・・・・・・(17)ひとつめの封印
震えや痙攣というものは、存外に体力を消耗するものらしい。
全閉事件の次の日、ウィズはベッドから起き上がれなかった。
喜和子ママは慣れたものだ。
占いの予約客に変更の連絡を入れると、さっさと喫茶店の通常業務を始めてしまった。
「やっぱり体が弱いのかねえ」
珍しく昼間から来ていた所沢刑事が言うと、
「昔から風邪ひとつひかない子ですよ。
不安定なのは体力じゃなくて、能力のほうね」
喜和子ママ、やんわり否定して、それが定番になったオスカをテーブルに出した。
刑事はコピーした資料をウィズに渡すつもりで来ていたのだった。
教会の全焼事件の調査書だった。
それによると、当時教会は表通りに建っていた。
現在の教会のある位置には作業小屋が建っており、ここから出火したのが午後11時。
これは小火で済んでおり、この時大田原が顔に火傷を負っている。
大田原は、この界隈でしょっちゅう目撃されていたが、作業小屋の持ち主とは直接の関わりはなかった。
それで、その後放火の疑いを持たれ、取調べを受けている。
教会炎上は作業小屋の火事から3時間後、午前2時ごろ。
この教会はプロテスタント寺院だったので、牧師は妻帯して教会と敷地続きの家屋で生活していた。
牧師の妻が消防署に連絡したのが2時19分。
すでに火の海だった。
火勢が強く、全焼まで2時間かかっていない。
焼け跡から牧師と見られる焼死体が出た。
ウィズは自分が火をつけたと言ったけど、それを裏付けるような記載はない。
警察は問題の写真集を徹底的に洗い出したが、男の子の写真はなかったそうだ。
とすると、ウィズとあやめプロジェクトって、どうつながってるんだろう?
「立派なベッド買ったのに、やっぱりあれって客用なんだねえ」
あたしは笑ってしまった。
ウィズはカウチソファで小さくなって寝ていた。
あたしが入っていくと、バツが悪そうにちょっとだけ手を上げた。
「もうお昼だよ。何か食べる?
リンゴ貰ってきたから剥くね」
あたしは勝手にキッチンからナイフを出してリンゴを切った。
どうせ食事らしい食事を出しても、手をつけないヤツとわかってる。
もともと、3食きちんと食べるのが苦手なのだ。
リンゴと、アイスティーを二人分テーブルに置き、ウィズの枕元にぺトンと座った。
「きのうすっごくハイだったね。覚えてる?」
大好きな横顔のラインに話しかけた。
「酔っ払っちゃったみたいだったよ、ウィズあれくらいのお酒で酔ったりしないのにね」
「息をするのもつらくてギリギリだったから、見る方の出力を落とそうとしたんだ。
見るために反射的に集中しちゃうのがつらいんだよ。
なのにそれを押さえ込んだら、キモチの方があふれてキレちゃって‥‥結局あれもテンション高すぎてつらさは一緒だった」
ちょっとすねたように、ウィズが答えた。
それってなんだか、せつないね。
ウィズはいつも、他人を受け止めようとしている。
他人をわかることで自分を表現し、他人に感謝されることで自分の価値を見ようとする。
その手段を封印したとたん、あれだけ強烈な個性が現れたってことは。
ふだん封じ込めているものの大きさを感じさせる。
どうやったら、この人はもっと自由になれるんだろう?
火事の時の資料を見て、ウィズは顔を曇らせた。
「炎を見ながら後悔したことばっかり覚えてるんだ。
そのくせ誰にも相談できなくて隠れてばかりいて。
でも、なんだってあんな作業所について行ったのかな。前後の事情がわからない。
美久ちゃんは、6〜7歳の頃のことって、どのくらい覚えてる?」
「‥‥そう言われると、ほんの少しだわ」
いろいろ覚えてるつもりでも、当時過ごした時間の長さからしてみれば、それは微々たる量の記憶だ。
増してや、あの日のあの時のこと、と限定されたら、十中八九出てこないのではないか?
記憶を失ったとか、取り戻したとかいっても、所詮はその程度の記憶なのだ。
「教会が火事になったことは覚えてない。
その前に大田原を攻撃して、作業所を焼いたのは覚えてるよ。
消防車が来て人垣ができたのが怖くて、教会に逃げ込んだんだ」
「待って。あたし、それを聞いてもいいの?
ウィズ、話したくなかったんじゃないの?」
「そんなこと言ったっけ?」
‥‥そういえば言ってない。あたしが勝手にそう思ってただけだ。
でもウィズは、知られたらみんなに嫌われると思って記憶を封印したはずじゃなかったか?
こんなにあっさり話すってことは、もっと深刻な秘密は別にあるってことだろうか?
「過去のことは、もう変えようがない。僕は人殺しだ」
魔術師は押し殺した声で言った。
「それは美久ちゃんも知っての通りだ。
もちろん正当防衛だけど、瞬間的に制御不能になっていたことは確かなんだ。
この先だって暴走しないとは限らないし、それが常に正当な理由である保障はどこにもないんだ。友達や大事な人と些細なことで喧嘩して、発動しちゃわないって保障があるか?
