・・・・・・(6)信じよ、されど救われず
まさか、まさか、まさか!
あたし、それまで信じてなかった。
オタリーマン白井が何と言おうと、はたからいかに異常に見えようと。
ウィズはロリコンなんかじゃない!
もし仮に彼の嗜好がそうであっても、実際に幼い子に手を出すなんてありえない。
彼自身がそういう傷を負っているのに。
加えて、目の前の子供が苦しめば、その痛みはダイレクトに彼に伝わるのに。
そんなこと、するはずないと思ってた。
でも、相手が心から望んでいるとしたら?
かなこちゃんが、ウィズに抱かれたいと思う事は、ありえないだろうか?
もしあれば、ウィズにそれが拒めるんだろうか?
「かなちゃん……パパと僕は違う?」
つぶやくようなウィズの声。
「うん。パパはすぐイッちゃうの。」
「ああ、ちゃんとお返事ができたね」
「お兄ちゃんもイッていいよ」
「パパみたいに?ここでイッちゃったら、かなちゃんの中に入れられないじゃないか」
「イヤ……!かなこの中に入れないで」
「やめて!何をやってるのよ!」
あたし、思わず大声で叫んでいた。
震える足でカーテンに近付き、一気に開いた。
そこにあった光景を見た途端、もう、ウィズとはダメだと思った。
かなこちゃんは全裸になって、ウィズの胸の上に頭をのっけて横たわっていた。
ウィズはその頭をなでていた。
彼は服を着ていたが、カラーシャツのボタンは全開だった。
でも、なによりショックだったのは、下半身にかけられた布団の下で動いていたかなこちゃんの手を、あたしの顔を見たウィズが、布団の上からパッと押さえたことだった。
何、ごまかしてるのよ?
突然、怒りがこみあげてきた。
ショックと失望に代わって、目の前が真っ赤になるほどの怒りが吹き出して来る。
あたしはウィズの頭の下から枕を引っこ抜いて、彼に叩きつけた。
「み、美久ちゃん……」
「見損なったわ!変態!」
「何すんの、寸止め女!」かなこちゃんが叫んだ。
「変な人!部屋に入るときはノックしなきゃいけないんだよ!」
こっちをにらみつけたかなこちゃんの目は、子供の目じゃなかった。
あたしへの敵意をむき出しにした、女の表情だった。
どうして!?
なんでこんな小さな子と、亭主の浮気現場みたいなシーンを演じなきゃいけないの?
「あああ、もう!」
ウィズが頭をかきむしった。
しばらくうつむいて呼吸を整える。
それから決心したように顔を上げ、乱暴に前髪をかき上げた。
そうやってキッと見据えられると、ギリシア彫刻ににらまれてるみたいで迫力がある。
「悪いけど美久ちゃん、出て行ってくれないか?」
ウィズはきっぱりした口調で言った。
「言いたいことは、あとで聞く。とにかくかなちゃんを寝かせるから」
「開きなおる気……」
勝手な言い分だと思った。
でも、口を開くと泣き叫びそうだ。
勝ち誇ったようなかなこちゃんの顔を見て、そんな負け犬ぶりは死んでもできないと思ってこらえた。
「ドアは閉めて行って!」
後ろからウィズに言われ、たたきつけるように閉めた。
自分は、夢の中までのぞくくせに!
