・・・・・・(13)火祭りの部屋で
あたしはばか。大馬鹿だった。
ウィズがあたしを傷つけて楽しむわけがないのに。
きっと何か理由があるって、気づかなきゃいけなかったのに。
そして、ウィズは一流のペテン師だった。
あたしがどんなことにショックをうけるかよく知っていて、まんまと人の思考を操ったんだ。
あの炎の映像を、あたしは繰り返し頭の中で再生して見た。
床に倒れていた何人かの人体の中に、女性らしいシルエットが一体あったような気がする。
あれが、あたしだとしたら。
ウィズがそれに気付いたとしたら。
白い息を吐きながら、ドアの前に立った。
「来るな!」
声をかける前に、中からウィズが叫んだ。
待ち構えていた様子だった。あたしはびっくりして返事に詰まる。
「美久ちゃんだろ?入ったら怒るからね」
お見通しってわけだ。
ウィズの頭の中ってどうなってるんだろう?
今日ほどそれが知りたかったことはない。
かまわずに鍵を回して侵入しようとした。
玄関ドアじゃないからチェーンはないはずだ。
鍵穴に何かさしこんであるのか、入らない!
「ウィズ!開けてよ!あけてあけてあけて!」
思いっきりドアを叩く。
「きみも懲りないな。そんなに僕とヤリたい?」
わざと意地悪くウィズが言う。
もうだまされない。
「ええもうナンでもやっちゃうわよ!さあ何がしたいの?
ノーマル?SM?スカトロ?3P?
今夜ならオールウェルカムだわよ!」
「あのね!きみには恥も外聞もないのか?」
ちょっとひるんだ様子のウィズの声。
「ないわよ、もうこわいものなんてなあんにもないもん!
あ、ひとつだけあった!」
「うるさい!」
「ウィズが死ぬのが、一番こわい!」
「‥‥だまれ」
ウィズの声は、完全に勢いをなくしていた。
ドアの前で息を呑んだまま、動かずにいるのが分かる。
それでもドアは、開かない。
隣の玄関が開いて、
「ちょっと、静かにしてくれよ」
言いながら出てきたのは、オタリーマン白井さん。
もうお昼に近い時間なのに、パジャマの上に半纏を羽織っている。
巨体が半纏の綿でさらに膨れ上がって見える。
「白井さん!こんにちは!この前は失礼しました!」
あたしはウィズに聞こえるように大きな声で挨拶した。
「ああ、美久ちゃん。」
白井さんの相好が崩れる。
こいつ、必ずあたしの胸のヘンを視線でなめ回すんだ。
「また吹雪くんとケンカ?」
「違いますう!白井さんに会いにきたんですよお。ほら、バレンタインデー近いし。
こないだ言ってた美貴ちゃんのフィギュア、見せてください!」
「え?い、いいの?」
「寒くってエ!お部屋に入れてください!」
「どどどっどうぞどうぞ」
ウィズがドアを蹴り開けて出てきた。
あたしの腕をつかんで、頬っぺたを思い切り叩いた。
「馬鹿か、きみは!どこまで尻軽なんだ?」
似合わない言葉を使って、ウィズも必死だ。
ここで引いたらあとがない。
じんと響く頬の痛みに耐えながら、あたしは微笑んだ。
「ふうん、SMコースを選ぶんだね。いいよ受けて立つよ。
でもこの際だから言うけど、あたし全部わかっちゃったからね。
ウィズはあたしに口止めしといた方がいいよ」
「…なんのこと?」
「アフロのこと脅迫したのは、ウィズなんでしょ?」
一瞬、魔術師は絶句した。
「警察行こうか、ウィズ。どうせあとで事情聴取に行くからチクッちゃうよ」
ウィズの腕をつかんで、引っ張った。
接触してジンマシンが出ても、それが原因で死んだりしてもかまわないと思った。
ウィズが怒ってあたしを殺してもいいと思った。
今夜は離れないぞ、絶対に!!
