引きずり出せばいいんだよ
中層、物見塔へと向かう。時刻は昼で、往来はさかんだ。
雑踏を縫って物見塔への道すがら、不意にリーゼロッテが何かを思い出したように声を上げた。
「そういやお前、精霊除けの香って持ってなかったか?」
「持ってるけど……」
「あれ使えば……あ、無理か」
あれを使えば障害を取り除けないだろうか。
そう考えて、はたと気付く。あれで障害を取り除くのは無理だ。
あの香は精霊を除けるためのものであって、精霊が設置した障害やら何やらには効かない。
階段を塞ぐあの蔦と蔓が精霊そのものであるなら香を投げつければ排除できるが、あの蔦と蔓はただの植物だ。香など意味はない。
「いや、悪い。無理だ」
「答える前にひとりで納得するなよ」
確かにそのとおりではあるのだが、コウヤが答える前に自分で答えにたどり着いて納得されても。
話を振られた側はどうすればいいのか。きまりが悪いったらありゃしない。
「悪かったって。ほら、物見塔だぞ」
歩きながら会話している間に着いてしまった。
白い石で作られた物見塔へと入る。樫の板の扉を開け、中に入る。通りの喧騒とうってかわって物見塔の中は静かだ。風が通るようにと開け放たれた窓から風が囁き、水盤にたたえられた水がせせらぐ。
「いらっしゃい」
物見塔に入ると、ようこそとイルートが微笑んで出迎えた。
コウヤに軽く会釈をし、そしてはたとイルートの視線がリーゼロッテで止まる。
「失礼ですが……どこかでお会いになりましたでしょうか?」
「あ? 『初めて』だよ」
『今週』では。言葉を飲み込んでそれだけを返す。
あとの会話はコウヤに任せよう。だいぶ持ち直してきたものの、いつ言語崩壊が起きるかわからない。今の会話だって崩壊を起こさずに言えたことを褒めたいくらいだ。
「それで、今日はどのような御用でしょう?」
「それが……」
コウヤは精霊郷であったことを話す。かいつまんで、精霊が先に進む階段を塞いだという事実だけ。
精霊と人間の仲立ちをするのが精霊の守護者であるイルートの役目だ。彼女ならば、階段を塞いだ精霊を宥めて障害を取り除いてくれるのではないだろうか。そう思って頼りに来たのだ。
「そうですか……精霊がそのような……」
ふむ、とイルートは唸る。
精霊がそのようなことをするとはとうてい信じられない。
探索者は塔を登り、頂上に至る。そのシステムは絶対だ。その行為を中心に世界は形作られている。
つまり、世界のシステムを担う精霊にとって、探索者には塔に登ってもらわねば困るのだ。早くしろと急かすために誘導することはあるが、進むなと妨害することはありえない。それは役目に反する。
その役目を曲げてまで妨害しなければならない事態というのも思いつかない。
よほど精霊の逆鱗に触れたか、あるいはコウヤがとんでもない不正をはたらいているか。
だがコウヤがそんなことをするとは思えない。だからこそ原因がわからない。
「私が仲立ちをするのは難しいかもしれません」
道理を曲げてまで阻まなければならないほど、精霊側に何らかの事情があるのだろう。
だとしたら第三者であるイルートが介入しても事態の解決は難しいだろう。
精霊とコウヤの間で対話し、原因を特定して解決しなければ。イルートの介入は事態を引っ掻き回して複雑にする結果になってしまうだろう。
イルートが精霊郷に赴いて精霊を説得するのは不可能。他の策を考えるべきだろう。
ではどうしようか。思考を走らせるイルートの視界の端に何かが横切った。
「アラ、イルート! ムズカシイ顔シテルノネ、ドウシタノ?」
ひらり、と窓から金色の光が飛び込んできた。くるくると回って本棚の上にとまったそれは、風の精霊であった。
自由と奔放を愛する精霊は精霊峠から町まで遊びに来たようだ。その様子からして精霊郷であったことは知らないようだ。それでも本棚の上からコウヤを見、リーゼロッテを見、状況はおおよそ理解できたようだった。
「樹神ノ子ガ悪イコトシテルノ? ショウガナイ子ネェ」
どんな理由であれ、探索者の進行を阻むことはルール違反だというのに。
