土の領域、いつかの足跡
「サイハだってさぁ、最初は……」
この世界に召喚されたばかりの時、頂上には何があるのか予想しあって話したことがある。
どんな願いを叶えたいか、どんな望みがあるのか。リーゼロッテは行き詰まった世界を打破する方法を求めていたが、サイハは違った。
「旅をする、って言ってたんだよ。アイツ」
サイハはベルベニ族だ。自由と奔放の風の民であり、旅を愛する。
一箇所にとどまることなく常にうつろい続ける風のように、定住せずに各地を転々とする。
その性分を持っているからこそ、彼女は旅をしたいと願った。
元の世界だって行き尽くしていないのだ。こんな塔の世界にとどまってはいられない。
頂上に行き着いてしまえば、この世界に未知はなく既知しかない。探究心と好奇心が満たされることはない。
だから頂上に至った暁には、この世界を離れてどこかを旅したい。サイハが元いた世界でもいいし、リーゼロッテがいた世界でも、誰がいた世界でも。とにかく未知の中に飛び込みたい。
そう言っていたのに。
この世界の真実に触れるうちにその願いは叶えられないと悟ってしまった。そして、願いは別のものにすり替わった。
「そう言ってたのになぁ……」
成程。コウヤは納得した。
サイハが巫女の地位にいるのはそういう経緯があったのか。
浄罪の名のもとに苦痛を負わされる仲間に同情し、その苦痛を肩代わりしたいと願った。巫女の役割は自分がやる。苦痛を肩代わりする。だから巫女を自由にしてくれと。
もはや世界に旅立てない自分の代わりに、彼女を新たな世界に旅立たせてやってくれと。
そうして巫女の役割をいただき、その役割を忠実にこなす理由も納得した。
自分がやらなければ、前任者が呼び出されるかもしれない。なにせ役目を拒否した罰として役目を完遂させることを強いた世界だ。できないとサイハが言い出したのなら、前任者を呼び出して巫女に再就任させ、また苦痛を負わせることだってしかねない。
完全帰還者となったリーゼロッテを封印しようというのもそうだ。
封印している間は外界を関知しない。このろくでもない世界を見なくてもいいのだ。
どうしても世界が行き詰まり、『全消去』しなければならなくなってしまった時だけ彼女を起こす。破壊者としての役割をさせるための、ごく最低限の時間しか起こさない。この世界を見せない。
それはサイハなりの優しさなのだ。大事な仲間を守るための。
リーゼロッテだってそうだ。世界を壊すことで苦痛から解放しようとしている。
こんな世界などなくなってしまえば、サイハは感情を殺して役目をこなす必要もないし、もしできなかった時の予備として前任者が呼び出されてしまうこともない。
たぶん、ファウンデーションの1人だってそうだったはずだ。
前任の巫女がこれ以上苛まれることのないように、その『週』で終わりにしようとした。自分の犠牲でちょうど完遂できるようにした。
彼女自身が手を汚すのは最低限になるようにと、騙し討ちだろうと詐欺だろうと罵られようとも完遂の手順をはかった。
「だっていうのに……」
誰も彼も、大事な仲間を想ってのことだ。犠牲が避けられないのなら、自分が犠牲になると自ら飛び込んだ。
それなのに、どうして噛み合わないままここまで来てしまったのだろう。
***
黒衣が翻る。
「ういーっす、お久しぶりさぁ」
胡散臭い笑みを浮かべ、黒衣の彼は目的の人物のところまで歩き着く。
だらしなく着た黒のタンクトップとカーゴパンツ。その上からストールを首に巻く。緩くだらしなく、油断すれば影に溶けてしまいそうな。
「何の用?」
スカベンジャーズが図書館に来るなんて珍しいことだ。だからこそ自分が打って出るのだが。
まるで君臨する女王のごとく堂々と応接用のソファに座り、司書ヴェルダは来客を見た。夜闇すらその身に溶かしてしまいそうな漆黒のスカートの裾をさばいて足を組む。
「いやいや。ちょいと仕事のついでさぁ」
この世界ができてからすべての記録を集積するという図書館の司書ならば知っているかと思って訪ねてきたのだ。
そう言って、黒衣の男は本題を切り出す。
「思い出したのさ」
この世界に生きている人間は2種類ある。別の世界から召喚されてきたか、この世界で誕生したか。
そのうち前者は、元いた世界のことを忘れていることが多い。どんな世界だったとか大まかなことは覚えていても、細かなことは覚えていない。特に、この世界に召喚される直前までの記憶は。
だが何かのはずみで思い出すことはある。思い出した単語の意味を問うため、黒衣の男は図書館の司書に訊ねる。
「リグラヴェーダってのは何者だ?」
司書の呼び名であるヴェルダというのは愛称だ。元の名前はリグラヴェーダという。
そして、コウヤが元いた世界にいたという師もまた、リグラヴェーダという。
それだけならまだ偶然の一致で片付く。とんだ偶然もあったものだと片付けられる。
だが。
黒衣の男が思い出した元の世界の記憶。その中にもまた、リグラヴェーダと名乗る女性の姿があったのだ。
この世界と、コウヤがいた世界と、黒衣がいた世界。3つの世界に跨って同じ名前がある。これは偶然の一致で片付くことなのだろうか。
意味があるのか。あるはずだ。だって、彼女はその名の意味を最後まで教えてくれなかったのだから。
問われ、ヴェルダは赤毛に縁取られた青い目を閉じる。
リグラヴェーダ。その名は。その名の意味をここで開示していいのか。しばし悩み、口を開く。真実を秘密にしようとするあまり、口を凍らせてしまってはいけない。
「言ってしまえば、駒のマーキングよ」
この世界に召喚されるに必要な理由と資格がある。
いくつかあるうちのひとつは理不尽な運命や世界を打破したいと強く思う願いがあること。
そんな願いを持つ人間を探し出し、見つける。
そのための装置がリグラヴェーダと名乗る一族だ。真実を司る氷の神により、この世界のためにばらまかれた楔である。
彼女らは与えられた力と知識で、この世界に召喚されるにふさわしい人間を探し出す。見つけ、マーキングし、しかるべき時になったらこの世界に送り出す。
ヴェルダはその役目を外れてしまったのでこの世界に司書としてとどまっている。
「ただ、それだけ」
色々なジャンルの物語のキャラクターを持ち寄って、ひとつの集合世界に放り込む遊びがある。
その遊びの下準備として、本に貼った付箋がリグラヴェーダというものだ。台本の需要を満たすために配置される役割を果たせるかどうかを記すためのメモ。
だから『リグラヴェーダ』があらゆる世界に存在することは不思議ではない。
黒衣の知る『リグラヴェーダ』もそのうちのひとつだ。おそらく彼女は楔として黒衣をこの世界に送り出したのだろう。送り出された世界で、黒衣は探索者でなくスカベンジャーズになってしまったが。
「どんな物事でも意味があるって言ったのは荒区の姉だったかしら……」
ねぇ、ファムファタール?




