・・・・・・(3)あぶないセラピスト
うわさの美人医師の診察を受けに行った美久ちゃんですが、この先生が結構食えないお人。
「えくぼクリニック」という、およそ病院らしくない名前。
建物のデザインも、病院にしては可愛らしすぎる。
子供のセラピーに力を入れているクリニックだからなのだろう。
1階が診察室、2階は行動療法のためのプレイルーム。
診療方法も、子供と大人では異なるらしく、それぞれの年齢に応じた専門医がいるという。
朝一番の予約が取れたので、出勤する母に車で送って貰った。
保護者の付き添いは不要といわれたから、母はぶうぶう文句を言った。
「ほんとに待ってなくて大丈夫なの?
もう、あんたは親の寿命縮めるの、得意なんだから心配よ」
「帰りはウィズが来てくれるって言うから」
「その吹雪さんと二人して、2回も警察沙汰になった人はだれ?」
はい、それはあたしです。
でも、今回に限ってはあたしのせいにされてもなあ。
同じマンションにあんな怖い男が住んでるなんて、誰だって想像できないんじゃないだろうか。
「大体、吹雪さんも仕事あるでしょうに、いつも甘えてていいの?」
母は口うるさく言うが、わりとウィズが気に入ってるので害はない。
それに、ナイショだけど。
ウィズは仕事なんて真面目にやらないほうが、ずっと儲かるヤツなのだ。
2月に家具を買い換えるハメになったので、ウィズは虎の子の宝くじを換金した。
超プレミアの5千万円。
換金する方が、宝くじのまま置いとくよりもったいないと思う人なんて、この人ぐらいだろう。
それで家具を買うついでに、部屋を買い換えた。
前の部屋が、いくらなんでもひどすぎたからだ。
同じマンションの最上階へ。
2DKだが広いので、今度はちゃんとベッドも買った。
まあ、使ってるとは思わないけどね。
ホントはこの部屋をオール電化にしたかったらしい。
でも集合住宅の悲しさで、受け入れられなかった。
別に電気が使いたかったわけじゃない。
火がきらいなので、ガス栓を見たくなかっただけだ。
結局、内装で隠してもらうに留めた。
そんなこんなで余ったお金を、今は株に投資している。
占いなんかよりずっと儲かるに違いない。
「美久ちゃん、災難だったわねえ。
ちゃんと食事できてる?どう?」
朝香センセは、診察室の外まで迎えに出てくれた。
きりっと束ねた髪は、さらさらのストレート。
淡い色のセーターに、羽織っただけの白衣。
おしゃれなんてしてないのに、何でここまでかっこいいかなあ。
そういえば、今日のセンセは薄く化粧をしている。
それがわかるってことは、「ウィザード」に来る時は、ホントにスッピンで来てくれてるんだ。
ウィズが化粧品の匂いがすると仕事にならないから。
でも、確かに、受付で化粧を控えるように一言いうんだけど、ちゃんとノーメイクで来る人は少ない。
さすがという気がする。
カウンセリング用の安楽椅子に横になった。
朝香センセはその横に椅子を置き、ファイル片手に足を組む。
雑談のような形で、事件のあらましを話した。
それ以来見る、ひどい悪夢のことも。
朝香センセは、質問をはさみながら、根気良く聞いてくれた。
中学一年の時のことも話した。
学友の父親に受けた、性的いたずらのこと。
性器に指を入れられた姿を、まともに友人に見られたこと。
そのためにいじめを受けたこと。
ひどい写真を流されたこと。
「自分の体のせいだと思う?」
朝香センセが聞いた。
「例えば、男性を誘惑しやすい、いやらしい体だから悪いんだ、みたいなことを感じる?」
「‥‥少し。胸とか、よくジロジロ見られますし‥‥」
「そう、だからかえって簡単に男性の誘いに応じてしまうのね」
「えっ?それどういうことですか?」
「つまり、こっちが何も愛想よくしてないのに、男が勝手にその気になるとしたら、ほらやっぱりエッチな体してるからいけないんだ、と思い知らされるわけでしょう?」
「はあ‥‥」
「それよりは、こっちがウェルカムな態度だから向こうがエスカレートするんだ、と思い込むほうが、あなたにとって都合がよかったのよ。
体は交換できないけど、態度は明日からでも直せるからね」
「つまり自分への言い訳のためにナンパされてたんですか?」
「自分を追い詰めないための工夫なんでしょうね」
「ヘンなやつですね、あたし」
朝香センセが小さく吹き出した。
「誇り高いんじゃないかしら。いいことだわ」
「そうかなあ」
「いいことよ。美久ちゃん。それがあなたの魅力。
その調子で今度は気品のある恋をなさいよ」
優しい口調で言われ、胸がじんとした。
「それで、吹雪クンのそばがいいってわけね」
朝香センセ、首をかしげて小さめの唇をほころばせた。
「‥‥え?」
「彼、おイタしないでしょ?」
「お、おイタって‥‥」
「あれくらいの歳の男の子って、ちょっと油断するとキスしたり、考えなしにふらふらっと仕掛けてくるじゃない。
ね。彼、そういうことしないでしょ?」
「‥‥そうですね」
そうだけど。
朝香センセ、なんでそんなこと知ってんですか?
