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・・・・・・(2)夏の夜の悪夢

 「ねえウィズ、あたしやっぱり病気なのかな」

 いつもの席でいつものカフェオレを飲みながら、愚痴っぽく尋ねてみた。


 魔術師は、パソコンのキーを打つ手を止めて、あたしの顔を見た。

 夜の森のように深い黒の瞳にすいこまれそうだ。

 現実感に欠ける美形だと、いつも思う。


 「美久ちゃんがジンマシン出したとこなんて、見たこと無いけどな」

 そっけない声で、言われた。

 「そうなのよねえ、ウィズだと全然平気なんだけど。

  でもさ、問題はそこじゃないのよ。

  ジンマシンが出るほど男嫌いなのに、なんで尻尾振ってついてっちゃうんだろってとこなのよね」


 「断れないの?」

 「うん、てか、むしろ自分から水を向けたりしてるような気がするのよね」

 「う…ん。 美久ちゃん、いろいろあったからなあ。

  少しくらいナナメっちゃっても仕方ない気がするよ」


 あたしはため息をついて、キーボードの上で再び踊り始めた魔術師の指先を見つめた。

 6年前のあの晩のことを、苦く思い起こしていた。

 


 中学校に上がって、塾へ行く話が出たのが発端だった。

 英語の基礎くらいはやっておいたほうがいいという話を、母が聞き込んできた。

 でも家の近くには学習塾がなかった。

 それで、勉強会をやることになったんだ。

 英語塾の先生をしていたミヤハシのお父さんが、ミヤハシに教えるついでにみんなにも教えてくれるという。

 みんなというのは、母の仲良しPTAグループの、息子や娘。

 あたしと、野村勝也、辻本健二、それとミヤハシと仲の良かった山王寺夏美。


 毎週月曜日、夜8時にミヤハシの家に行った。

 ミヤハシの父親は、いかにもインテリといった感じの穏やかな人だった。

 英語の授業も楽しかった。

 学校の外で、男の子と話をするのも、思春期のあたしにはわくわくすることだった。


 勉強会が終わると、男の子達は自転車でさっさと帰ってしまう。

 あたしは母が迎えに来るまで待っていた。

 山王寺は親が夜勤の時が多く、ミヤハシの母親が送っていった。

 仲良しのミヤハシも一緒に車に乗って行く。

 あたしはミヤハシの父親とふたりで残っていた。


 ミヤハシの父のことは、おじさんではなく「先生」と呼んだ。

 あたしの母は、時間通り迎えに来ないことが多かった。

 確か、母も習い事をしていて時間がぎりぎりに終わるんだったと思う。

 あたしは先生と麦茶を飲みながら待っていた。


 「美久ちゃんは、姿勢がよくないね。猫背になってるよ」

 ある晩、先生はそう言ってあたしの横へ座った。

 「背筋を伸ばして、肩甲骨をよせてごらん」

 先生は、あたしの胸と背中に手を当てて、ぐっと押した。

 「もっと胸を張りなさい。 もっともっと」

 胸がぐいぐいと押された。


 痛い!

 思春期の女の子の胸は、痛みに敏感だ。

 圧迫されると飛び上がるほど痛い。

 逃れようと身をよじるあたしを見て、先生がにやにや笑った。

 「恥ずかしがらなくていい、じっとしてなさい」

 大きな手のひらが襟元からもぐりこんで来た。


 恥ずかしいどころでない!痛い!

 後ろからがっちり押さえられてて身動きできない。

 パンティーの中に、突然異物が入ってきた。

 先生が、もう一方の手をさしこんでいるのだ。

 両足であたしの足を押さえて、開いたまま離さない。

 自分では触ったこともない部分に、先生の指先が入って行く。 


 「やっ、痛い!」

 「動かなければ痛くはないよ。姿勢をよくしなきゃ」

 「いや! 痛い!」

 「じゃあ口を開けなさい」

 先生はあたしの口を無理やり開かせ、自分の舌を差し込んだ。

 キスなんてものじゃない。 棒のようにまっすぐ舌を入れただけ。

 グロテスクな感触だった。 涙がぼろぼろ流れた。


 突然、先生はあたしから飛びのいた。

 すぐにはその理由がわからなかった。

 涙をふいて、ふすまの向こうに目をやると、ミヤハシの母親がそこに立っていた。

 その後ろにミヤハシもいた。

 あたしのとんでもない格好を、呆然と見ていた。

 二人の顔には、不気味なくらい表情がなかった。

 先生はあっというまにどっかに消えてしまった。


 

 「美久ちゃん、座って」

 ミヤハシの母親が、押し殺した声で言った。

 てっきり先生の後を追いかけて夫婦喧嘩になるものと思っていたが、そうではなかった。

 彼女はあたしの正面に正座した。


 「美久ちゃんねえ、これは大変なことよ。あなたが思ってるよりずっと大変なこと」

 わかってます。ひどいことされました。

 「あなたもねえ、こんなこと、他の人に話されたら困るでしょう?」

 ‥‥え?

