・・・・・・(17)ベレッタ刑事の事情聴取
「だーから、そんな報告はなかったって言っとるんだ」
ベレッタ刑事は後ろ頭をボリボリかきむしった。
「TNTが爆発したのは確かだ。ちゃんと痕跡もある。
だが、あのカーテンひとつない部屋じゃ、類焼するものは人体しかなかったろうが。
火の海ってのが、イマイチなあ‥‥」
あたしの調書は、難航していた。
もともとキョウの時の事情聴取を、あたしがすっぽかしてウィズの部屋に転がり込んでたせいもあるんだけど。
2月14日。朝の9時。
夕べざっと取った調書の確認をするため、あたしとウィズはもう一度警察に来ていた。
何かの罪を問われているわけではない。
生き残った人たちが、誰もあたしやウィズに不利な証言をしなかったからだ。
爆発のとき、あたしは部屋の隅に飛ばされたけど、軽い打撲だけですんだ。
ウィズはまったく無傷だった。自分でバリヤーくらい張れるのかもしれない。
廊下の壁を隔てて、爆発物に一番近かった40男と、ガンさんは即死。
チンピラのうち、二人は全身やけどで重症、ポマードだらけのリーゼント男は、死亡。
このリーゼントが、おやじさんと呼ばれていたあの禿げの老人をとっさにかばったため、老人にはほとんど怪我がなく、結果的に実にしっかりした証言が取れたということらしい。
さすが親分、と思ったら、親分ではなく、引退したボスで「ご隠居さん」なのだそうだ。
あの古い建物は、建材の会社が持っていた実験施設で、小規模な爆発実験が可能だという。
電気系統はつながってないが、扉を閉めて爆弾に火をつければ、隣の部屋から人間が吹っ飛ぶところが観察できたというから怖い。
爺ちゃんのくせしてたいした悪趣味だ。
刑事ものドラマみたいな取調べ室ではなくて、小さい応接セットのある部屋に通された。
ただしウィズとあたしは二人、ばらばらだ。
ウィズは事務室の隅に呼ばれたようだった。
でもあんまり役には立たないに決まってる。
ウィズは爆発のあとのことを、何も覚えていなかった。
あの時のあたしの記憶は、ちょっと混乱している。
あの炎の海が現実なのか、ウィズが見せた幻覚なのか、はっきりしないのだ。
ただし、最初にトルエンを炎上させ、火薬に引火させたのは、間違いなくウィズだと思う。
それを証明するのは絶対無理だけど。
あの時の炎の海は、ウィズの記憶から出て来たものかもしれない。
あの時ウィズは、自分の記憶を読んでいた。
トラウマという名前の「心の傷が持つ残留思念」を読んでいたのだ。
炎の中で泣いていたのは、幼い頃のウィズだろう。
彼は多分、そのときのことを忘れてしまっているだろう。
忘れてしまいたかったのだ。
つらい記憶を、心の中で持ち続けることに耐えられなかったのだ。
具体的にどんなことがあったのかは、よくわからない。
でも多分、信じ難いくらい恐ろしいことだ。
それを、ウィズは誰にも話さず、どこかに封印してしまった。
そして忘れてしまった。記憶を自分の目に触れないところに埋めて、忘れなければならなかった。
忘れてしまったことを、克服するのは不可能だ。
そうやってウィズの傷は、治ることなく維持されてしまったのだ。
あの時、ウィズはおそれていた。
自分の封印した怪物が、自分の中から出てくる時、周りの人間はそれを許さないだろうと。
世界中の人から嫌われるだろうと。
真実を知ったあたしも自分から離れていくのだと、ウィズは思っているようだった。
多分、その思いがある限り、ウィズはあたしに自分から愛を囁いたりはしないと思う。
それはつまり、ウィズ自身が自分を許していないことが原因だ。
その日の自分を許せないのは、彼自身なのだ。
失った記憶を取り出して、その日の自分を許さない限り、彼は救われない。
もうひとつ、分からなかったことがある。
スプリンクラーだ。
あたしはあの時、とっさに思いついてウソをついた。
スプリンクラーから水が出ると言えば、ウィズが炎を消すことを想像するかもと思ったのだ。
なのに何でホントに水が出たんだろう?
あたしたちは、イメージでなく実際に水浸しになった。
あの水って、どこから来たんだろうか?
もしかして、ウィズの能力って見ることだけではないんじゃないだろうか。
「まったく、この家出娘はしょうがねえなあ。
おふくろさんが死ぬほど心配してたぞ。
夕べ、夜中にこっちへ来るというから止めたんだ、落ち着かせて帰すから明日の朝にしてくれってな」
そうだ、調書には自宅の電話を書いたっけ。
母は受け付けに来て待っているという。
「父さんは?」
あたしが聞くと、ベレッタ刑事は具合の悪そうな顔をした。
「やっぱり離婚が成立したのね」
「知ってたのか」
「だいたいね」
両親の離婚は、あたしのせいだ。
母に冷たくなったあたし、深夜に帰宅するようになったあたしを、父は直接責めなかった。
代わりに、母がなじられた。おまえの教育が悪いと言って。
あたしは、あたし自身が母を嫌った張本人でありながら、この父の態度が許せなかった。
自分達を安全圏において、あたしに罪をなすりつけたミヤハシ夫婦と同じものを見た気がしたのだ。
あたしは、父を自分の心の中から追い出した。
この6年間、父のことを一度も考えないようにした。
本来なら娘のあたしが、傷ついた母と力を合わせて生きていくべきなのに、そんなことは考えつきもしなかった。
あたしもまた、逃げていたのだった。
「まあお前さんくらいの歳で、母ちゃん母ちゃんって甘えんのより、おれは好きだがね」
ベレッタ刑事はにやっと笑った。
「若い頃は、親への愛情なんて発動させんでいいんだ。
額縁に入れて、床の間にでも飾っておけばそれで親は安心するさ。
ただし、入れる額縁は、めいっぱい立派なものを選ばなきゃだめだぞ」
うん。あたし、やっぱりこのおじさん好きだな。
事務所に戻る廊下で、母はあたしに駆け寄って来た。
平手打ちのひとつも食らうかと思っていたのに、思いっきり抱きしめられて驚いた。
母の身長はあたしより5センチは低かった。
6年前は、見上げるようだと思ったのに。
「ごめんね。心配かけてごめんなさい」
やっとあやまることができた。
「会いたかった!」
母は子供のように言った。
「心配だとか、そういうことではないの。もうそんなことはどうでもいいの。
美久に会いたかったの」
母のこんな様子をみるのは初めてだった。
母はいつでも、保護者で、監視員だと思ってた。
あたし、ばかだったんだな。
「かあさん、あたし、やりたいことができたんだ。
虐待児童の、保護施設の職員になりたいの。
カウンセラーでもいい。そういう仕事がしたいの。
今からでもできるかな?何処に行けばいいのかな?」
母は目をぱちぱちさせて驚き、同時に猛烈に喜んだ。
「美久ちゃん。すばらしいわ。
あなたがそんなしっかりしたことを考えてるなんて、夢みたい!
母さんなんでも協力するわ。
‥‥ああ、でもどうしよう?
離婚したばかりで貯金もないし、学費がどれくらい出せるかわからないわ!」
頭を抱える母に、あたしはウィンクして見せた。
「お金はあたしが出すわ。1千万円あれば、生活費にだって回せると思うわ!」