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・・・・・・(23)最後の封印解除

 室内が沈黙で満たされた。

 あたしと朝香センセが声を殺してすすり泣く気配だけが、淀んだ空気をわずかに震わせていた。

 

 大田原に手術してもらって女の子になれば、娼婦だらけの家でも優遇してもらえると、幼いウィズは信じていたのだ。 おそらく育ての親が憎まれ口に言った言葉を真に受けてのことだろう。

 実際は男でも女でも、その家では小さな子供など厄介者でしかなかっただろうが、そんなことが理解できる歳ではなかった。

 そして、いざ大田原の手術を受ける時になって、彼は見てしまった。

 殺人鬼の頭の中にあった、犯罪の記憶を。

 そして、大田原という男が救世主ではなく、単なる快楽殺人者であることを知った。

 ウィズは火を点けてすべてを白紙に戻し、久保がその後でウィズの記憶を消去した。

 あやめちゃんひとりにその重荷を託す形で……。

  

 数分後、朝香センセはなんとか動揺から立ち直り、涙を納めることに成功した。

 「よくお話してくれたわ。 ねえ、あやめちゃん。

  あなたはどうして大田原のお兄ちゃんが好きだったか、覚えてる?」

 「お兄ちゃん……大きくて、強くて、大人の男の人だったから」

 子供口調のウィズの声が、ゆっくりと答えた。

 「そう。守ってもらいたかったのね」

 朝香センセは微笑んで、少し声の調子を変えた。

 「さ、それじゃあやめちゃん。少し立って、歩けるかしら?

  起き上がって、ベッドから降りてみてくれる?」

 

 ウィズは頭痛に眉をひそめながら、起き上がってベッドの下に下りた。

 「あらまあ、あなたはずいぶん背が高いのねえ!

  あたしと比べてごらんなさいよ。

  15センチは違うわね。176センチってとこかしら?

  太田原のお兄ちゃんは、調べたら170ジャストだったから、今のあなたのほうが大きいわ」

 ウィズの中のあやめちゃんは、驚いたように、小柄な朝香センセを見下ろした。

 「鏡を見てみましょうか。

  ‥‥美久ちゃん、この部屋で一番大きな鏡はどこ?」

 あたしはちょっと考えてから、クローゼットの扉を開けた。

 扉の内側に、姿見にもなる縦長の鏡が取り付けてある。

 「あやめちゃん。 ここで自分の姿を見てご覧なさい。

  ‥‥どう?」

 

 ウィズは当分、鏡の前で固まっていた。

 無理もない。前回あやめちゃんが発動したのは、火事の後、久保医師が記憶の始末をした時だろう。 あやめちゃんが自分の姿を子供としてしか認識していないのは当然だ。

 「あなたは大きくなったのよ、あやめちゃん。

  もうお化粧したって、女の子にはとても見えないわ。

  大田原のお兄ちゃんに守ってもらわなくても、ちゃんと自分が守れるわ。

  それにこんな素敵な男性を、妖怪なんて言う人は、一人もいないと思うわよ?」


 その時のウィズの瞳を、あたしは一生忘れない。

 彼の中のあやめちゃんは、鏡の中の自分の姿を、吸い込まれそうな目で見つめていた。

 空から天女が降りてきたら、人はこんな目で見るんじゃないかと思う。

 息をつめて。

 全身全霊を込めて。

 あやめちゃんは長い間、恋人を見つめるように、自分自身を見つめていた。


 そのあと朝香センセは、ウィズをもう一度ベッドに横たわらせた。

 「あやめちゃん、あなたはこれから一度、眠ります。

  目が覚めてからのあなたは、あやめちゃんという名前ではありません。

  男の人なのに、あやめちゃんはおかしいものね。

  目が覚めてからのあなたは、如月吹雪という名前の男性です。

  では、一度眠りましょうね」


 そういうと朝香センセは、低い声で子守唄を一曲歌った。

 古い日本の旋律だ。

 あたしは一度も聞いたことがない歌だった。

 歌いながら朝香センセは、うつむいて一度、涙ぐんだ。


 ウィズが完全に眠ってしまうと、センセは涙をぬぐってあたしを手招いた。

 「これはあたしじゃなくて、美久ちゃんの役目だと思うわ」

 言いながら、化粧ポーチから小さなアトマイザーを取り出した。

 あたしのうなじに、小さくひと吹き、霧を吹く。

 「思い切り抱きついてみてね」

 「‥‥でもっ‥‥。 もし、またパニック発作とか‥‥」

 「きっと大丈夫よ」


 朝香センセは、胸に手を当てて呼吸を整えた。

 あたしよりセンセのほうが、よっぽど緊張しているのがわかった。

 

 それからセンセは、ウィズの枕元に座りなおして言った。

 「吹雪クン、聞こえますか?

