この道を行くのは初めてだ。まだ知らぬ道だ
32階。
「そういや、リーゼロッテは上層に来たことはあるのか?」
「あ? いや……ねぇな」
リーゼロッテが探索者であった頃、31階の上が頂上だった。
31階には世界の真実を知り、うずくまってしまった者だけがいて、それに見送られて上を目指した。
だから上層探索という意味では未知の領域になる。
帰還者である頃はヒトの気配に引かれてどこにでも現れたので、それはカウント外にする。
「んじゃ、地図は俺の方が詳しいか」
ルイスたちに護衛されつつ腕試しに行った時のことを引き合いに出して、少し自慢げに胸を張る。
とはいえ33階への階段を見つけているわけでもないし図に書いたわけでもなく記憶頼りなのだが。
「おう、信用してるぜ」
戦力面は任せろ。なにせその気になれば世界を滅ぼせる完全帰還者だ。腕の一振りで1階層まるごと両断できるとお墨付きをもらっている。
単独でここまで歩んできたコウヤの弱点である戦力面の不足を十分に補うだろう。
「アタシのことは意思持つ武器だと思ってくれていい。死なねぇしな」
この体は魔力で構成されている。切られてもえぐられても血は出ない。体を両断されてもそこから再生する。実際に試したから間違いない。
たとえるなら、空気中に漂うわずかな水分を集め水蒸気に変え水に変え氷に凝縮したようなものだ。
「首切ったら胴体が融解して、首から下が生えてくるんだよ。化け物だろ?」
自分の不死性を試そうとネツァーラグに依頼したら真っ先に首を落としてきた。まったく容赦のないことだ。そのおかげで自分の肉体についての理解が進んだのでよしとする。
曰く、ネツァーラグ自身もそうであるらしい。これはリーゼロッテ個人の能力ではなく完全帰還者の特性だそうだ。意思があり自我があり実体を持ち、感覚や思考を有するなどヒトと同じ要素はあれど、実態はヒトではない。
毒を与えられれば治り、体を細切れにされても治り、病に侵されようとも治る。
健康で五体満足である状態へと常に修復されていく。自分が『こう』であると認識している形に自己修復される。どんな風にされようとも、必ず元に戻る。
『完全』に肉体が『かえってくる』。
そして魔力で構成されているがゆえに可変だ。空気中の水分を凝縮して作り上げた氷の形は容器によって変わるように、『こう』であると認識した形に変えられる。
自分の右手は刃物であったと意識すれば、手は刃に変じる。獣のように鋭い爪であったと意識すれば、そのように。
ざっくばらんに流した青くて長い髪と、威嚇するように切れ上がった目。リーゼロッテの容姿がこうであるのは、彼女が自分の姿を『こう』だと思っているからだ。人間であると思っているから人間の形をしている。獣であると思えば猛獣に変じるだろう。
「胸も尻も大きさは可変だぜ? 好きなサイズにしてやろうか?」
「んなっ!!」
自分の怪物性を聞き、なんとも言えない顔をしているコウヤに笑って茶化す。
真剣な話から一転してふざけた話題になった。落差に面食らうコウヤを笑う。
容姿がわかるものがあれば、好きな顔と体型にしてやると最後に付け足し、さて、と首を巡らせる。
話しながら歩いてきて、気付けば三叉路だ。交差点の中央には石畳を割って小さな花が生えている。
右か左か直進か。どっちだとコウヤに訊ねつつリーゼロッテは足を踏み出しかけ、刹那。
「っ……!!」
地面が盛り上がった。直後壁が地面から生えた。
否。それは壁ではない。ジャル・ヘディだ。交差点の中央に潜み、踏み出してきた間抜けな獲物を食らおうとしていたのだろう。
がちんと歯が噛み合わさる。その口にはリーゼロッテの脚が巻き込まれていた。左脚が噛みちぎられ、引きちぎられる。リーゼロッテの左膝から下が消えた。血は出なかった。
「リーゼロッテ!」
「焦んな、って……っ、さっき言ったろ」
焦るコウヤにうるさいと一喝し、リーゼロッテはジャル・ヘディを睨む。その間に左脚は衣服ごと再生していた。
これが完全帰還者だ。脚1本くらい即座に再生する。さぁ、ここから反撃だ。
「ぶち殺す」
再生したばかりの脚で踏み出す。しっかり踏ん張って腕を振りかぶり、固めた拳で鼻先を殴る。
ずがん、と殴打音が空気を震わせ、衝撃波さえ走った。頭部を覆っていた厚い甲殻が鼻先から砕ける。
もはやジャル・ヘディは顔面を潰されて半死半生だ。だがそれだけでは終わらない。意識が混濁し、噛み合わさった顎が緩んだ隙間にリーゼロッテが腕を突っ込む。上顎に手をかけ、そして下顎に片脚を乗せる。
そのまま、上下に引き裂いた。
薄紙を破るように容易く、肉と骨を引き剥がす。口から、上顎と下顎の境目を裂いていくように。頭から尻尾まで。一気に。一瞬で。
ぼたぼたと血が滴る。リーゼロッテは返り血を浴びて真っ赤に染まりながら2つ裂きにしたジャル・ヘディを放り捨てる。まさに破壊者と呼ぶにふさわしい。
「……こわ……」
「褒めんな、照れるだろ」
コウヤの呟きをしれっと言ってのける。
自慢気に軽口を叩くリーゼロッテからは返り血が消えている。あれだけ浴びたはずなのに。
これもまた完全帰還者の持つ自己修復能力なのだろう。『こう』と認識している形から外れたものである返り血は修正され消えたということだ。
「……って、そうじゃない。リーゼロッテ、左脚は?」
「あ? 大丈夫だよ」
「そうじゃなくて」
即座に再生することではなく。肉体でなく精神の話だ。
さっきリーゼロッテが言っていたことを反芻すると、感覚はヒトと同じだという。それはつまり、毒を与えられれば苦しいし傷を負えば痛いし病に侵されれば辛いということだ。
足の切断などという激痛を負って平気なのか。平然としているが、それは装っているのではないのか。コウヤが心配しているのはそこだ。
「ん? あぁ、クソ痛ぇよ」
だからこそ怒りを込めて2つ裂きにしたのだから。
大丈夫だ。痛みは慣れている。痛い痛いと泣きわめいて悶えないだけで。
もっと痛くて苦しいことがあるということを、リーゼロッテは知っている。




