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追放ソロ探索者俺、塔、登ります  作者: つくたん
神の領域に触れる
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水の領域、慈悲の水底

「う、わ……」


水中から起き上がった威容を見、コウヤは息を呑んだ。

青黒い鱗のように見えていたのは水の反射によるもので、その正体は虚ろな闇の影だった。


海竜の形をした帰還者は首をもたげてコウヤとリーゼロッテを睥睨する。


――あぁ、どうして進もうとするのか。これ以上は進んではならない。


――進むというのなら、この水底に沈めて夢に抱いてあげよう……!!


「危ない!」


声が割り込み、銀がひらめいた。何、とコウヤがそちらを振り返るより先に海竜は水中へと崩れ落ちる。水しぶきがあがった。

派手に巻き上がった水しぶきを上から抑え込むようにして赤い水が覆いかぶさり、そして赤い水は膜となり、凝固して蓋となる。


この間、わずか一瞬。理解が状況に追いつく頃には、コウヤとリーゼロッテを庇うように大男が立ち、横には刀を提げた優男と水面に手をかざす女がいた。女の手からは赤い液体が滝のように滴り、それが水面で固まって蓋となっているようだった。


「大丈夫かい?」

「えぇと……誰……?」


どうやら海竜から庇って守ってくれたようだが。

戸惑うコウヤと剣呑なリーゼロッテの誰何を受け、優男が刀を鞘に収めてから微笑む。


「僕は真鉄(まがね)。あっちの大きいのはトトラ、そして彼女がシシリー。……ほらふたりとも、挨拶して」

「……っす」

「どうも」

「ありがとう、俺はコウヤ、で、リーゼロッテだ」


名乗った彼らに応じてコウヤも自己紹介を述べる。言語崩壊でまともに喋ることができないリーゼロッテのぶんも合わせて名乗り、そして先程の礼も言う。


真鉄、トトラ、シシリー。彼らの容姿に見覚えがあり、聞き覚えがある。

コウヤがあらぬ疑いであれこれと振り回されている頃の話だ。彼らはまだ誰も至らぬ36階を目指して旅立った。彼らはこの世界の探索者の最先端であり最頂点だ。だからきっと頂上に至るだろうと有力視されており、その旅立ちには盛大な見送りがついた。

コウヤは自身のあらぬ疑いのことで東奔西走していたので彼らの見送りには立ち会わなかったのだが。


それは数十日も前のことだ。町と迷宮内では時間の流れが違っていることを考えても、自分は最先端に追いついてしまったのか。


「……あれは?」

「あれは……いつかの到達者だね」


海竜イルス・リヴァイアとなったいつかの到達者。その幻影だ。

世界を拒絶し、眠り続けていることを選んだ海竜は幻影にまでその思いが色濃く残ってしまった。

眠りたい。何も見たくない。その願いを反映した幻影はその通りに水底で眠り続けている。

眠ることで世界への不干渉を貫く海竜はそれはそれでよかったのだが、やがてそれは悪いものへと変わってしまった。


海竜の幻影が発する願いに同調して、水に飛び込んでしまった探索者がいた。

上層だ。おおよその世界の真実はつまびらかにされている。それを知り、迷いながらもなんとかここまで登ってきたが、その声に誘われてしまった。

そうして飛び込み死んでしまった探索者は感情だけをそこに残した。残った感情は海竜の幻影が抱く願いと混じり、より色濃いものへと変わる。


色濃くなった願いはさらなる探索者を呼び込み、さらに濃さを増していく。思いは何重にも塗り重ねられ、そして形となった。

その結果、生まれたのがあれだ。眠り続けたい願いを抱く海竜の幻影を核として生じた帰還者だ。

眠りたい、何も見たくない、立ち止まりたい。それゆえに、誰かを立ち止まらせる者。慈悲の手をもって、苦難に溺れた者の最後の一呼吸を奪う者。

もはや元の海竜の面影など、形くらいしかない。


「そうじゃなくて……いや、そっちもありがたいけど」


その解説もありがたいが、質問の対象はそちらではない。

あの水面を覆う赤い膜はなんだという話だ。見た感じ、シシリーという女性の武具の能力であることは間違いないだろうが。


「……私の異名を知らない?」

「異名……って、あ!」


彼女の異名。記憶を掘り返してやっと思い至る。

"黒血"のシシリルベル。ということは、あの赤い膜の正体は血か。

おそらくは血を操る能力の武具なのだろう。血が凝固する性質を利用し、堅い蓋を作った。簡単に言うなら巨大なかさぶただ。


「理解が早くて助かるわ。……それで、あなたたちはたった2人?」


たった2人だけとは。ちらりとシシリーがリーゼロッテとコウヤを見る。

パーティは基本的に4人1組だ。1人欠けてしまっている自分たちが言うことではないが、それにしても2人だけとはあまりにも心もとない。


「他人の事情にあまり首を突っ込むものじゃないさ、シシリー」

「……わかってるわ。ただの雑談よ」


ぷいとそっぽを向いて会話を打ち切る。すっかり機嫌を損ねてしまったようだ。


「すまないね。お節介かもしれないけど、心配なのさ」


すまないと彼女の非礼を詫びてから、真鉄はコウヤから視線を滑らせる。その視線の先には36階への上り階段がある。

何の障害もないただの階段だ。だが、それを登りきった先には。


「36階は火の領域。生半可なものでは通れない。……僕らでもだ」


真鉄たちが長い時間ここにとどまっている理由はそれだ。

この先は生半可な探索者では通れない。36階はこれまで数々の探索者が死に、心折れた階層だ。

お節介だろうが、この先に進むのなら先達の注意を聞いてほしい。


「トトラ」

「……あぁ」


見せてやれよと真鉄が促す。頷き、トトラが外套で隠れていた右腕を見せる。

業火で焼かれて炭になったかのように、黒く焦げたような色に染まっている。そしてその腕は動いていない。まだかろうじてヒトの肌の色をしている肩は動くのだが、肘も手首も曲がることはなく、指も固まっている。


「それは……」

「呪われたのさ」


36階に踏み込んだ瞬間に焼かれて呪われた。代わりに答えたのは真鉄だった。

36階には火の領域であり、火神の眷属がいる。それは炎そのものであり、熱そのものだった。過激を象徴する火の属性をそのまま写し取ったかのように、眷属はトトラの右腕を焼いて呪った。


「通るに足るなら通す、が、足りぬなら呪って通さない。そう言ってね」


必死に回避してなんとかトトラの右腕だけで済んだという話ではない。火神の眷属は狙ってトトラの右腕だけを焼いた。

これは警告なのだ。通るに足りぬ者が不用意に立ち入ればこうなるという。


トトラがこれまで話に入ってこなかったのは、入る余裕がなかったのだ。

焼かれて呪われた腕は動くことはなく、熱でじりじりと炙られているかのような感覚で苛んでくる。

痛い辛い苦しいと悶えるほどではなく、しかし平然としていられないほどの絶妙な苦痛だ。いっそ狂ってしまえたらいいのに、そうなりきれない。正気と狂気の境目の、ぎりぎり正気側に無理矢理繋ぎ止められているかのよう。


「足りない、と言うけど何が足りないのか……」


足りないと言うがいったい何が足りないのか。力か、精神か、それとも別の何かか。明鏡止水に問うても答えはなく、途方に暮れてただ時間ばかりが過ぎていく。


「……僕らは、ルッカなのに……」

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