 「こんなこと、人に知られたくないわよね」

 ‥‥え?

 「お母さんにも、話さない方がいいと思うのよ。

  だってとってもびっくりされるし、悲しまれると思うわ」

 ‥‥ええ?

 「ね。内緒にしてあげる」

 あたしのせい?

 それって、あたしのせいって言ってる?

 「わかるわね、いい子ね、美久ちゃんは」

 彼女はそう言って、饅頭をひとつ、あたしに握らせた。

 子供心に、安すぎる賄賂だと思った。


 あたしは今でもお饅頭が食べられない。



 次の日から、ミヤハシはあたしへのいじめを開始した。

 最初はただの陰口だった。

 あたしが誰かの悪口を言ったとか、誰かの物を盗んだとか。

 ミヤハシのうちに来たとき、こんなに行儀が悪かったとか。

 あることないことだ。


 そのうち、実害を加えるようになった。

 ノートを破ったり、机にごみを置いたり、お決まりの手段だ。

 つらかったのは、クラスのほとんどが、そのいじめに加担したことだ。

 友達と思っていた子まで。


 一番ひどいいじめは、校庭の裏のゴミ捨て場で行われた。

 「この子、淫売なのよ。 あたし見たんだから」

 ミヤハシが、野村勝也と辻本健二を連れて来て、言った。

 山王寺夏美と二人で、あたしの腕を押さえている。

 「インバイってなんだ?」

 「バイキンみたいなもんだろ」

 男の子ふたりは間抜けな台詞で頭の悪さを暴露した。

 「違うわよ!こういうこと平気でするって事よ!」

 ミヤハシがあたしのスカートを思いっきりめくって、パンティーをずり下ろした。

 暴れるあたしをみんなが取り押さえ、手の空いた順に写メで撮影した。


 死んでやる、と思った。

 死んでしまいたい、ではなく。

 死んで見せて、後悔させてやる、と。


 ところがどうだ。

 死んだのはミヤハシだった。

 

 交通事故で、突然の訃報だった。

 クラス全員、学校から葬儀に参列することになった。

 連絡を受けたのは母だった。

 母は宮橋の母と親しかったので、葬儀の手伝いに行くことになっていた。


 「行かなきゃ、ダメかなあ」

 あたしが言うと、母は目をむいた。

 「あたりまえでしょ、なんてこと言うのよ。 あんた、涼子ちゃんと仲良かったじゃない」

 何も知らない母が威圧的に言った。


 母の態度に腹立ちを覚えながらも、あたしはほっとしていた。

 明日からは、いじめられなくてすむかも知れない。

 あたしは葬式をさぼった。

 人生最初の敵前逃亡だ。


 葬式から帰った母が、ひとしきりあたしに文句を言ったあと、

 「今日、変な話を聞いたのよ」

 と言い出した。

 「宮橋さんのお父さん、そうそう先生ね。もとは桜花台の先生だったんですって」

 桜花台は、県下でも名門とされている私立女子中学だ。

 「それがどうも、女生徒にいやらしいことをするのでクビになったらしいの。

  そのあと旺盛塾に勤めたんだけど、同じ理由でここもクビに」

 つまり、病気は治しようがなかったってこと。

 「美久ちゃん、ずっとあそこに通ってて、大丈夫だった?

  何か変なことされなかった?」


 この瞬間、あたしは母を殺そうかと思った。

 理由なんかわからない。

 殺したいほど、激しく憎んだ。

 遅いんだ!もう何もかも終わったのに!!



 あたしは母の顔を見るのが、その日から苦痛になった。

 家に帰っても、何処かに出かけたいと思うようになった。

 でも、学校が楽しくなったわけではなかった。

 あたしの甘い期待とうらはらに、いじめは止まらなかった。

 一度始まった習慣は、クラスを巻き込んでその後も続けられたのだ。

 

 学校にも家にも、落ちつける場所はなかった。

 明日はもうダメかもしれない、と思いながら生きていた。


 そんな時に、魔術師はあたしの前に現れたのだった。 


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