・・・・・・(7)魔術師の豹変
昨日からずっと考えてた。
運命をねじ曲げて、ウィズを救う方法。
彼の予言が必ず当たるかどうかなんて、この際問題じゃないのだ。
彼自身がそれを信じている以上、毎年バレンタインが近づくたびにボロボロに疲れてしまう。
だから、予見は当たらねばならないのだ。
そしてそれを、目の前で打ち砕いて見せなければ。
さんざん考えたけれど、結論は「ウィズに聞かなければ道は見えない」だった。
ウィズの予言だ。
もっと詳しく知りたいと思っても、あたしにはそれを発展させる力がない。
彼に詳しい予見を話してもらい、対処法を見つけるしかないのだ。
夜になって店に行くと、喜和子ママ一人しかいなかった。
「ウィズは?」と、あたし。
「今日はずっと部屋にいるわ」
客もいなくて暇なのだろう、喜和子ママは編み物をしている。
「朝からずっと?二日酔いかな?」
「起きてるのは確認したわよ。
まあ、インターネットがあるから、お仕事は部屋で事足りるんだけど」
「あたし、上がってみてもいい?」
喜和子ママは黙ってキーを貸してくれた。
渡す時、何か物言いたげだと思ったら案の定、店を出る前に呼び止められた。
「美久ちゃん。その‥‥見捨てないでやってね」
「え?」
「あの子、吹雪さんね。優しいのよ。
育ちが複雑なせいでちょっと難しいとこあるけど、基本的には優しいの。
誤解しないでわかってやって欲しいの」
何でそんなこと言うんだろ?
誤解も何も、ウィズは根っこから葉っぱの先まで優しいじゃないか。
寂しい時ほどひとりになりたがる癖も、ちゃんと知ってるよ。
ママさん、心配性?
首をかしげながら、2階へ上がった。
喜和子ママとウィズは、同じマンションの2階に1室ずつ、部屋を借りて住んでいる。
ママのご亭主が生きていた頃には、3階の2LDKに3人住んでいたというから、なさぬ仲の息子と距離を置いたのかと、最初は思った。
でも、ウィズの部屋に入った人は、こいつが物好きでここを借りたのだと、ひと目で納得する。
ウィズの部屋は、部屋じゃない。
正確には、居住空間じゃない。
もともとは、管理事務所用に作られた部屋だと思う。
廊下の壁と同じ色の、つっぺらりんの入り口は、玄関ドアじゃない。
一歩踏み込むと、部屋の中も廊下と同じ材質の床だ。
段差もアガリガマチも何もなく、いきなりカーペットが敷いてある。
ままごとの家みたいだ。
部屋の中央にソファとテーブルがあり、ついたての向こうには、家具がまとめて並べてある。
散らかってもなければ、片付いてもない。
言ってしまえば、「手付かず」だ。
ウィズはそのソファに座ってパソコンを操作し、夜はそのまま横になって寝てしまう。
ネットカフェで充分じゃないか、ともったいなくなる。
ノックをしても返事がないので、勝手に鍵を開けて入った。
部屋の電気は消えていた。
「わああああああああッ」
突然、ウィズが暗がりで叫び声を上げた。
あたしは飛び上がって、ドアに背中をぶつけた。
「な、なに?」
闇の中に沈むカウチソファの上で、ウィズが体を起こして荒い呼吸をしている気配がした。
「ご、ごめん。黙って入ったから…?」
「美久ちゃん」
ウィズは大きなため息をつき、立ち上がって部屋の明かりを点けた。
「ごめんね、ノックはしたんだけど。
もしかしたら眠ってたのを起こしちゃった?」
明るい光の下であたしをまぶしげに見る魔術師の顔は、相変わらずきれいだけど、王子様というより美貌の悪魔を連想する面差しだった。
ウィズは目を凝らして、物も言わずにあたしをじっと見た。
険しい表情だった。
もともと彼は、子供がするように不躾に人を見据える癖があるんだけど、こんな怖い顔をしてるのは初めて見る。
「あの…どうかした?」
答えはなかった。
この気難しい王子様は普段から気分にムラがあるので、あたしは気にとめず勝手に部屋の奥に入り込んで、電気ポットのお湯で紅茶をふたり分作った。
「相変わらず、生活感のない部屋ね」
たちまちティーカップの置き場に困りながら言うと、
「仕方ないだろ。ここしかないんだ、ガス栓のない部屋って」
「あ‥‥」
そうだったんだ。
火の元になるもの全て、自分の近くに置きたくないのか。
そこまで追い詰められているなんて、今まで少しも知らなかった。
あたしはウィズの足元にぺったり座り込んで、整いすぎて生命感に欠けるその顔を覗き込んだ。
「昨日の話がしたいのよ。今、時間取れる?」
「昨日って?」
「あたし、バレンタインまでに対策を立てたいの」
「チョコレートは苦手だよ」
ウィズはとんちんかんな返事をした。
「ウィズ?あたしに、助けて欲しいって言ったでしょう?」
「僕が?」
きょとんとしている。
「忘れたの?バレンタインデーに死ぬんだって。
だからどうやったら助かるか一緒に考えようって言ったじゃない!」
ウィズは顔色を変えた。
しばらく固まってから、
「…それ、僕が言った?」
おそるおそる、聞いてきた。
おいおいおいおい。
ウィズは眉間にしわを寄せてひとしきり頭を掻き、
「ああ‥‥忘れてたよ。言ったかも。‥‥ずいぶん酔ってたんだな」
言ってからもう一度深い息をついた。
「悪いけど美久ちゃん、忘れてくれないか?」
「え?」
「それ、ただの冗談だから」
「‥‥冗談?」
「冗談っていうか、演出。うーん、女の子相手だとよくやるんだ」
「冗談で死ぬ話なんかする?」
「だから酔ってたんだって」
「いったいどういうつもり?」
あたし、ちょっとイラついてきた。
「バレンタインデーの前にそういう話を振ると、盛り上がるだろ?
