・・・・・・(18)もっとあぶないセラピスト
「繋がったぞ」
ベレッタ刑事が電話をくれた。
敷島の逮捕から、2日後の午後だ。
「顧客リストから出てきたの?」と、あたし。
「いや。手下のひとりにゲロさせた。
リストには久保の名前はないんだが、裏は取れた。
殺害されたあやめちゃんを生前撮影した時の、ホテル側の人間から証言が取れたんだ。その後久保のところに送ったってね。
明らかに受診させているのに該当するカルテがないというだけで、犯罪の証拠があるわけじゃないんだが」
「いつ逮捕?」
「とりあえず参考人で引っ張る。明日のアサイチ」
「令状は?」
「まだ無理だ」
「じゃあ、今夜やらせてください」
「本気で言ってんのか?」
所沢刑事、うーんとうなってしぶる。
「言っとくが、俺は知らぬ存ぜぬで通すしかないんだぞ。
知ってて黙認したのがバレたら、民間人におとり捜査をやらせたと言われて首が飛びかねん。
あくまで偶然に、助けに行ってやる。時間は何時だ?」
「明日はかなこちゃんが退院後初めてのセラピーを受ける日で、それが夕方5時なんです」
「じゃあ5時半に行く。5分前に携帯に電話する。
10秒で切るから、出るなら早く出ろ」
「了解ですッ」
あたしが元気に答えると、刑事さんはひとつ咳払いをした。
「それと‥‥ヤツの具合はどうなんだ?」
「ウィズは大丈夫」
「本当だろうな?どうも、俺が見るたびにヘタってねえかあいつは。
トカレフってのは、故障の多い改造拳銃だ。お嬢も苦労するよなあ」
「ほんとに、もう大丈夫なんです。
トラウマがひとつ消えたから、以前よりは安定すると思うわ」
あの日、炎の中で泣いてたウィズは、もうきっといないから。
これから少しずつ、自分自身を好きになってくれるといいな。
とはいえ、未解決の謎は山積みだ。
あやめちゃんのこと、香水嫌いのこと。かなこちゃんを妊娠させた犯人。
こんなこと警察に頼むわけにもいかないし、どうやらウィズは2.3見当をつけていることがあるらしい。
あたしとウィズは、ちょっとフライングして、警察に行く前の久保先生にアタックしてみることにした。
そのためにはちょっと下準備がいる、
それから5時まで、大忙しになった。
クリニックの診察室に、斜めに明るい光が差し込んでいる。
白衣を着た中年の医師が、診察室の中をせかせかと歩き回っている。
机の引き出しや棚の中の物を物色して、必要なものを黒い手提げ鞄に詰め込んでいるのだ。
白髪がほどほどに混じった髪も、顔立ちも上品で、しぶいイイ男だ。
その口元に浮かべた、いやらしいうすら笑いさえなかったら。
「あら。お逃げになるんですの?」
戸口から声をかけられ、一瞬ぎょっとした表情になった。
が、すぐに微笑を浮かべて、彼は振り返った。
扉のところに立っていたのは、朝香センセだった。
「いやいや、逃げたりはせんよ。
最低限の物を隠しておくだけさ。
こちらの診療記録さえなければ、私と連中の関係はほとんど足跡を残していないはずだ。
そのためにわざわざビデオ購入に他人を介していたのだし」
「そうですわね。先生は、作る側のスタッフに名前が残らないように細心の注意を払われた。子供の記憶を消す時も、ここから一歩も出ず、診療として記録されるようになさいましたものねえ」
「そして医者には守秘義務がある。特に精神科の場合は秘密主義になっても誰も不審には思うまい。たとえ警察にでも、診療の記録をあけすけに報告はできん。
断ってしまえばいい。」
「被害者である子供の記憶は、毎回封印してしまいますしねえ」
「それは研究のためでもあるんだよ」
「多重人格の?」
「そうだ。おかげでずいぶん解明したよ。
分裂した性格同士が、相互の記憶をお互いに知らせないようにいかに保存しておるのかとかな」
「あたしの記憶は、消さなくていいんですか?」
朝香センセは、部屋の中央まで歩いて来て、診療用のベッドにひじをかけてすがった。
「この椅子で他の子供になさったように、喋られてはまずい記憶を全部“ゴミ箱”に入れても下さってもいいんですのよ?
