第2話 (1)殺人鬼vs百発百中
フリーターから受験生になった美久ちゃん、なかなか勉強に没頭できない気になることがありました。それは?
悪臭!
玄関を開けると、立ちすくむほどの腐敗臭がした。
散らかり放題、というより、ゴミが奥からなだれ出た感じの玄関だった。
「ママは具合悪くてずっと掃除してないんだよ」
あたしの手を握ったまま、かなこちゃんが言った。
小学校4年生にしては大人びた体格だが、口調は幼い。
このマンションに越して来て2週間たつ。
うちの両親の離婚に伴なって発生した引越しだ。
ちゃっかり「ウィザード」の近所に場所決めしたのは、あたし。
母と二人暮らしになった。
越してきた当初から、かなこちゃんのことは気になっていた。
とにかく一日中、外にいるのだ。
ゴミ置き場、駐車場。
夜中にも時々見かける。
小学校に行くでもなく家に帰るでもなく、いつまでもうろうろしている。
近所のスーパーをブラブラしていることもあった。
調べてみたら、我が家の真上の部屋の住人だった。
挨拶にいってもずっと留守だった家だ。
でも、夜中に怒鳴る声や泣き声が聞こえて来る。
「ドメスティック・バイオレンスじゃないかな」とウィズは言う。
家庭内暴力のことだ。
彼が本気で「観て」くれたらすぐにわかりそうなものなのに、なぜか気が進まないようすだった。
とりあえず、児童相談所に通報だけしてみた。
何度か職員が訪問したようだが、事態は変わらない。
そして、今日。
予備校の帰りに「ウィザード」に寄って9時頃帰宅すると、マンションの入り口に、かなこちゃんが立っていた。
「お家が暗くて入れないの」
涙声で訴えた。
不思議に思った。
かなこちゃんには、以前何度も話しかけたのだ。
まともに返事をする子じゃなかった。
自分から話しかけてくるなんて、よっぽど困ってるんだろうか?
家の中は真っ暗と聞いたのに、奥から明かりがもれている。
「お風呂場、だれかいるの?」
「ママが、つかってるの」
‥‥具合が悪いのに、入浴?
風呂場のドアは開いたままだ。
そこから妙に冷たい風が吹いてくる。
悪臭もそこから来る様な気がする。
どうしたんだろう。
なんか‥‥なんか、すごくこわい!!
イヤな予感がする。
バスタブに近づいた。
フタは閉まっている。
隙間から、冷たい霧がこぼれ出ている。
開けたくない、けど見ずにはいられない。
フタをそおっと持ち上げた。
真っ白い霧が入っていた。
その中に、肌色のかたまりが一面に詰まっていた。
花が咲いたように腹を裂かれた人体。
死体、だ。
そうだった。
「ママは」「お風呂に」「浸かって」いたのだ。
ドライアイスの霧の中に。
腰が抜けてその場に座り込んだ。
おなかに力が入らず悲鳴も出ない。
その時、玄関で物音がした。
ドアが開き、閉じる音。
かなこちゃんと会話する、男の声。
殺人者のご帰宅だ。
あああ、どうしよう、立てない!!
風呂場に男が入ってきた。
40前後だろうか?
つるんとしたおかしな顔で、年齢がわからない。
にやにや笑って近づいて来た。
「ふうん、可愛いお嬢さんじゃないか」
言うと同時に、あたしの肩をつかんで床に突き倒した。
首筋に、冷たい金属が押し当てられた。
「かなこにおせっかい焼いたっていうから、ハイミスのガリガリ女を想像してたんだが、こいつは楽しいや」
あたしは動けなかった。
男が握った登山ナイフの柄の所だけが見えている。
刃先はあたしの首筋をなでながら、下のほうへ降りて行った。
胸の谷間に、痛みが走った。
「ああごめん、少し切れてしまった」
男は楽しげに言った。
「ブラジャーだけ切るつもりだったんだがね」
あたしは悲鳴を噛み殺した。
男はあたしのワンピースを解体にかかっている。
服だけならいい、まだましだ。
バスタブの中の人みたいになるのは‥‥いや!
「さて。おれのベルトやチャックは、あんたが外してくれ。
両手がふさがってるんでね」
男はあたしの頬にナイフを当て、もう片方の手で体重を支えている。
「早くしろ。別にこっちは、お嬢さんに突っ込むのはナイフの方でも構わないんだぜ?