助けて欲しいんだ、まあどうすればいいの?なんでもするわよ、って」
「まあ。人にもよるけどね」
「で、救いの方法を二人で考えてるうちに、いつの間にかベッドの中にいると」
バン!
あたしはテーブルを思い切り叩いた。
「なにそれ‥‥サイッテー!」
「確かに、初心者バージョンじゃなかったな」
「あたしをナンパしてどうしようっていうのよ」
「どうして欲しい?」
「え?」
ドキンと心臓が波打って、あたしは緊張した。
これって、今までにいっぱい経験してきた展開になってる感じがする。
ふたりきりで、探り合いの会話をして、それから決まって同じ事をするんだ、男って。
ありきたりな展開。でも、ウィズがそんなことをやるなんて信じられない!
「平気で部屋に入ってくるって事は、ちょっとは期待してたんだろう?」
「な、何言ってるのよ…」
「それとも美久ちゃんも、僕に下半身が付いてたら、都合が悪いクチなわけ?」
「下半身‥‥?」
「時々いるんだ、人の顔だけ見て勝手に王子様に仕立てて、そこからはみ出したことするとすごく責める女の子。馬鹿にしてるよね、下半身までメルヘンだったら化け物だよ」
「ウィズ‥‥」
胸がぎゅっと絞めつけられるように痛んだ。
ウィズの言うことはよくわかった。
あたしはウィズが男だということを忘れて過ごすことが望みなのだ。
いや、勿論認めてないわけじゃない。
暑い時期、薄着になったあたしの胸のあたりに、ウィズの視線が蝶々みたいにひらひら止まるので、ドキドキしたこともある。
ウィズのお仕事用のパソコンに、人に言えないピンクな画像がこっそり隠してあるのだって知ってる。
でも少なくとも、彼がその欲求の牙をあたしに向けて来ないことを信じているから、これまで付き合って来れたわけだし、そう言う意味では、彼はとても痛い所を突いたわけだ。
「部屋へ上がって来たのが気に入らないのね?
だったら店に下りて話をするけど」
「人をその気にさせといて、今さらスルーってひどくないか?」
「その気って…あ!」
あたしは言葉が継げなくなった。ウィズが不意に腰を上げて、あたしの腕をつかんだからだ。
思わず立ち上がって逃げようとしたが、出来ずに尻餅をついてしまった。
一瞬で抱きすくめられて、悲鳴に近い声を出した。
「や!ねえ、止めようよウィズ、こわいよ!」
体が密着する前に押し戻そうとしたが、できなかった。
床にへたりこんだまま唇を奪われた。
目の前が真っ暗になった。
「さて、いつもはこのあとどうするんだっけ」
ウィズが唇を離すなり小声で言った。
「美久ちゃんは窓から逃げるのがお得意だったね。
でもここはちょっと窓が高いんだ、困ったね?」
「…どうして?」
「シャワーを浴びててあげようか。その間に逃げられるだろう」
「ウィズのばか!」
あたしは相手の頬を張り倒そうと手を振り回したが、鼻先を掠めただけで当たらなかった。
「なんでわざわざこんな、人を傷つけるようなことをするの?
あたし、ウィズに何かした?一回でもウィズのこと、王子さまだなんて言った?
他の誰かのしたことで、あたしを責めるのはやめて!」
ヒステリックに叫ぶあたしに、ウィズは馬鹿にしたように言った。
「じゃあそっちはどうなんだ?
美久ちゃんだって、他の男のしたことを関係ない男にぶつけてるじゃないか」
あたしは息を飲んだ。
「美久ちゃんのしてることこそ八つ当たりだろ。
きみの怒りが正当な相手に向かってさえいれば、ホテルに置き去られて間抜け面をさらさなくて済んだ男は何人もいるんだろ?」
あたし、何も言い返せなくなって唇を噛み、ウィズをにらみつけた。
「…帰る」
捕まれた腕を振りほどこうとした。
「帰るなよ」
「放して」
「だめ」
押したり引いたりしているうちに、また腕の中に巻き込まれた。
その時だ。
あたしの全身を、あのいつもの不快感が駆け抜けた。
寒気がして、全身に鳥肌が立つ。
それが瞬く間に赤い発疹に変わる。
ウィズなのに!
世界でたったひとりだけ、あたしに触れられる男だったのに。
あたしの悲鳴は泣き声になった。
もうダメだ。
あたしの体は、ウィズを拒絶し始めたのだった。
何処をどうしたのか覚えてない。
気がつくとドアを開けて、廊下に飛び出していた。