それについては後で精霊間で叱りつけておくとして。樹の精霊が張った妨害の除去の方法だ。
破壊者にそれを教えるのは癪だが、樹の精霊がルール違反をなしたペナルティとして甘受しよう。
「精霊ノ誰カニ抜ケ道ヲ作ッテモラウノハドウ?」
「抜け道?」
「壁ハ樹ノモノダカラ……氷、火トカネ」
氷の力で凍らせて粉砕する、あるいは燃やして灰にしてしまう。そのどちらかなら蔦と蔓の壁に有効だろう。
風の力で風化させてもいいが、風の精霊にそれを協力する義理も義務もないのでやらない。
「氷の精霊……」
と、いえば。思い当たるのがいる。
ネツァーラグだ。彼の連れている氷の精霊。確か名前はネージュといったか。あれならこちらに味方してくれるのではないだろうか。
完全帰還者について回っているほどだ。そのあたりの精霊よりはずっとこちらの立場に立ってくれるだろう。
「あん? アイツ呼べばいいのか?」
「え、呼べるの?」
「まぁちょっとした方法でな」
このまま町に滞在して、わざと『帰還者は町に現れない』というルールを破ってネツァーラグを呼び出すのもいいが、それよりも手っ取り早くやれる方法がある。
イルートの前では憚る話だ。場所を変えるぞとリーゼロッテは顎をしゃくる。コウヤが答えるより先にさっさと物見塔をあとにする。
「あ、どこ行く……ったく、ひとの話を聞けって……」
「私のことはお気にせず。行ってらっしゃいませ、よい探索を」
***
人通りのない裏路地まで行き、さて、と話の本題を切り出す。
「で、方法って?」
イルートの前では憚る話だと言っていたから、おそらくは完全帰還者由来の何かだろうが。
いったいなんだろうか。そもそも帰還者の特性などろくに知らない。どんな能力があり、そしてそれはリーゼロッテ固有のものなのか、帰還者共通のものなのかさえ。
「帰還者がどうやって迷宮を歩いてるかわかるか?」
「え?」
迷宮探索中に帰還者に出くわすことはたまにある。幽霊か妖怪か物の怪の類に遭ったような気分でやりすごしたり逃げたりとする。
帰還者は絶対に倒すことができない。あれは感情の影であり、影は祓うことができない。だから逃げるかやりすごすかしなければいけない。
しかしそうやったとしても、ふとした次の瞬間にはまた目の前にいたりする。階を移動して振り切ったと思ってもだ。
帰還者は武具を持っているわけでもないし、当然迷宮内の転移装置も使えない。
それでも移動した探索者にぴったりついてこられるということは、自在に迷宮内を移動しているのだ。
「帰還者は基本的に好き勝手に迷宮内を移動できるんだよ」
『初の帰還者との遭遇』というテーマが設けられている10階に生息するダレカは別だ。
あれは帰還者の中でも格下で、存在が淡い。だから帰還者としての能力も満足に持っていない。ただ虚ろにさまよい、手近な人間を影に引き込んで仲間にするだけだ。
中層以上に出没する帰還者はしっかりと帰還者としての性質がそなわっている。
だから壁どころか階すらも関係なく自由に移動し、出現する。壁をすり抜けて最短距離で移動ができるのだ。
その帰還者の中でも特別な完全帰還者はその能力がさらに強化される。
「まぁつまり、迷宮内においては自由に転移できるってワケだ」
つまりリーゼロッテがひとりで転移し、ネツァーラグを連れて戻ってこればいいわけだ。
リーゼロッテが急にやってくるなりついてこいと言ったとしても、ネツァーラグは無下にはしないだろう。あれはこの手のことを面白がる性格だし、なにより探索者の行く手を塞ぐという精霊の挙動は『エラー』だ。エラーの修正のため、塔の守護者として動かねばならない。リーゼロッテの誘導を断らないはずだ。
「図書館で落ち合おうぜ。適当に応接室を頼む」
「わかった」
話は決まった。早速行動しよう。リーゼロッテはくるりと踵を返す。そのまま闇に呑まれるようにいずこかへと消えていってしまった。
彼女が戻ってくるまでに図書館の一室をおさえておかねば。図書館の窓口に行けば快く貸してくれるだろう。コウヤもまた、図書館がある下層への転移装置へ向かって歩き始めた。