そのほうが刺激的だと思うがね」
あたしは泣きそうになりながら、男のベルトを外し、ズボンの前を開いた。
「そうそう、女の子は素直が一番なんだよ」
「どうして奥さんを殺したの?」
少しでも時間を稼ぎたくて話しかけた。
「いろいろうるさいからさ」
「かなこちゃんはどこに行ったの」
「外でおとなしくしてるよ。そういうふうに躾けてあるさ。
さあ、もうおしゃべりは終わりだ。
お嬢さんの味が良かったら、命だけは助けてやるよ」
こいつ‥‥大嘘つきだ。
死体を見たあたしを逃がすはずはない。
男はあたしに体重を預けて来た。
思わず腰を引いて逃れようとあえぐ。
その体重が、いきなりゼロになった。
誰かが男のえりがみをつかんで、後ろへ引き倒したのだ。
ナイフが宙を飛んで、ガランと音をたてた。
「美久ちゃん!!」
あたしに飛びついて、かばうように抱きしめた女性。
「‥‥喜和子ママ?」
「ウィザード」の女店主。ウィズの養母に当たる人だ。
男をあたしから引き剥がしたのはウィズだった。
そのまま二人の影が一瞬もつれ、すぐに離れた。
男は玄関から駆け出して行った。
後を追おうとするウィズを、喜和子ママが止めた。
「やめて、警察を呼んであるのよ!
それより戻って来ないように、人が来るまで玄関を死守してちょうだい!」
喜和子ママはあたしの傷を調べ、上着を着せてくれた。
「どうしてここがわかったの?」とあたし。
誰にも言わずに来てしまったのに。
「吹雪さんが突然騒ぎ始めたの。絶対何か起こってるって。
美久ちゃんのとこに行くってもう強引に。
そしたら、マンションの下に女の子がいて」
「かなこちゃん?」
「お姉ちゃんを閉じ込めたんだと言って部屋を教えてくれたの」
あの、かなこちゃんが?
あたしをおびき寄せたのは、間違いなくあの子だというのに。
警察が到着した。
男はまだ逃走中だという。
玄関に人があふれるや否や、ウィズが駆け寄って来た。
「傷を見せて!」
言うが早いか、あたしの胸元に手を突っ込んだ。
「きゃあアアアア!?」
今度は簡単に悲鳴が出た。
喜和子ママが、ウィズの腕を思い切りはたき落とした。
「この非常識息子!」
「違う、傷を読むつもりだったんだ!」
「同じことです、いきなり触らないッ!」
2月に、蝶子さんの体内の弾丸をたどって以来、ウィズは「人の傷口から情報を読む」ことを覚えた。
怪我をした時の様子、相手の顔などが一瞬見えるらしい。
便利なようで、ものっすごく危険なワザだ。
なにしろ、ウィズは性的概念がかなりズレてるヤツなのだ。
「ウィザード」で語り草になったエピソードがある。
朝香レイミさん、という女性の常連さんがいる。
タレントみたいな名前だが本名で、職業は女医さんなんだそうだ。
小柄だけどきりっとした感じの美人で、密かに男性の人気を集めている。
その人が、占いの客として来たついでに、猫を一匹連れてきたことがあった。
「拾っちゃって。メスなんだけどだれか飼える人いないかしら?」
「猫は飼ったことがないですねえ」
ウィズが言った。そこまではフツーだ。
「猫って生理があるんですか?」
いきなりそう聞いたそうだ。‥‥あの顔で。
朝香センセ、内心ドン引きした。
「知らないわよぉ!なんでそんなこと聞くわけエ?」
「犬にはあるんですよ。犬種によっては掃除とか大変だったんで、猫は家の中で飼うからまた大変だろうと」
おキレイな顔でなんつう発言を。
「吹雪クン‥‥キミねえ。
あたしを女と思ってないでしょう?」
朝香センセ、当惑して言った。
「女じゃない人に生理の話して、普通わかるんですか?」
ウィズはズレの駄目押しをした。
だからってウブなわけじゃあ決してない。
ウワサだけど、相当遊んだ時期もあったらしい。
まあ、そういうオトコだから。
家に帰って止血や着替えを済ませたあたしが、警官の質問攻めから解放されるや否や、
「さっきは突然、‥‥ごめん」
と謝った。
「ううん、助けてくれてありがとう」とあたし。
あ。なんかいい雰囲気かも。
「相手の男、顔を見た?僕はとっさに見れなかった」
「しっかり見たわ」
「表札に大田原と書いてあった。なんか知ってるやつのような気がするんだ」
「ホント?」
「うん。だから、見せて」
「はいい?」
「傷を見せて」
今度はあたしがひっぱたいた。
同じことを何度もやるなア!
いきなりハードに始まりました第2話、6年越しの恋もガガガッと進展します。お楽しみに。