土の領域、無為な夢想に溺れる
実は起きてます。などと言えるはずもなく。コウヤは寝たふりを続けながらリーゼロッテとドラヴァキアの会話を聞いていた。
憎悪を核としていても、その衝動を撒き散らすことは少ない。リーゼロッテ曰く、この穏やかさはコウヤという理性的な人間がそばにいるからだと言っていたが、本人の気質もあるだろう。
乱暴と粗暴を形にしたような雰囲気だし口は悪いが、これが本来のリーゼロッテの性格なのだろう。
優しいからこそ仲間と認めた相手を思いやるし、敵対するものには容赦しない。誰よりも真っ先に相手に立ち向かい、その身を挺する。だからこそ、仲間に過酷な役割を負わせた世界を憎悪する。
「……へっくしょっ! …………あ」
石の床の底冷えがつらい。十二分に毛布を轢いてもなお冷える。
風通しのために外壁に開けられた窓から夜風が入り込んできて、ついくしゃみが飛び出した。
そのせいで、寝たふりがばれた。
「起きてたのかよ」
「…………ハイ」
起きてましたごめんなさい盗み聞きするつもりはなかったんです。
降参のつもりで両手を挙げて毛布から這い出て起き上がる。ばつの悪さからついつい正座までしてしまう。
「まぁいいけどよ」
盗み聞きされて困る話でもなし。両手を挙げて正座で縮こまるコウヤが面白かったのでそれで許すとしよう。
「あの……さっきの歌は?」
「ん? あぁ……あいつが歌ってたんだよ」
本人ほど上手くないけどな。苦笑をひとつ零す。
それきり会話が途切れた。沈黙が流れる。
土中に埋められたかのように重苦しい沈黙を破ったのはリーゼロッテの方だった。
「アンタは……頂上に登ったら、どうするつもりだった? 何を願うつもりだった?」
リーゼロッテが敗者復活戦とたとえるこの世界に召喚されるには、一つの条件がある。
それは『何かしらの強い願いを持っていること』だ。自身の力ではどうにもできない、それこそ世界がひっくり返らねば解決しないだろう願いや祈りだ。
探索を進め、この世界の真実に触れれば変容することもあるが、基本的に何らかの願いを抱いてこの世界に召喚されてくる。
ファウンデーションだろうが有象無象のモブだろうが、それは変わらない。
だからこそ気になるのだ。コウヤが抱いている願いの中身が。
塔に召喚されるほどの願いとは、いったい何だ。
「何でも叶えてくれるぜ? アタシが保障してやるよ」
この通り、頂上に至って願いを叶えて破壊者となった自分がいる。
『願いを叶える』というのは嘘や虚構ではない。願えば果たされるのだ。その解釈や方法が願った形でないだけで。
『全消去』やファウンデーションの存在。精霊の駒遊び。無限輪廻の箱庭。
色々と知ってしまった以上、召喚された当初のような願いを保持しているのだろうか。
それとも自分のように、願いの内容は変容したのだろうか。
リーゼロッテは世界を壊す。破壊者としての役割でもあるし、それが自分の願いだからだ。
壊れてしまえば頂上に至って願いを叶えるシステムも失われてしまう。
だからこそ、あえて問おう。コウヤの望みは何だったのか。
「……俺は、魔力持ちだったんだ」
コウヤのいた世界では、魔法というものは失われたものだった。
千年以上前に起きた『大崩壊』という災害により、それまでありふれたものであったはずの魔法は遺物になった。魔法を扱うための原動力である魔力も消え、人々に備わっていた魔力は消失した。
それでも時折、先祖返りのように魔力を持って生まれてくる人間がいる。
そしてそれは、何らかのはずみで魔法を顕現させる。魔力が暴発し、災害を引き起こす。
魔力が炸裂したことによる物理的衝撃。その後、拡散された魔力はその役割を果たし始める。すなわち、魔法の発露だ。
指標も対象もなく無作為に発動された魔法はあたりを蹂躙し、破壊する。
コウヤの場合、誕生と同時に魔力の暴発が起きた。
炸裂した魔力はあたり一面を吹き飛ばした。空気中に拡散した魔力が魔法を引き起こし、乱打される魔法は夜中だというのに昼のように煌々と明るく輝き続けた。煌夜という名の由来である。
「母親も死んだし……さ」
なにせ生まれ落ちたと同時の暴発だ。母親の顔も知らない。だが、コウヤが生まれた以上母親はいたのだ。
母の出産に立ち会うために父親がいたかもしれない。知人や友人が駆けつけていたのかもしれない。助産師や、それに関連する職の人が出産を助けるためにいたかもしれない。
それらをまとめてコウヤは吹っ飛ばしてしまったのだ。
それだけならまだよかった。だが、彼らにだって家族がいた。煌夜を免れた人々は愛する者の死を嘆き、そして原因を恨んだ。
コウヤは身を守るため、それらに対峙せざるをえなかった。中には事故や故意で殺してしまった人もいる。
生まれてからずっと屍の上だ。
「師匠も死んだ」
誕生と同時に魔力の暴発を起こしたコウヤを引き取り、赤子からずっと育ててくれた女性だ。
育ての親でもあり、師でもあった。養母と後見人と師匠と教師を兼ねた女性だった。
リグラヴェーダという名の彼女はコウヤに色々なことを教え導き、自立できるまでに育て上げた。
そして、コウヤが独り立ちできるようになった頃、彼女は飛び降りて死んだ。まるで、自分の役目は終わったので退場するのが当然だというように。
「それからはまぁ、色々とあったし……」
記憶が薄れて具体的なことは曖昧だが、とにかく苦労したという記憶はある。治安がよくないところだったので、そういったことにまつわる諸々だろう。
それから時間が流れ、場所まで変わってここにいる。
この世界に召喚され、後付けされた知識で塔の頂上にあるものを知った時、それならば、と願ったことがある。
「もし俺が魔力持ちでなかったら、って」
もし魔力持ちでなかったら。親がいて、師がいて、自分によって死ぬ人間は誰もいなくて。
誰も死ぬことなく殺すことなく過ごせていたのではないか。そう思うのだ。そう想像してしまったのだ。
「ありえない夢想だからこそ……ここなら叶うかも、なんて……さ」