  これから5つ数えて手を叩くと、あなたは目覚めます。

  目覚める時に、あやめちゃんという子供の意識が、あなたの中に入って来ます。

  あなたはそれを受け入れて、一緒に目覚めます。

  目が覚めると頭がすっきりして、気分が良くなっています。

  では5つ数えます。

  1,2,3,4,5」

 パンと手を叩くと、ウィズのまぶたがピクンと反応した。

 

 「吹雪クン、起きて。 目を開けて」

 まぶたが重そうに開いて、ウィズは目を開けた。

 「ウィズ、大丈夫? 気分はどう?」

 あたしが枕元に寄って行くと同時に、朝香センセは壁際まで離れて行った。

 「気分は悪くない。 どうしてここにいるかな、僕は」

 「ウィズになってる!」

 あたしは彼の首に抱きついた。

 「よかった! ウィズに戻ってる!」

 ウィズはほぼ条件反射的に、あたしの背中に手を回しかけた。

 そのあとハッとしたように、あたしの体を引き離し、顔を覗き込んだ。

 そして小さく、むせるような咳をして顔をしかめた。


 「‥‥なにこれ! 美久ちゃん、どうして怜のヤツと同じ匂いがするの?」

 う。 まあ、そりゃそうだ。

 朝香センセの香水、もらったんだもんね。

 「ウィズこの香水は、平‥‥」

 「そういえば、怜のどこにキスしたって?」

 たたみ掛けられて、あたしはびっくりした。

 あまりに不意を突かれたので、ノーガードで思い浮かべてしまった。

 おまけにこの時、あたしはポカをやった。

 ウィズが尋ねた“キス”は、クリニックで朝香センセにした「女神様のキス」だ。

 これは怜を刺激するためにしたので、ほっぺにチュッとやっただけ。

 むしろその時、センセの腕に押し付けた胸のふくらみの方が、作戦的にはメインだったのだ。

 ところが、不意打ち食らってテンパっちゃったあたしの脳裏に浮かんだのは、ついさっき、怜の部屋でされたキス。

 壁際で乱暴にぶつけられた。

 あの、強引で、へたくそなキス!


 マズイ! と思ったときには、もうウィズに読まれていた。

 「おい怜!おまえどういうつもりで‥‥」

 ウィズはベッドを飛び降り、朝香センセに詰め寄ろうとした。

 「待って待って、ウィズごめん待って、お願い!」

 あたしは間に体を割り込ませるようにして、ウィズを止めた。

 するとウィズは、あたしの肩をつかんで、壁に押し付けた。

 朝香センセのすぐ隣に、あたしの肩が並んだ。

 ずいぶん手加減してあったけど、怜にキスされたのとそっくり同じ姿勢になっている。

  

 何をするつもりかすぐわかった。

 ヘンなとこで負けず嫌いなんだから。

 あたしはウィズの唇を両手で押さえてガードした。

 「子供みたいなマネしないで!

  今は怜さんじゃなくて朝香センセなのに、恥ずかしいじゃない!」

 「そんなのどうだって‥‥」

 言いかけて、チラリとセンセの方を見たウィズが、驚いて静止した。


 朝香センセは、両手で口をおおって、ぼろぼろ涙を流していた。

 「美久ちゃん‥‥成功よ‥‥大成功よ!!」

 センセが震えながら叫んだ。

 「トラウマが消えてる!」

 「え? でもウィズ、この香水イヤそうでしたよ。むせるくらい‥‥」

 「そう。 そのイヤな匂いの中で気分も悪くならなかったし、あなたの頭の中を読んだわね?

  それだけ集中できたの。‥‥それでいいのよ!」


 そうか‥‥。 好き嫌いが問題じゃないんだ。

 呆然としているウィズに、あたしはもう一度抱きついた。

 「すごい、すごい!

  やったわウィズ、治ったのよ!

  朝香センセが治してくださったのよ!

  もうエレベーターも、満員電車も、デパートの特設会場もこわがらなくていいのよ!」


封印のセラピーは書いててつらかったです。悲しい話だからじゃなくて、伏線引いたのをここで全部拾わないと後がないので……。こんなに複雑にするんじゃなかった(泣)

さあ、一段落つきそうなので、次回は美久ちゃんたちにロマンスの方を頑張ってもらいましょうか。

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