サイハという女はいったい何者なんだ?
まったく、とんでもない誤解をされてしまったものだ。
結局セレットたちの思い込みは解けそうもなかったので、諦めて酒場を出、別の心当たりに向かうことにした。
第2の心当たり。それは探索者編成所だ。
すべての探索者のデータを管理をしているこの施設なら、サイハのデータだってきっとある。
1階にあるのでまた好奇の視線にさらされることになるが、目的のためには我慢するしかない。
探索者編成所の雰囲気は一言で言うなら役所だろうか。
いくつかの窓口があり、番号札を配る人がいて、長椅子があって、壁際には書類を書くための机とペンが据えられている。
そのうちのひとつの窓口に向かう。探索者の検索と照合を担当している窓口だ。
「はーい! 探索者編成所です! どなたをお探しでしょう!?」
窓口に向かうと、尖り耳の女性が明るい営業スマイルで調書を取り出す。
「サイハっていう名前の女性で……たぶん、ベルベニ族」
「はいはい、サイハさん……ベルベニ族ね。ランクはわかりますか?」
ランクとは探索者のランクだ。
この塔をどれほど踏破したかで探索者としてのランクが上がる。一度も探索に出たことのない新人はランク0、そこから踏破状況に応じてランク1、ランク2と増えていく。
そして、ランクが高いほど強く賢く素晴らしい探索者だとみなされる
簡単に言えば、下層攻略中はランク1、中層攻略中はランク2、上層に至ればランク3だ。
それ以上は設定されていない。それ以上登った者がいないからだ。
コウヤは上層にたどり着いたので、一応はランク3に分類される。
サイハも、あの武具の発動の瞬間に垣間見えた魔力からランク3のはずだ。
「ランク3……一応別のランクでも検索をかけますね」
それでは少々お待ちを、と番号札を渡される。呼び出しがあるまで待機だ。
適当な長椅子を見つけてそこに座る。周囲の喧騒はできるだけ聞き流しておく。やましいことなどないのだから堂々としておけばいいのだ。
「大変さぁ」
「……誰?」
ふと、コウヤの横に男が座った。長い前髪とニット帽のせいで表情は見えない。飾り気のないシンプルなタンクトップとざっくりとしたブーツカットのカーゴパンツ。
コウヤが元いた世界の服装によく似ている。ということは同郷か。この世界で一般的とされる格好をせず、元いた世界の服装を続ける人間はたまにいる。
「俺っちは……あー……俗には黒衣さぁ」
「……はぁ」
名前を聞いているのではなく身分を聞いているのだが。いや、名前を教えてくれるのはありがたいが。
黒い衣と書いて黒衣か。確かにその黒ずくめの格好は黒衣の男と称するにふさわしい。
しかしそんな名前だとは、ますます同郷くさい。妙な親近感をおぼえてコウヤもまた自らの字を教える。煌々とした夜という意味の名を。
「……で、どちらさん?」
「スカベンジャーズ」
さらりと黒衣は答えた。
迷宮の掃除屋、スカベンジャーズ。
迷宮に横たわる探索者の死体や魔物の亡骸、捨てられた物品などを掃除し、片付ける役目を追う。
死体漁りの追い剥ぎと違って、探索者の埋葬もするし、遺品も申請があれば返却する。
町の住民に対してもそうだ。犯罪者の摘発、家の取り壊しや廃棄物の回収もスカベンジャーズの仕事である。
おどろおどろしい呼び名に反して、決して悪の存在ではないのだ。
そのスカベンジャーズがコウヤに接触してきた。
何のために。ふと、スカベンジャーズは犯罪者の摘発も担うということを思い出す。
まさか、あの冤罪のために自分は不当に裁かれるのだろうか。
「あぁ、違う違う」
思わず身構えたコウヤへ、黒衣はけたけたと笑う。
スカベンジャーズはきっちりと有罪と無罪を見分ける。万物を視る千里眼でもあるのかと言われるほど、的確に罪人を見つけ出す。冤罪など出しはしない。
「もし有罪ならとっくにしょっぴいてるさぁ」
スカベンジャーズが手を下さないというのは、つまりは無罪だということだ。裁く罪などないのだから当然。
だからコウヤに接触したのは本当にただの興味なのだ。そう言い、黒衣は両手を挙げた。
「噂の冤罪人がいたからちょっかいかけに……ってさぁ」
「なんだよそれ」
ちょっかいかけに来たなんて、わざわざ言うなんて。眉を寄せるコウヤに黒衣は笑う。
髪と帽子で隠れて見えないので口の形でしか表情がわからない。とても胡散臭い。
「記憶喪失のヤツを探してるって聞いてさぁ、俺っちもだいたいそうだから」
「だいたい?」
「俺っち、名無しなんさぁ」
孤児というやつだ。名前がない。記憶のどこを探しても名前らしいもので呼ばれたことはない。何かしらの番号だとか、そういったものすらも。
それ、とか、あれ、とか指示語でしか呼ばれたことがない。元の世界では無名と名乗っていたが、それも名前ではなく便宜的な呼称だ。
この世界に召喚されてもなお、それは変わらない。名無しの黒衣の男としか。
それゆえに、記憶喪失の女を探しているというコウヤのことに興味を持った。
名無しの自分と記憶喪失の女。親近感がある。ぜひとも一言二言くらいは言葉を交わしたいものだ。
「もし見つけたら連絡してほしいさぁ」
窓のそばに赤い紐で束ねたイラクサの枝を置いてくれ。それを目印にどこにだって現れよう。
そう言い残し、黒衣は長椅子から立ち上がった。ひらりと雑踏の中へと消えていく。
「……なんだったんだ……?」
胡散臭い男だった。スカベンジャーズは個人に肩入れしないのがルールだと聞いているのだが、こんな真似していいのだろうか。
「番号札56番さんー!!」
「あ、はぁい!」
検索が終わったらしい。黒衣のことは記憶のすみにしまって窓口へと向かった。
***
「え、いない?」
窓口で告げられた検索結果は驚くべきものだった。
コウヤが提示した条件の探索者はいないというのだ。ランク3ではなかったのかとランクの絞り込みを減らし、ベルベニ族ではないのかもしれないと検索条件を除外してもだ。
サイハという名前だけで検索をかけても何もデータが出なかった。
「でも……間違いなく……」
「えぇ。ですから、編成所で登録している名前と名乗っている名前が違うのかもしれません」
何らかの事情で偽名を名乗っているのかもしれない。そう窓口の職員が補足した。
それなら検索にかからないのも納得だ。だとするなら、編成所としては探す手立てがない。
記憶喪失かどうかなんて編成所のデータには記録されていないし、『ベルベニ族の女』というだけでは何百人ものデータが当てはまる。
お役所仕事で申し訳ないが、それが編成所というものなのだから仕方ない。
「別のところをあたってください。人探しが得意な人を紹介しましょうか?」
「あぁ……一応は……」
「はい。では少々お待ちを」
淡々と事務手続きが進められていくのを見守りながら、コウヤは胸に湧いた疑問を反芻する。
サイハという女はいったい何者なんだ?