氷の領域、集約された意味の果て
「そう。君の存在理由などそんなものさ」
これだけ長い前置きの末に得たものだ。ネツァーラグは嘲笑するようにコウヤを振り返る。
呆気なく、無価値で、無意味。部屋の隅の埃のほうがまだ価値がある。
コウヤから伝染してくる感情はひどく荒れ狂っている。混乱し、絶望している。
驚きのあまり置き去りにした感情が理解に追いついて一気に揺り戻しがきた。その感触を味わいながら、ネツァーラグはうっそりと笑う。あぁ、やはり人が絶望に落ちる瞬間はたまらない。何度も繰り返されるつまらない演劇で唯一面白いと思える部分だ。
「だからこそ、アタシは世界を壊したいんだ。……わかるだろ?」
同調してくれるよな。理解ではなく共感を求めて、リーゼロッテが問いかける。
世界のろくでもなさは見せた。絶望を感じているのも伝わってくる。それでは、それを踏まえてコウヤはどうするのか。
自分の役割を理解し、駒の範疇を諒解して役に徹するのか。それとも異を唱え、反逆するのか。役におさまるか、逸脱するか。その選択を問う。
「アンタが敵に回るってんなら……今ここで殺す」
「彼はファウンデーションだよ?」
「知ってるさ」
コウヤが役におさまって筋書き通りに頂上を目指すというのなら、ここで殺す。
だがコウヤはファウンデーションだ。筋書きの主人公に定められた者。『殺されてはならない』というタグがある。
それゆえにネツァーラグがコウヤを守るだろう。どちらも完全帰還者、そして塔の守護者と破壊者の激突だ。激戦は必至。何も準備がなければ一度撤退せざるをえなくなる。決着は着かず、結果としてコウヤは『殺されない』。因果通りに。
それを悟ってもなおリーゼロッテはコウヤに問いかける。お前はどちらの味方だと。
***
意味は集約する。かつて師匠が言った言葉だ。
万物には必ず何かしらの意味があり、その意味が集まって新たな意味を生み出す。縦糸と横糸を織り重ねれば美しい模様ができるように。
だから自分に紐付けられた意味が凄惨で絶望的なものだとしても嘆くことはない。錆びついたナイフは果物を切れないかもしれないが、人を刺すにはまだ十分なのだから。
「意味を否定したい時はどうしたら?」
自分に紐付けられた意味を知った時、自分はこんなものじゃないと泣き叫ぶ時があるかもしれない。
人を刺すための刃物ではなく果物を切るための刃物がよかったと。そうすれば命を奪う行為ではなく、食事を作るという人を生かす行為ができただろうに。後者がよかったと嘆いてしまった時はいったい。
自分の意味はそれしかないのだからと受け入れるしかないのだろうか。
コウヤの問いに、そうねぇ、と師匠は顎に手を当てた。新品には劣るが錆びついた刃物でも果物は切れなくはない。それを言うと適正の話にすり替わってしまうので答えとしては不適切だろう。
自分自身に与えられた意味も踏まえて答えるならば。
「そうねぇ、意味は変えられないわ」
錆びついた刃物は錆びついた刃物であり、他の何者にもなれない。できることといえば人を刺すくらいだ。錆を落として研げばいくらかましにはなるだろうが、結局新品には劣る。
意味は変えられない。役割は変えられない。自分だって、どう足掻こうとも『リグラヴェーダ』なのだ。ただの女として振る舞うには只人から逸脱しすぎている。
「だけど、駄々をこねるくらいはしてもいいと思うわよ」
もう十分なのに出荷を先送りにしている自分のように。どうにかできる範疇の中で足掻いているうちに何か別の使い道が現れるかもしれないじゃないか。
「命短し足掻けよ人間。昔に姉が言っていた言葉だけれどね」
***
――それが俺の意味というのなら。
自分勝手で傲慢で高慢な神々に押し付けられた意味がそれというのなら。
ここに立っている意味がそれというのなら。生まれてから今日までの日々の意味がそれというのなら。
「……ふざけるな……」
ふざけるな。何の権利があって弄ぶんだ。
それが善意であり真摯なものであるならまだ受け入れられた。だがそこにあるのは、高みから見下すような憐憫だ。哀れな人間を救済してやるという傲慢。
力のないものを助けてやった自分はなんと立派なのだろうという自己満足だ。そのための踏み台にされているのだ。
そんなこと、とうてい受け入れられはしない。自己満足のための踏み台になどなってやるものか。神の玩具のままでいてやるものか。
「リーゼロッテ」
「あ? なんだよ」
「世界なんてぶっ壊してやろうぜ」
こんな世界などぶち壊してやる。