「そのことについて、どう思う?」
「どうって‥‥?」
「ほっとする?それとも、じれったい?」
「ええと‥‥安心します」
「あたしって魅力がないのかしら、って悩んだことは?」
「それは、あります」
「どんな時?」
あたしは赤くなった。
バレンタインデー前夜にしたキスの感触がよみがえって来たからだ。
こっちから仕掛けて、あれだけ濃厚にくちづけを交わしたのに。
4ヶ月たっても、あたしはウィズのものになってない。
彼に憎からず思われてるのは、伝わってくる。
でも、妹みたいに大事にしたいだけなのかもしれない。
「ふふふ、美久ちゃん可愛いわねえ」
朝香センセは、とても魅力的な笑い声をたてた。
「それくらいなら、きっと大丈夫ね。
これから少しずつ、テストなんかして診断をしていくんだけれどね。
多分、ナイフを突きつけられたショックが強烈だったから、そちらを癒していくことになるわね。
性的な傷は、それほど深刻じゃないと思うわ。
過去にエッチな体験をして、いやな思いをした。
それで、つぎにエッチなことしたら、また傷つきそうで怯えてる。
そういう状態なだけ」
「それってトラウマじゃないんですか?
そういうのは、深刻って言わないんですか?」
「そうねえ、1回いい思いをすれば、解消する性質のものだと思うのよ」
「いい思いですか?」
「勇気出して、吹雪クンとイッパツ、やっちゃいなさいよ」
「えええええええ〜!!!!」
何てこと言うんだ、このセンセは!
「大丈夫、あなたから誘ったら、彼きっと拒まないわよ。
なんなら、あたしが処方箋書いて、外注しましょうか?」
「や、薬局じゃないんですからあ!」
絶対、人のことからかってる!
そんな会話のせいで、ウィズが迎えに現れた時、あたし、顔が上げられなかった。
目が合ったら、読まれてしまうような気がした。
朝香センセと来たら、
「ほらほら、パーッとイッパツよ!」
なんて、背中をバンバン叩くし。
顔が赤くなって、もう泣きたい。
「園長先生!」
ウィズが叫んだ。
プレイルームから階段を下りてくる人物を見たとたんだ。
尼僧の格好をした老女だった。シスターというのかな。
女の子がひとり、一緒にいた。
大田原の娘、かなこちゃんだ。
駆け寄ったウィズを見て、老いたシスターは目を見張った。
「まあ、まあ、まあ、まあ、コロちゃん、じゃなくて今は吹雪さんね!」
「シスターお元気そうで‥‥。ご無沙汰してすみません」
「なに言ってるの。マリア祭にお花を届けてくれたばかりじゃない。
さあ、お顔をよく見せて!
‥‥まあ、立派になって‥‥。ほんとステキになって‥‥」
尼僧はウィズの手を取って涙をこぼした。
「シスターたち、皆さんお元気ですか?
お顔を見に伺おうと思いながら、なかなか‥‥」
「幸せな証拠ですよ。何よりじゃないの」
老女はちらりとあたしを見て、
「シスター郡山とシスター神田にも、話してあげなくちゃねえ。
あのコロちゃんが、女の子連れてたって。
みんな泣いて喜ぶと思うわ」
「先生、それ勘弁してください‥‥」
ウィズが苦笑した。
「シスター松岡。タクシーが必要ですか?」
階段の上から、中年の医師が声をかけた。
ロマンスグレーの、ちょっと渋めが素敵なオジサマだった。
「あ、よろしかったら送りますよ」
ウィズが申し出た。
シスター松岡は実際の修道女の方をモデルにしております。意外にパワフルで面白い人が多い世界ですよ。