樹の領域、それが実になる前に
どうやって止める。いや、止めなくていい。
樹の精霊がリーゼロッテを相手取っているのなら、それに任せればいいのだ。
「まったく、他人任せっていうことになるのは情けないけどさ!」
状況を見、わかったことがいくつかある。
樹の精霊はコウヤを直接狙いにいかない。狙うにしても消極的だ。ファウンデーションに手を出すことはルールに抵触するかもしれないということを懸念して積極的になれない。
精霊の攻撃はリーゼロッテの破壊衝動を煽り、破壊者の本能に薪をくべることに注がれている。
煽りすぎた結果、精霊たちも防戦一方だ。コウヤをどさくさに紛れて殺すため、リーゼロッテの攻撃を誘導する余裕もほとんどない。
コウヤも、そして熾烈な殺意に誘われてやってきたネツァーラグもほとんど蚊帳の外だ。
その状態で割り込むことは無理だ。ネツァーラグの助力があっても。塔の守護者の強権で強引に割り入ったとしても、今度はその過激さに煽られてネツァーラグまで理性を手放しかねない。
そうなれば理性を失った完全帰還者ふたりの暴走が始まる。絶対に止められないだろうし、最終手段として『全消去』が行われるだろう。
だったら止めなければいい。このままリーゼロッテと樹の精霊たちを争わせる。その間に自分だけが階段を駆け上り、書架へとたどり着けばいい。
書架には真実があるという。真実に触れたコウヤと接触するため、サイハは必ず訪れるはずだ。
そして、サイハにリーゼロッテを止めさせる。巫女の権能を用いれば強制的に動きを封じることが可能なのは以前にやってもらった通りだ。
サイハだって、リーゼロッテが荒れ狂い、破壊を撒き散らす姿を晒すことを望んではない。暴走状態にあると知れば協力してもらえるだろう。
ひどいことをしてしまうが、今はその優しさにつけこませてもらう。
「後で殴られるんじゃないかい?」
「覚悟の上!」
それで事態がおさまり、目的が果たせるなら悪役になろう。
幸いにも、39階への階段は蔦で塞がれていない。樹の精霊たちはそこまで気を回す余裕がない。コウヤが階段に向かって走ったとしても、それを止めることは無理だろう。リーゼロッテがそんな猶予など与えるものか。
「まったく……まぁいいさ。面白そうだ。手伝ってあげよう」
書架まで護衛してやろう。真実の導き手を担ってやろうじゃないか。
完全帰還者。すべてをみたひと。本来の役割はそうだったのだから。舞台の狂言回しに戻るのも悪くない。
「ありがと!」
言うが早いか駆け出す。
階段への距離はさほどでもない。全力で駆けて滑り込む。階段を1段でも登りさえすれば、そこはもう樹の領域の外だ。階段では絶対に戦闘は起こらないというルール上、手出しはできない。ルールを管理する塔の守護者の目の前ならなおさら。
「ア! ダメ、行ッチャウ!」
「逃ガサナインダカラ!」
コウヤが動き出したことに気付いた樹の精霊が、それを阻むために蔦を生やす。
しかしそれは、リーゼロッテが一瞬で引きちぎった。新芽のように青々とした蔦を踏み、にぃ、と笑う。
「リーゼロッテ、ごめん!」
謝罪は置いていくことに対しての。そしてこのあとサイハの情を利用することに対しての。
その背中へ言い残し、階段へと駆け込む。その背中に蔦が追いすがってくる。絶対に逃してはなるものかと道を阻む。しかしあと一歩のところまで迫ったところで、ぎりぎりで階段に滑り込んだ。
「行ッチャッタ! 行ッチャッタ!!」
「ドウシマショウ!」
精霊たちは顔を見合わせる。ここで必ず仕留めなければならなかったのに。
このままでは不都合なことを知ってしまう。それは困る。真実には、知っていいことと悪いことがあるのだ。
困った。非常に困った。このままではファウンデーションが敵に回ってしまうかもしれない。後顧の憂いを断つために片付けてしまおうと思っていたのに。
ここで逃げられると、独断で先走ってしまったのが他の精霊たちにばれてしまう。そうしたら何を言われるか。
「ドウヤッタラフォローデキルカシラ……?」
「……ネェ、トコロデ破壊者ハドコ行ッタノ?」
予定と違ったために慌てて緊急会議を開いてしまったが、破壊者がさっきから静かだ。
こんなふうに長々と相談していても攻撃のこの字もない。あら、と見渡してもどこにも破壊者の影はない。
「ウソ、先行ッチャッタ!?」
まさか67代目を追いかけて行ったのか。世界の終末装置としての破壊の本能は精霊よりも探索者に向きやすい。だから追いかけて行ってしまうのも不思議ではない。
だがしかし、目の前のものを手当り次第壊すような状態でそんな判断ができるだろうか。獲物の選別が行えないくらい、煽って煽って煽ったのに。煽りすぎて防戦一方となってしまうほど。
67代目を殺してくれるのならそれはそれで作戦通りになるのでいいのだが。いやしかし。
***
楽しい。楽しい。破壊というものはこれほどまでに楽しいものだったのか。
「ひゃははっ」
笑いが止まらない。楽しい。楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい。
この衝動に身を任せ、目に映るすべてを壊すのはとても楽しい。これ以上ないくらい心地の良いものだ。
蔦も精霊も人間も世界も何も壊してやる。アイツを悲しませるものはすべて壊してやる。
「サイハに止めさせる」
――ふと、そんな言葉が聞こえた。
対峙させるというのか。アイツを。アタシに。
冗談じゃない。誰だふざけたことを抜かした馬鹿野郎は。首をめぐらせれば発言者がそこにいた。
許されない。許さない。アイツをこれ以上苦しめるな。許さない。許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない――そこでふと、炎に冷や水が投げ込まれた。
あれはファウンデーションだ。世界が選んだ主人公。
あれだけは殺してはならない。忌まわしきタグ付けが理性を揺り戻す。
そうだ。あれは殺してはならない。あれは、アタシがこの週で最後にするために選んだ一手。
殺してはならない。死んではならない。ファウンデーションに課せられたタグがそうであるなら、コイツは絶対に最後まで生き残る。だったらやりやすいじゃないかと選び出したのに。
そう。こんなことをしている場合ではない。アイツを書架に連れていくことが優先事項だ。
精霊相手に破壊を撒き散らし、愉悦に浸っているなんてとんだ寄り道だ。何かのはずみで逸れた一撃がアイツの首を飛ばしていたらどうなることだったか。
――それはそれとして、一発殴る。




