・・・・・・(31)愛の戦士
とんでもないことをしてるのはわかっていた。
あたしの体は、まだあちこち薬の影響が残っている。
感覚も動きも全然ホントじゃない気がする。
他人が同じことをするのを見たら、きっとあわてて止めるだろう。
あたしは、母の帰った後、消灯後の病室でパジャマを脱いだ。
着替えと言ったら、一つしかない。
あの日、初デート用に新調した、ノースリーブのワンピとサマーニットのベストだ。
初エッチの思い出になり損ねた屈辱のワンピ。
今夜は、戦闘服のつもりで身に付ける。
看護婦さんの巡回は終わったばかり。
詰め所から丸見えの廊下は通れない。
窓を開いて、4階から下を見下ろす。
上手い具合に、角部屋だ。
細いセメントの張り出しを使えば、非常階段まで壁を伝って行けるはず。
そこから1階駐車場までイッキだ!
窓枠に足をかける。
なんか、久しぶりって気がする。
去年あたりはこんなことばかりやってた。
ラブホのトイレから篭脱けとか、車の反対側のドアから転がり出たりとか。
あのころは、イヤなやつのエッチから逃げ回ってた。
今夜は、最愛の人を自分で手に入れに行く。
だってもう、がまんなんてできない!
あの夢の中のプロポーズが、幻じゃないって確かめたい。
心の空洞にぴったりハマるのが、あの人であるって実感したい。
ウィズは親子仲のいい家族に憧れている。
だから、あたしと母がいさかいを起すと思ったら顔を出さない。
そういう腰抜けぶりがちょっと愛しい。
彼はこれまで、言葉なんて信用せずに生きて来たはずだ。
彼の能力を使えば、相手の気持ちは手に取るようにわかったから、口に出した言葉に頼るのはかえってマイナスだったからだろう。
その彼が、あたしを連れ戻すためにあれだけ繊細な言葉を口にしてくれた。
伝えることの大切さに気付いてくれた。
あの川のほとりで聞いた言葉が、この先あたしの一生を支えるプレミアになる。
勇気がいくらでも湧いて来た。
だから今夜はこうして、あたしが戦士になる。
なりふりかまわず突撃するのは、どっちか一人でいいんだから。
窓枠に乗っかるだけで、かなり体がつらかった。
まだあちこちに麻痺が残っている。
息が上がりそうだ。
足を壁の下に下ろそうとした時。
外から腕をつかまれ、悲鳴を上げた。
「シーッ」
ウィズがあたしの唇を指先で押さえた。
非常階段から、あたしの想定したルートを逆に辿って来たらしい。
「無茶するなあ。 この張り出し、僕でもやっとなのに」
ウィズは窓枠を乗り越えて病室に入り、あたしを抱き上げて室内に逆戻りさせた。
「あたしが抜け出すとこを“見た”の?」
「馬鹿! 僕が“見た”のは、君が落ちるところだ!」
‥‥うそっ!!
「頼むよ美久ちゃん‥‥。 胃に穴があきかけたじゃないか!!」
ウィズはあたしを抱きしめ、深い深い息をついた。
やっぱりこの腕だ。 この胸だ。
あたし、思いっきり頬ずりしながら恨み言を言った。
「ウィズが来てくれないから悪いんだよ!
‥‥ねえ、あたしの勘違いじゃないよね?
三途の川まで、連れ戻しに来てくれたんだよね?
その時、一生一緒にいようって、言ってくれたんだよね?」
「うん。 そうだよ」
「よかった! 夢じゃなかったんだ!」
「いや、夢は夢なんだけどさ」
あたしたちは笑った。
笑いながら、お互いの唇を探り当てた。
めまいがするようなキスをした。
ウィズはあたしを病室のベッドまで運び、自分も一緒にもぐりこんだ。
入り口から見えないように毛布を被った。
体の周囲だけの、ほんの小さな密室で愛し合った。
そこはあたしが自由になれる世界でひとつの場所だった。
何の不安もなく服を脱ぎ、相手の唇と指先を求めた。
「好き」の言葉を形にして体に残したかった。
愛が呼吸をするために必要な酸素が、互いの腕の中にある。
深呼吸をして肺の中を一杯に満たしたい。
舌先から沁み込む思いを掬い取りたい。
もっと。 もっと。 もっと!
‥‥ただし、幸せの記憶は5分間だけでいきなり途切れた。
そこであたしは、貧血を起して失神したのだ。
体力的にまだ全然無理だったわけだ。
「美久ちゃん? ‥‥美久ちゃん大丈夫? しっかりして! あああ、美久ちゃん!」
ウィズの悲痛な声が耳元から遠ざかるのが、暖かくて残念で、でもちょっと幸せだった。
惜しいところで吹雪クン、美久ちゃんのバージン奪えませんでしたね、多分。‥‥いや5分あれば大丈夫だ!と思う人は、ご自由にご想像ください。(いいのか?)
さて、次回で最終話となります。お楽しみに。