もう誰もいないと思っていたのに、「ウィザード」のカウンターに朝香レイミセンセが残っていた。
喜和子ママに頼んで、12時まで鍵を借りたのだという。
あたしを心配して、残っていてくれたのだ。
あたしの泣き顔を見て、
「あらまあ、返品!?あの朴念仁!」
叫んで抱きしめてくれた。
あたし、センセの腕の中でわあわあ泣いてしまった。
苦しいのか、悲しいのか。
お腹の中に巣食っているドロドロした感情が、イヤで、キライで。
朝香センセは、
「美久ちゃんもかわいそうよねえ。
さっきのお酒みたいに、初心者向けの口当たりのいい男に惚れたら苦労はなかったのにね」
そう言って、あたしが泣き止むまで背中をポンポンしてくれた。
少し落ち着いたところで、事情を話した。
センセは時々質問をはさみながら、親身になって聞いてくれた。
その間中、店内から勝手に持ち出したお酒と氷で、好きなだけグラスを重ねていた。
あたしには、小さなポットに入ったお茶をくれた。
「何にも入ってないわよ、そのお茶には、ね」と。
なんというか……。いろいろ変なものを持ち歩いている人だ。
「結論から言うとね、もう一度、戻った方がいいと思うわ」
朝香センセのことばに、あたしは仰天した。
「出て行けって言われたんですよ!?」
「もう来るなって?」
「いえ、そうは言ってないと‥‥」
言いたいことは、あとで聞く。そう言われたんだった。
「彼のほうが、美久ちゃんに話があったんだと思うわよ?」
「それは‥‥彼の言い分をきいてやれって意味ですか?」
「まっ。そんな言い方やめなさい、可愛くないわよ」
センセはあたしのおでこを、人差し指で小突いた。
「そうじゃなくてね、ちゃんと根拠のある話よ。
あなたをあの部屋に運んだのは、吹雪クンなのよ」
「ええ?センセじゃないんですか?」
「やあねえ、いくらなんでもそこまで悪辣じゃないわよ。
あたしのやったのは、特製フィズに導眠剤入れるとこまでよ」
それが悪辣でなくてなんなんだ。
「美久ちゃんが寝ちゃったけどどうする?って言ったらね。
吹雪クンが、あとで見せたいものがあるので連れて上がりますって言って、さっさと抱きかかえてあがってしまったのよ」
「見せたいもの、ですか?」
「んもお、新婚さんみたいにお姫様抱っこで持ってッちゃったんだからあ。
思わずイケナイ想像しちゃったわよ」
センセのツボはそこですか。
でもそうなると。
わざわざあたしを連れて来ておいて、隣室で偶発的なイタズラに及ぶってのは。
そんな昼メロみたいな話は不自然だ。
「センセ、あたし短気だったんでしょうか?」
あたしは混乱して、カウンターの冷たいテーブルにおでこをくっつけた。
「あたし、2月に決心したはずなんです。
ウィズが忘れてしまったこと、全部思い出させて許してあげようって。
彼は、昔なにかつらいことがあって、その時犯した罪を知られたら、あたしや他の人が離れて行くって、そう思い込んでるんです。
だから、あたしは何が出てきたって許すんだ、って決めていたのに。
‥‥実際は‥‥こんなことひとつ、許せないんですね‥‥」
「今を許すのと過去を許すのは違うわよ」朝香センセが優しく言った。
「法律にだって、時効ってものがあるじゃない?」
そうだろうか?
例えば彼が、連続幼女殺人犯だとか。
ミヤハシの父や大田原みたいなことをしてたとしても?
「まず、信じるか信じないか。
そのあと、許すか許さないか。
それは別の選択なのよ、一緒にしちゃだめ。
まず、信じてあげないと何も話ができないじゃない?」
信じるといったら、100%信じないと。
許すといったら、100%許さないと。
生煮えの部分はすぐにウィズに伝わり、彼を傷つけるだろう。
あたしは、今夜、ウィズのプレミアを失ったのかもしれない。
あたしが、ウィズとはもうだめ、と思ったさっきの瞬間。
ウィズも、あたしとはもうだめだと思ったかも知れない。
「センセ。ウィズのとこに連れてって下さい」
考えても仕方ないことだった。
こっちからチケットを破り捨てられないのは、惚れた弱みというやつだ。
「ウィズに謝って、話を聞きます」
「いいの?向こうがホントに悪いことしてたかもしれないわよ?
それは信じてあげるの?」
「しててもいいです」
すごくがんばって言い切ったけど、涙がもう出てるのは情けない。
「馬鹿ね!無理することないわ。
ひとりで我慢しようなんて、、絶対だめよ。
向こうの話を聞いたら、言いたいことは言わなきゃ。
‥‥いいわ、ついてってあげる」
朝香センセは、インターホンの受話器を取り上げた。
ボタンの切り替えで、喜和子ママの部屋とウィズの部屋に、それぞれつなぐことができる。
すぐに会話が始まったところを見ると、この時間でもウィズは起きていたらしい。
その時。
あたしはカウンターの下に黒いカードケースが落ちているのに気づいた。
お茶のポットを出す時に、センセが落としたのだろう。
開いてみると、運転免許証だった。
写真は見知らぬ男性。
名前は‥‥朝香 怜。
え?
そういわれると、写真のこの顔は、朝香センセの顔‥‥。
ヤバい!
あたし、あわててカードケースをセンセの鞄に放り込んだ。
えらいもんを見てしまった。
朝香センセって‥‥男だ。
朝香センセは大変複雑なキャラですが書いてて楽しいです。この人の口調は私のある先輩がモデルです。