精霊、驚天動地の大騒ぎ
33階。精霊郷。
32階から続く階段を登りきると、目の前には広々とした花畑があった。
まるごと1階層の壁を取り払い、そこに花畑を広げたかのよう。外周の壁はツタで目隠しがなされており、中央には大きな樹が生えている。
精霊や妖精といった不思議な存在が暮らす場所と言われて連想する幻想的な光景をそのまま抽出したような風景だ。
そしてその花畑を金色の光が飛び交っている。光は精霊が自らの姿を隠すために用いる魔法の副作用だ。
存在そのものを秘匿するのではなく、そこにいるということは表明しつつも自らの姿は晒さない。そういった目隠しの魔法で精霊はその体を金色の光で覆っている。
「キャァ!」
「破壊者ダワ、ヤダ!」
「完全帰還者!!」
リーゼロッテを認めた精霊たちが騒ぎ出す。心底驚き、混乱している。
その様子からはリーゼロッテが完全帰還者になったことは知っていても、コウヤと行動を共にしていることについては知らないようだった。
今それを知って大騒ぎで大慌てというわけだ。
「どけ羽虫ども」
「精霊ニ翅ハナイワヨ!」
精霊と聞いて思い浮かべる容姿のように、背中に薄羽は生えていないのだ。
混乱のあまり律儀に言い返してしまった。ソウジャナクテ、と自分でツッコミを入れていささか冷静に戻る。
「ダメヨ! コノ先ニ進ンジャダメ!」
石壁の迷宮がないぶん、34階へ続く階段は丸見えだ。
少し距離はあるものの地理的な障害はない。ただ花畑を真っ直ぐ突っ切っていけばいいだけだ。
障害物がない。だからこそまずいのだ。簡単に進めてしまう。
そして相手は完全帰還者となった破壊者。精霊などでは蹴散らされてしまうだろう。
塔の維持者という権限を持ち出して妨害するのがせいぜいだ。
だからこうする。樹の精霊は叫ぶように自らの権能を解放する。
「蔦ヨ、蔓ヨ、阻ミナサイ!」
叫び、34階への階段の入り口を蔦と蔓で覆う。
ここから先へは絶対に進ませてはならない。今その段階はまずい。
破壊者が世界を壊すことはどうでもいい。それもまた世界のサイクルのひとつだ。だがファウンデーションが真実をつまびらかにするのは避けなければならない。
破壊者により、ファウンデーションは世界のシステムに不信を持っている。真実を知ればその不信は確信に変わってしまうだろう。
だから巫女を介して肯定的な情報だけを与えているというのに。先に進まれてしまってはその計画も台無しだ。
この世界がいかに素晴らしく効率的な箱庭なのかを、駒の皆々には信じてもらわなければ都合が悪い。
「そんなんで足止めか? その根性は買ってやる」
破壊者を前に妨害などと。その根性は買おう。だが心根はいただけない。
笑って見下し、リーゼロッテは刃に変形させた右手を振るう。階段を塞ぐ蔓も蔦も一刀のもとに両断する。
「ダメヨ、ダメッタラ……!!」
行かせない。行かせない。樹の精霊は悲痛に叫ぶ。
そんな筋書きから離れた行動など許すものか。駒は駒らしく、整然と整った世界で正しい動きだけをしていればいいのだ。
だというのに歯向かうなどと。許さない。許してはならない。だから行かせない。
樹の属性は希望と束縛を司る。
地面を割って芽生える新芽を希望の象徴とする反面、地中で絡む根を束縛の象徴とする。
拘束。束縛。足止め。妨害。それらの行為はすべて樹の属性の領分である。
よって、樹の精霊がそう定めたのなら、万物を阻むことができるのだ。
どんなものでも。たとえそれが万物を切り裂く破壊者が相手だとしても。
「行カセナイワ……絶対ニ!」
「行ッチャダメ、ダメナノヨ!」
「うるせぇ」
邪魔だ。吐き捨てたリーゼロッテが刃の手を振るう。蔦と蔓を両断するが、すぐにまた生えてくる。
斬る。生える。斬る。生える。斬る。生える。斬る。生える。斬る。生える。斬る。生える。
数度繰り返してリーゼロッテは違和感に気付く。蔦と蔓が少しずつ頑強になっていっている。
成程。何が起きているか察して攻撃の手を止める。これ以上は無駄だ。この障害は絶対に破れない。
植物というものは本能として、傷つけられればより丈夫に成長する。その特性でもって、少しずつ蔦と蔓の壁を頑強に組み上げていったのだろう。麦踏みの要領だ。
何度も切り裂かれた蔦と蔓は、生半可な刀剣ではもはや刃を食い込ませることもできないほどに頑強なものへと変わっていた。
このまま続けていれば、蔦と蔓の防御力がリーゼロッテの攻撃力をいずれ上回る。
破壊者という規格外の攻撃力をもってしても破れないものへと成り果ててしまう。
物理的排除は不可能だ。別の方法を探すべきだろう。悟り、リーゼロッテは腕を刃からヒトのものへと戻す。
そのことはコウヤも理解したようで、リーゼロッテ、と彼女に呼びかける。
「リーゼロッテ、いったん帰ろう」
「? ……おう」
リーゼロッテとしては精霊を締め上げるつもりだったのだが、どうやらコウヤは何かの手段を思いついたようだ。
案があるならそれに従おう。素直に引き下がり、精霊郷をあとにするコウヤへとついていく。
引き返してどうするつもりだろう。考えているうちに32階まで下り、近くの転移装置へと向かっていく。
迷宮から町への一方通行の転移装置だ。ということは町に戻るつもりか。
「中層の町に戻……って、大丈夫なのか?」
「うん?」
「ほら、リーゼロッテって……」
彼女が町に降り立っても問題ないのだろうか。
リーゼロッテは完全帰還者だ。そんなリーゼロッテが町に現れれば、『帰還者は町に現れない』という絶対のルールに反してしまうのでは。
サイハが巫女の権限でリーゼロッテを町に強制召喚した時、そのルール違反を咎めてネツァーラグがわざわざ出向いてきたではないか。
リーゼロッテが町にいることを『エラー』とみなされてしまったら、ネツァーラグと対峙してしまうかもしれない。
そのあたりの諸々は問題ないのか。
コウヤの質問を聞き、リーゼロッテはやっと気がついたような顔をしていた。
「あぁ、そうか……そういやそうだったな」
「今気付いたのかよ」
「ま、問題ねぇだろ」
確かにそれは『エラー』だが、ネツァーラグは出てこないだろう。
ネツァーラグもまたコウヤが真実に触れることを望んでいる。だから障害を取り除くために町に降り立つことをぎりぎりまで見逃すはずだ。
やむを得ない事情で短時間だけならお目こぼしももらえよう。もらえなかったらその時はその時だ。
そういうわけで。雑に結論づけて、かちん、と転移装置に触れた。