「そんなことをしなくても、お前は裏切ったりはせんだろう。
データの整理から何から、これだけ協力してくれたのだ。
私が破滅する時は、おまえもただではすまんだろう。
ただし、怜の封印はもう一度やっておくべきだろうな。
ここのところ、ちょくちょく戻っておるようだから」
「先生が怜を封印しておいて下さるおかげで、あたしはとても充実してます。
この十年間の人生を下さったこと、感謝してますわ」
「憧れのセラピストになって、自分の人生を手に入れたわけだ。
それで、お前の望んだあの男は、手に入りそうなのかね?」
久保医師の質問に、朝香センセは顔をこわばらせた。
「だめでしたわ。
あたしより先に、美久ちゃんが彼を解放してしまうと思います。
あの二人はあのままくっついてしまうかも‥‥」
「お前はそれでいいのかね」
「仕方ありませんわ。
あたしはもともと女じゃないんですから、そこのところは半分あきらめてます。
でも、あの人のトラウマだけは、あたしが取り除いてあげたかった」
「せっかくお前ほどの現実主義者が、占い館なんぞに通い詰めて、こっそり治療してやろうとしてるのに、馬鹿な男だ」
久保医師は、シートを半分倒した診療ベッドに、朝香センセを招いた。
「‥‥怜を封印するんですか?」
「当然だろう。彼は私を憎んでる。大田原の協力者だからな。
加えてレミ、お前のことも恨んでいるだろう。
お前は第二人格でありながら、オリジナルである怜の人生を奪い取ったのだからね。
いくら不能になって男として生きづらくなったといっても、怜にも人生の選択権はあったのだからね」
「だから怜を残しておくと、あたしのカラダを使って怜が警察に協力すると?」
「そうだよ。さあ、目を閉じてごらん。
怜をすぐに出てこられない、深いところに沈めるから」
「やなこった!はははは!」
突然、朝香センセが大声で笑い出した。
驚いて凍りついた久保医師の前で、朝香センセは勢いよく立ち上がる。
「人の記憶を都合よくいじくりやがって、とんだ悪魔だぜ、おっさん!」
「お前‥‥怜か?いつの間に!?」
「さっき、オレの前に女神様が現れてねえ!
熱いキッスで、オレを闇夜から救い出してくれたのさ!」
「ちょっと怜さん!言わない約束だったじゃない!」
あたしは思わず叫んで、隠れていた棚の陰から立ち上がってしまった。
そう。4時半にこっそり朝香センセを訪ねて、怜に協力してもらったのだ。
ちなみにウィズのほうは、かなこちゃんとシスター松岡を連れて、一階の朝香センセの診察室にいる。
ここと一階のビデオカメラに細工して、一階からここをモニターできるようにして待機したのだ。
ああ、余計なこと言うから、怜にキスしたことがウィズにばれちゃった。
レミを怜に戻す時に、ウィズがいたんじゃ邪魔になる。
二人きりで怜と会うと言ったあたしを、ウィズはずいぶん心配したのだ。
なにしろ前回、とんでもない方法で呼び出してるから。
やだなあ、きっとあとで怒られる‥‥。
「このお嬢さんは、レミの恋敵かと思っていたが、怜の女神様も兼任しているのかね?
いろいろ男性関係の危ういレディだねえ」
久保医師はさすがにすぐ余裕を取り戻して、あたしに皮肉を言った。
「そう、久保先生から見たら、あたしは尻軽なんですよね。
それというのも、朝香センセの診療ビデオで、あたしのカウンセリングの様子を見てらっしゃるからですよね?
あのリクライニングチェアは、患者が横になると自動的にビデオ撮影を始めるようになってるんだって、こないだ気づいたわ。
そういうのぞき行為を棚に上げて、人のこと寸止め女とか、下品なことかなこちゃんに吹き込んだでしょ?
怜さんも、朝香センセに成りすますのがとっても上手よ。
それも、ビデオのおかげなんですって!」
「ビデオ撮影は、治療法を考える上で有効な手段で、どこのクリニックでもやってる!医師同士が患者の情報を交換するのも、合法的なものだ!
きみたちこそ、不法侵入で訴えてやるぞ!」
久保医師が声を荒げた。
「あら診療時間ですもの、あたしたち受付通って堂々と入ってきたんですよう。
この部屋に入れて下さったのは、朝香センセだし。
え?怜さん?区別つかなあい!」
あたしがしゃあしゃあと言ってやると、久保医師はしかめっ面になった。
「久保先生。
こんな面倒なやり方したのは、何も先生を警察に突き出すのが目的じゃないんですよ。
あたしたち、知りたいことがいくつかあるんです」
あたしは真顔になって、久保医師と向かい合った。
「あたし達と言うからには、最低あと一人は該当者がいるわけだ。
そいつはモニターの番人かね?ここに来て、一緒に質問したらどうなんだね?」
と久保医師。
「そうさせてもらってますよ」
扉の外から、ウィズが声を出した。
「さっきからここにいるんだけど、開けてもいいですか?」
「どうぞお入り下さい」
慇懃すぎるやりとりの末に、ウィズが部屋に入ってきた。
久保医師のモデルは私の恩師です。先生すみません、思いっきり悪役で。