美久ちゃんも、もしこの話で僕のこと嫌いになったり‥‥」
「ならないッ!」
あたしは切り込んだ。
「あたしの気持ちが信じられないんだったら、遠慮なくこの頭ン中、読み漁ってくれていいわ」
「ありがたいけど、女の子の気持ちなんて、読めたってなんの足しにもならないんだ」
ウィズは肩をすくめて、だるそうに半身を起こすとアイスティーを一口飲んだ。
え?意外な発言。
「ウィズに予測できないこともあるの?」
「美久ちゃんだって例外じゃないだろ?
女の子って、全然自分が思ってる通りには動こうとしないじゃないか」
う‥‥。た、確かに。
この人に限ってと思いながら、疑っちゃうし。
抱かれたいのに、抱き寄せられた瞬間、ブロックしちゃったりとか。
自分でもわかんない。増してや、ウィズにわかるはずがない。
そこ行くと、朝香センセって、すっごく偉大かもしれない。
あたしの中途半端な性欲、ちゃんと理解してくれた。
「あの作業小屋はいつも鍵がかかってなくて、大田原が子供にいたずらするのに都合がよかったんだろうな。もしかしたら、商売をさせる前の子に必要なことを教え込むために使ってたのかもしれない。
僕は当時からそういうことが勘でわかってて、あの小屋は怖い場所だってちゃんと知ってた。だのに何故かついて行ったんだ。
ヤツが僕をひょいと抱き上げて、作業台の上に乗せたとたん、怖くて泣き叫んだよ。
これから何をされるのかがわかったんだ。
ヤツの頭の中には、血だらけの子供の画がぎっしり詰まっていた」
「怜さんの画も?」
「かもしれない。いちいち思い出せないよ、15年もたってるんだ」
「それ、大田原に言ったの?」
「言ったんじゃないかな。
今なら黙ってその場をやり過ごして警察に駆け込んだんだけど、子供の事だ、そんな知恵が働いたとは思えないね」
「それで殺されそうになったのね」
「なんとか手の中から逃れようとして睨みつけたら、火が点いたんだ。
それははっきり覚えてるよ」
そう、2月にやったことと同じ。
怒りと、恐怖をライター代わりに点火した。
「すぐに消防車が来て、人垣ができた。
僕は怖くて教会の礼拝堂に這いこんだ。
それまでにも、暑さ寒さをしのぐために、何度も忍び込んでたんだ。
そこに牧師が来て、お祈りをしてあげようと言った」
「そんな夜中に、その牧師は何をしていたの?」
「そう。今思えば、大田原から電話を貰って、僕を捕まえにきたんだね。
いきなり祭壇に掛ける白布でぐるぐる巻きにされて、箱詰めにされたよ。
大泣きして暴れたことしか覚えてないんだけどね。
そのあと教会が燃えて、牧師が死んだのなら、僕がやったんだろうと思う」
「布で巻かれて、箱に‥‥」
ウィズは淡々と話したけれど、あたしはカラダが震えるほどショックだった。
殺人鬼から逃げて、隠れたはずの教会で、聖職者に襲い掛かられて、もとの殺人鬼に引き渡されるのだ。
その恐怖はどんなにか大きかったことだろう。
「僕を燃やさないで!」
あの悲痛な声は、大田原の報復を想像して怯えたウィズの叫びだった。
その怯えが、炎のイメージを具体化して、結局強烈な火災を起こしてしまった。
「ウィズ、こわかったね」
ソファの上から覆いかぶさるようにして、あたしはウィズを抱きしめた。
「こわかったでしょう‥‥?」
「美久ちゃん、昔のことだよ」
ちょっとあきれたようなキョトンとした顔で、ウィズは笑った。
「違うわ!昔のことだからなおさらよ。
ウィズは小さい子供だったのよ。
向かってくる敵はカラダの大きなオトナなのに!
大きくなったあたし達が考えるより、もっと何倍もこわい思いをしたのよ!」
「美久ちゃん‥‥」
「あたしもこわかったわ。大田原に首にナイフ当てられた時。
バスタブのドライアイスに浸かっていた死体は、雪の上のザクロみたいだった。
あんなふうに切り刻まれるんだと思ったら、胸の中が墨のように真っ黒につぶれて、体中の力が逃げてしまったわ。
ウィズだってこわかったはずよ。
殺された子供の画を読んだあとだもの。
こわくて胸の中がどろどろに溶けてしまってたはずよ!
あたしはウィズに助けてもらったけど、小さなウィズはひとりきりで戦ったの。
‥‥よくがんばったね。
えらかったね!
ちゃんと生き残れて、よかったねえ!」
あたしは何度も何度も、ウィズの頭をなでてあげた。
「美久ちゃ‥‥」
ウィズの声が途切れた。
彼の目尻に浮かんだ涙を、あたしは唇ですくい取った。
あたしの胸に顔をうずめて、ウィズは静かに泣き始めた。
いっぱい泣いていいよ。
昔の悲しい自分のために、思いっきり泣いてあげてね。
「ウィズ‥‥大好き」
そういえば、ちゃんと伝えたことがあったかしら。
「大好き‥‥。大好き‥‥大好き‥‥!」
不安定でも、優柔不断でも、土壇場ヘタレでも。
ギャンブラーでも、タラシでも、くそまじめでデリカシー・ゼロでも。
「世界で一番、愛してる!」
いよいよ吹雪くんの過去に迫ってきました。まだまだこんなもんじゃございません。吹雪君の幼少期はかなこちゃんに輪をかけてヘヴィーなもんです。ああ設定が重い、誰が決めたんだ誰が。