水の領域、沈黙の明鏡止水
自分たちは頂上候補だ。自分たちの力で道を切り開き、時折塔の巫女に導かれながらここまで来た。自分たちは間違いなく塔の頂上に至る最有力候補だと思っていた。
だが、その自負は36階で灰になった。矜持は一蹴され、焼き尽くされた。まったく何も取り合うことなく、取り付く島もなく追い返された。
ルッカだ。自分たちはルッカなのだ。そのプライドでここにとどまっている。
ここで負けを認め、すごすごと町に戻ってしまえば、もう二度と立ち上がれない。それがわかっているからこそ帰らないし帰れない。さりとて進めもしない。ここにとどまる水のように停滞してしまっている。
「巫女って……サイハに会ったのか?」
「うん。それが?」
自分たちは頂上候補だ。だから巫女が自分たちを導くのは当然。
至極当たり前のようにそう返し、真鉄はきょとんとした顔で瞬きを繰り返す。コウヤは不思議なことを言うものだ。
「サイハはなんて?」
「今は他が基準になっているけれど、いつか僕らが次の基準になるだろうって言われたよ。これって実力を認められているってことだろう?」
基準。その言葉で何となくサイハのやろうとしていることを察した。
コウヤは67代目のファウンデーションだ。もしコウヤが何らかの理由で探索者をやめた時、次代のファウンデーションが必要になる。その次代が真鉄たちというわけか。
次のファウンデーションの目星をつけ、必要であれば自分たちの側に取り込めるようにと。いわばコウヤの予備だ。
知らないって幸せだな。リーゼロッテが言語崩壊を起こしておらずまともに喋ることができたらそう言っていただろう。
喋れない代わりに憐れむ視線を真鉄に向け、リーゼロッテは顎をしゃくってコウヤを促す。
真鉄たちがファウンデーションの予備であるなら、足りないと言って追い返した理由はそれだ。予備なのだから予備らしくバトンが回ってくるまで大人しくしていろということ。
現ファウンデーションであるコウヤが折れない限り、彼らはこの先に進めはしない。もしコウヤが折れてファウンデーションの役割を遂行できなくなった時、しれっとサイハが塔の巫女として彼らを導き、36階へと通すのだろう。
真鉄たちに足りないのは役割。ファウンデーションでないから通れない。
であれば、ファウンデーションなら通れる。コウヤならまったく何一つ問題なく火の領域を通ることができる。
だったらここで足止めされる必要もない。さっさと先に進むべきだ。
興味をなくしたかのように真鉄たちから背を向けて、リーゼロッテは36階への階段へと足を向ける。
「あ、リーゼロッテ! ……ったく、さっさと行っちまうんだから……」
「僕らは気にせず。先に進むというならどうぞ」
この忠告を無視して先に進んでも結構。どうせ火神の眷属に焼かれて呪われて追い返されるだけだ。
そんな本音が透けて見える微笑みを浮かべて真鉄はコウヤとリーゼロッテへ手を振った。行ってらっしゃい。そしてプライドごと焼かれてしまうがいい。傲慢な本音を隠して2人を見送った。
***
後輩探索者が2人、上階へを向かった。
それを見送り、ぐるりと真鉄は首をめぐらせる。仲間が2人。そして、もうひとり。
「盗み聞きしてないで出てこればいいのに」
何をこそこそとしているのか。そう真鉄は物陰に問いかける。
物陰に隠れ気配を消して、さっきまでのやり取りを聞いていた人物がいる。上階に行った2人は気付いていなかったようだが。
そう、気付いていなかった。気付いていてあえて無視していたとかではなく。物陰にいた人物の存在には自分だけが気付いていた。やはり自分は優秀なルッカなのだ。
燃えたプライドを繕って、真鉄は再び物陰へと呼びかける。それでやっと物陰の人物が動いた。隠れていた物陰から立ち上がり、真鉄たちの前に進み出てくる。
「……別に、盗み聞きじゃないわ。出るタイミングを掴めなかっただけ」
ばつが悪そうにサイハが目を逸らす。この先の障害について忠告する真鉄の前に、その障害を司る塔の巫女が現れるのはよくないと思ったからだ。
やましいことがあるわけじゃない。そう言って、その件についての話を切り上げる。
サイハが物陰に隠れていた理由を説くよりもやらねばならぬことがある。巫女としてやるべきことをやるために真鉄たちの前に現れたのだから。
「あなたたちは間違いなくルッカよ。自信を持ってちょうだい」
以前にも言っていたことを繰り返し、焦げ付いた矜持を鼓舞する。せっかく育てた予備だ。こんなところで折れては困る。さりとて進んでも困る。予備はここで停滞して、出番が来るまで待機してもらわなければ。
「今は他の者がそうなだけで、いずれあなたが基準となるわ」
そう、いずれ真鉄が基準となる。
そうすればその時にはこの2人は削ぎ落とされる。ちょうどいい。火神の眷属に焼き殺させよう。そうすれば真鉄ひとりとなり、『ひとりの探索者が頂上に至る』という筋書きの主人公となれる。
彼らのこれからについては、67代目が氷の領域、魔女の書架で何を決意するかによる。
そこでファウンデーションの役割を自覚し、筋書きに沿って頂上に至ってくれればそれでよし。破壊者とは手を切ってもいいし、うまいこと騙すなり何なりして手綱を取ってくればいい。そのあたりは67代目に任せよう。
筋書きに沿った役割をきちんと遂行してくれるのなら、願いが何だろうと頂上に至るまでに何をしようと構わない。寄り道だって回り道だって許そう。世界は比較的寛容なのだ。
「当然だとも。僕は君を裏切らないよ。ルッカの名にかけて、頂上に至ろう」
「頼もしいわ、頑張ってちょうだい」
痛む胸を押し殺し、巫女らしく微笑んだ。
そう、筋書きに沿った役割を演じなければならない。本心がどうだろうと、役割を遂行しなければならない。
波立つ感情など、この水底に沈めてしまえ。