ウィズは覚悟を決めたように唇を結び、あたしの肩を抱き寄せて強引に歩き出した。
そのままウィズの部屋に押し込まれた。
「おい!吹雪くん乱暴は!おいっ!ずるいぞ、吹雪!!」
白井さんの叫び声が廊下にこだまする。
室内は寒寒としていた。
あの日と同じに、閉まったドアに押しつけられた。
でも、今度はウィズはあたしの目を見ない。
黙って荒い息をしている。
視線は床に落ちている。
「馬鹿はあなたでしょ、ウィズ‥‥」
部屋の中には、何にもなかった!
パソコンだけが残っていて、床の上で所在無げに光を放っている。
あとは、病院の空き室みたいに真っ白な壁だけ。
「これが見たかったんだろう?」
すねたような声で、ウィズが言った。
「お察しの通り、明日が僕の命日になる。
この部屋は火祭りさ。わかったら帰ってくれ!」
「あたしに助けてくれって言ったわ。
帰らないからね、何か方法考えましょうよ!」
「助けられっこない」
「やってみなきゃわかんない!」
「分かってからじゃ遅いじゃないか!」
「そしたら一緒に死ぬもん!!」
「ばか!」
「ばかでいいッ!!」
あたしはウィズにしがみついた。
ウィズは暖かかった。
火の気がなく冷え切った部屋の中で、暖かいものと言えばそれだけだった。
「ウィズは自分がなんでもわかってるつもりでいる。
でもあたしの気持ちなんて少しもわかってないんだよ。
あたしは6年前にウィズに会わなかったら、とっくにダメになってた人間なんだよ。
もしウィズがあたしを残して死んじゃったら、またあの頃に戻ってあたしも死んで行くんだよ」
魔術師は答えなかった。
黙ってあたしの体をゆっくりと押し戻した。
一瞬ダメかと思ったけど、そうじゃなかった。
彼はあたしの左腕を取って、袖をそっとまくったのだ。
手首の傷は、まだ生々しかった。
切った翌日から腫れが出てきて、赤紫色のぎょっとするような跡になっていた。
ウィズは長い間、声もなくそれを見ていた。
「ごめん、美久ちゃん」
ぽつりと、言葉を落とした。
「この傷は僕のせいだ。ごめん…」
やっぱり、ウィズはあの時見てたんだね。
あたしが部屋を出て行ったあと、どういう行動に出るのか心配で、ずっと伺ってたんだ。
どうやったらそうなるのかは判らないけど、魔術師の目は目の前にない物も見えるのだ。
だから、あたしが手首を切った時、近所にいたアフロに電話した。
あたしの記憶からアフロのことはもう盗んであったに違いない。
「あの火事の現場って、いろいろ調べたけどもう、この部屋しか思いつかないんだ。
試しに家具を出して見たら、やっぱりそっくりになった。
この部屋で火災が出れば、予言が実現したと言うことになる。
そのあと逃げおおせたら、回避できたということになる。
実現しないうちに逃げてしまったら、来年以降も繰り返さなきゃならないからこれは必須条件なんだ。
それ以外に方法が無いんだよ」
「あたしもあの部屋にいたのね?」
腕を放してもらって、あたしは改めてウィズの胸の中に戻った。
「あの床で燃えてた死体は、あたし?」
「このジャケットを着てた」
魔術師はあたしのジャケットの背中を撫でた。
「見たことない服だったから、安心してたのに」
「これ、バイト代が入ったから古着屋で買ったのよ。寒くて」
「燃えてたのが知らない服を着た女の子だと思ってたのに、美久ちゃんが着て入って来るんだもの」
「それであの時、大声出して驚いてたのね」
あたしはちょっと体を離し、ウィズの伏せたひとみを覗きこんだ。
「じゃあ、あたしも明日までここにいる運命なのよね?」
「ダメだよ、美久ちゃんは帰るんだ」
「それじゃ実現したかどうかわかんなくなるわよ?」
「でも」
頑固に拒否しようとするウィズに、あたしは顔を近づけた。
自分から唇を重ねて行った。
ジンマシンなんか引っ込めて見せる。
ひとりぼっちで死ぬ覚悟を決めてしまう、あたしの弱気な預言者。
1分でも長く生きるキモチを思い出して欲しい。
もし肉欲がそれを可能にするなら、あたしの体なんか跡形もなく食い尽くされてもいい。
あたしはあたしの唇で、ウィズの弱気を吸い出しにかかった。