終焉を叫ぶ深淵のメタノイア
『それ』は、あまりにもおぞましいものだった。
基本の形はヒトの上半身に似ている。頭らしき突起があり、胴らしき塊から手らしきものが生えている。
それが人間の形といえない理由は、手らしきものが頭らしき突起の真下にあることだ。人間の身体でいえば、顎から両腕が生えている。
ふたつの手らしきものの間には口らしき空洞があり、唇のように淵が盛り上がっている。そこから舌をだらりと垂らすように、眼球で埋め尽くされた触手が生えている。
その手らしきものだって手の形をしていない。根本を肩と仮定した場合、肘にあたるだろう関節があり、その先に手首にあたる関節と指にあたる関節があるというだけで。
関節から関節までの長さの比率もヒトのものとは違う。ヒトのものならば肩と肘、肘と手首の長さは等しいはず。だが"それ"の肩らしき関節から肘らしき関節までの距離は異様に長く、肘らしき関節から手首らしき関節までの距離は短い。
そして頭らしき突起には顔らしきものはなく、つるりとした表面に縦に裂けた瞼があり、眼球がある。目だけでヒトの身丈を3人ぶんほど越える。眉も睫毛もない。
その赤い瞳孔は上下左右に激しく動き回り、まるで無限に跳ね続ける玉のようだった。
胴らしき塊の背中にあたる部分には翼が存在している。存在はしてはいるものの、よく見ればその表面を覆っているのは羽毛ではなくヒトの手だ。腕が連なり絡み合い、翼の形をなしている。
あまりにもおぞましい怪物。しかもそれはまるで生物が呼吸するようにわずかに上下している。
「これが破壊神メタノイア。美しく醜い神殺しの怪物さ」
「これ……が……」
怖い。恐ろしい。おぞましい。
世界に存在するあらゆる『よくないもの』を煮詰めたかのよう。
緊張した面持ちで固唾を飲んでそれを見上げる。目を逸らしたい。なのに、目が逸らせない。視線を動かすことすら困難なほどの恐怖の具現がそこにある。
「……なんでここにいるんさぁ?」
その緊張を破ったのは、気の抜けた声だった。特徴的な口調は黒衣の男のものだ。
気の抜けた声がコウヤから緊張と恐怖を引き剥がす。視線を向ければ、相変わらずのだらけた服装で片手を挙げる黒衣の姿があった。
気安い態度だが、その楽天的な雰囲気の裏には警戒がにじんでいる。なぜ、スカベンジャーズでもない人間がここにいる。完全帰還者がどうして。そういう警戒心だ。
まだ他のスカベンジャーズは気付いていない。目の前のおぞましいものから目を逸らしてはいけないという緊張と恐怖から他に目を向ける余裕がない。だが、黒衣が侵入者の存在を大声で叫べば全員が気付くだろう。
「僕は塔の守護者さ。これは役目の一環。そう警戒しないでおくれよ」
警戒する黒衣に対し、ネツァーラグはやれやれと言いたげに肩を竦める。
怪しいものではないと身分を明かし、目的を述べる。ルール違反でも咎められることでもないと添えた。
「ただの見学さ。ひと目、アレを見に来ただけ」
コウヤにあれがどんなものか見せたかっただけだ。こうして見せたので、もう目的は達成された。
何をするでもない。あとは帰るだけだ。黒衣に見つかってしまったのは偶然の不幸な事故。黙っていてくれと黙秘を頼むほどでもない些細な用事だ。この後で自分たちの存在を報告しようがしなかろうがどちらでも構わないほど、負い目も悪意もないことだ。
そう言い、ネツァーラグは守護者の権限で転移魔法を発動する。
「えっ、おい、急すぎ……!!」
強制転移、とコウヤだけを図書館へと転送する。あとにはネツァーラグと黒衣だけが残された。
「……なんでついていかなかったんさ」
「仲間でもない人間にいつまでも同行するほど暇でもないんでね」
守護者として忙しいのだ。運命の縦糸と横糸が交わって織り重なって、やっと模様が見えてきたところ。編み目の飛びや歪みがないか丁寧に調べていく仕事がある。
いつまでもコウヤと破壊者の画策に付き合っていられるか。彼らがルール違反をしない限り関わることもないだろう。その無様を嘲りに顔を出す時はあるかもしれないが。
「僕としては君のほうが興味深いのさ。『リグラヴェーダ』に目をつけられながらも、願いを持たなかった君をね」
願いを持たなかったというのは語弊がある。この世界に召喚された以上、何らかの願いがあったのは間違いない。
この世界で、願いを諦めたのだ。そして探索者をやめ、スカベンジャーズに身をやつした。
そうなった理由はなんだろうか。知ってしまったからだ。書架に保管されている真実以上のものを、書架にたどり着くより先にその洞察力と推察力で悟ってしまったから。
この先に希望はないと知ってしまった。
「僕と君は同類ということさ。探求のあまり、知りたくないものまで知ってしまった者同士」
「嬉しくねぇさぁ」
ぽりぽりと頭を掻く。ネツァーラグの言っていることは間違いではない。的中している。
この先に希望はないと悟ったからこそ心が折れた。さりとて絶望のあまり自殺する度胸も、世界を壊すほどの憎悪もなく、嘲笑するほど開き直れずにここにいる。
「僕もそのへんの話を進めるのは本意じゃない。あらかじめ知らせておきたいことがあるのさ」
塔の守護者として、スカベンジャーズに。個人ではなく立場を踏まえての話だ。
ほう、と黒衣がネツァーラグを見る。世界のシステム側という立場からの知らせなら聞こうじゃないか。
「本物の『仲間殺し』が出るよ。……いや、もう出た後かもしれないね」




