・・・・・・(4)鬼より怖い宝くじ
重厚すぎるドアを押して中に入ると、明るい声が店内に響いていた。
「それは構いませんよ。
占いといってもうちは、人相とか統計的なものを扱うわけじゃないんですから。
ただ、集中力の妨げになりますのでね。 香りモノはお使いにならずにおいで下さい。
そうそう香水とか。 香料のきついお化粧とかはですね。
え? カレー? 食べるものはべつに。 ははは、加齢臭。 ご冗談を」
占いの予約客と話しているのだ。
「ただいま、喜和子ママ」
自分ちでもないのに、あたしはいつもそう言う。
「おかえりなさい、美久ちゃん。 チーズケーキあるわよ」
自分の娘でもないあたしに、ここのママはそう言って迎えてくれる。
店内にはカウンターと、4人掛けのテーブルが4つだけ。
外観より店が狭いのは、奥に個室があるからだ。
喜和子ママは、きりっとしたショートボブにサーモンピンクのエプロン。
もう60過ぎのはずなのに、少しもおばあちゃん臭くない。
「ウィズは?」とあたし。
「奥で仕事してるわ。さっきガンさんに泣きつかれて」
「またあ?」
「吹雪さんもねえ、断れない性格だから」
喜和子ママの淹れてくれた紅茶と、大好きなチーズケーキを前に、いつも通りウィズが出てくるのを待った。
ガンさんは30過ぎの、極道の人だ。
どういうわけか、年がら年中誰かから逃げ回ってる。
奥のドアから出てきて、まだウィズとふたり話し込んでいる。
「だから、そっちの方は保障できないよ。
西へ行けば確実だってのに、ガンさん嫌がるんだもの」
「西はろくでもねえやつしか住んでねえんだよ」
「ガンさん、実家長崎でしょ?」
「ほらみろ、きわめつけにろくでもねえじゃねえか」
恰幅のいいガンさんの横にいると、細身のウィズは小学生みたいだ。
カラーシャツにコットンパンツ、こんな軽装だと、特に。
「まあ、そうするわ。 ありがとよ」
やっと話が終わった。
「あ。待って、ガンさんさあ」
ウィズが、帰りかけたガンさんを呼び止める。
「なんだよ?」
「まつ毛が緑色で、ここんとこラメ入れてる女の子」
「蝶子か? どうした」
「泣いてるよ」
ガンさんがはっとしたように動かなくなる。
「なんで泣いてる?」
「知らない。 てかそれ考えるのは僕じゃない。 心当たりがありそうだから伝えただけ」
「お。 おう、わかった」
こういうところが、ウィズは優しい。
「ねえ、また売ってくれない?
恥ずかしながら、帰りのバス賃もないんだわ」
百円玉を取り出して、あたしはウィズにお願いした。
「うーん、今、手ごろなのがないんだよねえ」
ウィズはカウンターの下から手文庫を持って来た。
中から大量の紙束を取り出してめくる。
「やっぱナイかあ。 仕方ない、プレミアを放出しよう」
そう言って差し出したのは、一枚の紙切れ。
先週当選発表があった、宝くじだ。
ウィズがくれるからには、いくらか当たってるんだろう。
あたしは6年前から、こうしてウィズにお小遣いをもらっている。
ウィズの趣味はこれだ。 当たりくじ集め。
大抵は換金してしまうが、中には取っておきたい物もあるらしい。
当選の新聞記事と一緒に保管してあったりする。
理解しがたい。
ウィズには、未来が予見できる。
ただし、その力は映像を見る形で訪れる。
だから、数字を予想する力は、日常生活を予測する時より低くなる。 おおかた、5割強の勝率だそうだ。
どうもそのあたりが、ゲーム感覚で面白いらしい。
彼が「プレミア」と呼んでいるのは、ごく一般的な宝くじ。
ナンバーズのように好きな数字を書き込むのではないやつだ。
それだと当たり数字を予測しても、その一枚に巡り合わなければ意味がない。
より難易度が高いということらしい。
凡人のあたしには理解できない楽しみが、あたしの魔法使いにはいっぱいある。
逆に勝率9割と高いのが、競馬。
勝敗シーンがビジュアルで浮かびやすいからだろう。
ウィズがその気になればひと財産作れるはずだが、彼は興味を示さない。
つまり、彼が競馬場に足を運ぶようなら、いよいよ生活が苦しいということになる。
6年前から、あたしは親と接点を持たないようにして暮らしている。
同じ家で寝起きしてれば、会話がゼロとはいかないけど、限りなくゼロに近い。
学校から「ウィザード」に直行し、親が眠った頃帰宅する。
高卒でフリーターになった今でも同じだ。
学校が職場に変わっただけ。
そんな状態だから、中高生の頃、親はアルバイトの許可をくれなかった。
あたしも、まさかお小遣いをせびるような甘えが許されるとは思ってなかった。
お金に困っても、あたしにはエンコーすらできない。
見かねたウィズが、元金を払えば当たりくじを売ってくれるようになったのだ。
ところが、今回のプレミアと呼ばれた宝くじ、とんでもない代物だった。
「おんなじだ、よね…?」
何度読み返しても、95組の175593。
きゅうじゅうごくみのいちななごおごおきゅうさん。
プレミアっても限度があるだろ?
えらいもんもらっちゃった。 ウィズったらうっかり間違えたんだろう。
これ、1千万円当たってる。
まさかこんな恐いもの、もらうわけにはいかない。
明日になったらウィズに、別な宝くじと替えてもらおう。
パソコンを切って立ち上がったら、リビングの出口で母とカチ合ってしまった。
「美久、帰ってたの?」
母は堅い声で話し掛けて来た。
それきり何も言わない。 でもあたしには、飲み込んだ言葉が手に取るようにわかってしまった。
帰ったらただいまくらい言いなさいよ。
こんな時間まで毎晩どこに出掛けてるの?
返事をしなさい。 何が不満なの?
でも母はそれらの言葉を飲み込んだ。
言ったところで、ことごとく無視されることがわかっていたからだ。
そのかわり、神妙な顔であたしの手を取って、
「ね。美久ちゃん、話し合いましょう。 お母さんに言いたいことあるんなら、ちゃんと言って!」
と言った。 あたしはその手を振りほどいた。
何を望んでるかがわかっていたら、はなから逃げ回ったりしやしないのだ。