いからじゃない。優しいからでもない。
その方が楽だからだ。
「何かできることはないかな」
まどかに相談して、一緒にいろんな方法を話し合った。
他愛ないいたずらから、深刻な訴訟まで、あたしが自分の過去にエンドマークをつけられるようなことを、ふたりで延々と考えたのだ。
結局、終わった関係を蒸し返さずに溜飲を下げるなら、ウィルスかなあ、とまどかが言い出したのだった。
あたしはめそめそ泣きながら、それでも一歩ずつ歩いている。
今日はチョコレートを2つ買った。
両親に手紙を添えて送ろうと思う。
これまで気付いて欲しくて言えなかったことを、少しでも伝える努力をしようと思う。
どのくらい伝えられるかはわからないけど、少なくともゼロではないはずだ。
何をやればいいのか、わかってるわけじゃない。
何をやっても、もうウィズとはうまくいかないかもしれない。
でも今のままのあたしじゃ、大事なものは何一つ捕まえられずに終わってしまう。
だから、もう逃げ回るのはやめるんだ。
跳ね返せ、跳ね返せ。
イヤなやつばっかりでうんざりしてたって、自分自身を好きならきっとやっていける。
けど、ふとした拍子に、あの晩ディスプレイの光の中に立ち上がったウィズの姿を思い出す。
あたしの腕をつかんで引き寄せた、美貌の悪魔の顔。
何度でも涙が出る。
跳ね返せるのはいつのことだろう。
「おい、なんかあいつ、ついて来てないか?」
夕食の買い物に出かけたスーパーの野菜売場で、まどかが後ろを気にし始めた。
あたしは振り返ったが、それらしい人は見当たらない。
「どんなひと?」
「ガリガリにやせたにーちゃん!黒の皮ジャン着てた」
「そんなのいないわよ」
「いや、複数いるかも。あのおやじもさっきからあやしいぜ」
何だかどこかで聞いた台詞だな。
「まどか、まさか変な薬とかやってたりしないでしょうね?」
「あー?なんだそりゃ」
「なわけないか」
気になって、何度も後ろを確認する。
これがまずかった。
振り向いた拍子に、とんでもないのと目が合ってしまった。
野村と辻本だ。
顔を見るなり、ずるずると寄ってきて、人のことをジロジロ見る。
「よう。久しぶり」
「おもしれぇとこで会うなあ」
あたしはまどかの腕にしがみついた。
あの頃とは違う、と思っても、どうしてもこわくて体がすくむ。
「お前、あかむけたな」
「バカ、垢抜けたって言うんだよ。むけてどうするよ」
「乳がでかくなった」
「うんうん、乳が垢抜けたよな」
相変わらずボキャ貧ぶりを振りまきながら、なめ回すように見る。
「おい、いい加減にしろよ。なんだよ、あんたらは?」
まどかが文句を言った。とたんに野村たちの表情が険悪になる。
まずいかも。
ジャンパーにジーンズ姿、長身ショートカットのまどかは、間違いなくあたしの彼氏に見える。
「俺たちはオトモダチだよ」
「ふっる〜いオトモダチだ。仲良かったんだぜ」
「そうそう、写真も撮ったよな」
「俺も持ってる。とびきりいい写真」
怒りでアタマに血が上って行く音が聞こえそうなくらい、あたしはカッとした。
「何が仲いいもんですか」叫んでしまった。
「あたしはミヤハシ大嫌いだったわ。その腰巾着なんてお呼びじゃないわよ」
「誰がイソギンチャクだ」と野村。
「そうだ、第一オレらは予備じゃねえぞ」
「お予備って言ったんだよ」
「なんで予備を丁寧に言うんだよ」
誰かこいつらに日本語を教えてやってくれ。
「ミヤハシは人でなしよ。あんたたちもそのうち、バチが当たって死ぬんだから」
「イソギンチャクの次はヒトデが出たな」と野村。
こいつらと喧嘩するのはあきらめよう。
ところが。2日後。
この、最後の物言いを、あたしは後悔することになる。
まさか自分の方が会話に失敗していたとは、夢にも思わなかったのだけど。