幕間小話 いつか帰る日の懐古
すべてが収束する終息の塔で果ての夢を見る。
「果て……ねぇ」
階段を登りきった先にあった石碑を見てそんな感想を漏らす。
果て。終わり。この探索に終わりがあるとするなら、それは頂上に至った時だ。
「何があると思う?」
何の褒美が待っているかだ。単純な財宝か、それとも。
実際に到達せねば答え合わせはできないが、予想を聞いてみるくらいはいいだろう。
話を振られ、サイハは答えた。
「私はそうね、元の世界に帰る手段かしら」
旅を愛するベルベニ族の気性は一箇所にとどまることをあまり好まない。
塔を登るという未知の旅は面白く感じているが、踏破が終われば次に行きたい。元の世界だって、まだ行っていないところはあるのだ。
何なら元の世界でなくリーゼロッテの世界でも構わない。とにかく旅がしたい。踏破が終わってしまった塔の中にいつまでもいたくはないと、頂上に行き着いた自分はきっとそう思うだろう。
「あなたは?」
「あ?」
「頂上にある『いいこと』の内容よ」
聞き返すついでに威嚇するような言い方をやめればいいのに。
たしなめるサイハの言葉に肩を竦めつつ、リーゼロッテは答える。
「良いことねぇ……願いが叶うってんなら…………世界をブッ壊す」
「え」
物騒なことを言い放ったリーゼロッテに場の空気が凍った。世界を壊すとはいったい。
「あぁ……単なる破壊じゃねぇよ。そういう意味じゃねぇ」
退廃して発展のない世界をどうにかしたい。行き詰まってしまった世界を動かしたい。風穴を開けて風通しをよくしたい。そういう意味での破壊だ。
変革を望むなら、既存を壊すのが手っ取り早い。堰を壊せば水が流れるように。
流れた先が海だろうが滝壺だろうが、そんなことはリーゼロッテにはわからないし関知しない。
とにかく世界が動けばいい。転がった先が崖でも、転落することを受け入れよう。
――それはいつかあった日の懐古。
拒絶だけではいつか詰まる。否定し拒否しそして拒絶しきれなくなった時にどうするのか。
「たまには受け入れることも必要だぞぉ、寛容的にさぁ!」
「あ? 上から説教か?」
拒絶、拒否、否定。それだけでは立ち行かない。
『前』にしがみつくな。『今』を受け入れろ。
どんなに希おうとも、請い願おうとも、『前』に戻ることはできないのだ。
だからもう、目の前の現在を受け入れるしかないのだ。受け入れ、そしてそれに合わせて変化しなければならない。
――それはいつかあった日の懐古。
この世界は■■の魂を救済するためにある。
救済の名のもとに■んだ魂を箱庭に詰め込んだ。
「敗者復活戦かよ」
未練を残して■んだ魂を餌で釣って争わせるだなんて。
まるで敗者復活戦のようだ。リーゼロッテが吐き捨てる。
信じられないが、これは真実だ。
自分はこの世界に来る前、■んだのだ。おそらく惨たらしく、未練を残して。
心当たりはある。時折無意識にそのようなことを口走ったことがある。まるで自分が■んだことがあるような。
『汝が盾役であるのは、■■の罪ゆえにである』
『他人を切り捨ててきた汝には、その償いとして他者を守る枷を負う』
「はん」
本から浮き出てきた言葉を見、リーゼロッテは鼻で笑う。
この世界には脱落者だけでなく失格者も加えてくれるというのか。
なんと慈悲深い神であろうか。皮肉げに吐き捨てた。本当にこの世界はろくでもない。
――それはいつかあった日の懐古。
リーゼロッテは口端を吊り上げた。笑っていなければ正気を保てないくらいだ。
「要するにアタシらが■■■すればいいんだな?」
それでようやく願いが叶う。
この世界を壊すという願いを叶えるためにはその手順を踏まねばならない。
「……わかった、やってやるよ」
だとしたらそれを受け入れよう、とリーゼロッテは言った。
どうせ結末は変わらない。結末に至る過程が選べるだけだ。
だったら得をする方を選ぶ。物の話ではない。心の話だ。
本当にこの世界はろくでもない。
――それはいつかあった日の懐古。
「上から目線かよ」
神の意図のなんと傲慢なことだろう。リーゼロッテは吐き捨てる。
まるで神が上位で人間は下位のようではないか。否、そう確信して疑わないのだろう。
下位だから好き勝手に弄んでいいと思っているし、そうして翻弄された哀れな下等生物に慈悲を与えてやる優しさに酔うのだ。
そんな意識なら、こんな世界になるのは当然のことだ。
本当にこの世界はろくでもない。
――それはいつかあった日の懐古。
終わらせて。終わらせて終わらせて。終わらせて。
終焉を。終端を。成し遂げて。仕上げて。成し終えて。完了を。完成を。閉幕を。終結を。
何を?
***
帰還者も夢を見るのか。否。この身になったからだろうな。
自分の状態を思い返してリーゼロッテは目を開けた。
完全帰還者となったからだ。
憎しみという感情以外のものを思い出した。だから時間とともに置き去りになったものが帰ってきたのだ。
そう結論づけて眼下を見はるかす。憎々しい世界があった。
早くこんな世界終わらせなければ。
「どうだい、これが君が完全帰還者になってからの世界さ」
「わざわざ見せつけてくれてありがとうよ」
相変わらずろくでもない世界だった。
高慢な神の意図のもとに行われる敗者復活戦。望む答えを返すまで、何度も演算される計算式。
無限輪廻の箱庭はリーゼロッテが知る頃と何も変わらなかった。変わったことといえば多少駒が変わったくらいだ。
その変化が問題だ。
「……世界を旅するんじゃなかったのかよ」
お前がそこにいるなんて、聞いてない。
頂上に至り願いを叶え破壊者となり、それを知った時、驚愕が全身を突き抜けた。
世界を壊すと決めていたのに、その盤面の上にサイハが乗っているなんて。
この手で殺せというのか。1度ならまだいい。巫女という役割にいる以上、世界の再構築とともに再生され、舞台の上に再配置される。
それはつまり、サイハを殺したとしても、世界を壊しきれなければ再びそこに立ちはだかるということ。
世界を壊す試行の間に何度サイハを殺すことになるのだろう。無限輪廻の箱庭ならば、その答えは無限だ。十回も百回も千回も万回も億回も兆回も――リーゼロッテが成し遂げきるまで。
――拒絶だけではいつか詰まる。否定し拒否しそして拒絶しきれなくなった時にどうするのか。
それに耐えきれず、狂った。
憎しみに染まればそんなこと考えなくていいと思った。だから憎悪以外を置き去りにした。
自覚しなければ、『ない』ことだ。だからリーゼロッテは『なかったことにした』。
その足掻きさえ、こうしてネツァーラグによってあっさりと引き戻されてしまったのだが。
冷静になった今、思考する。
どんなに希おうとも、請い願おうとも、『前』に戻ることはできない。
だからもう、目の前の現在を受け入れるしかないのだ。受け入れ、そしてそれに合わせて変化しなければならない。
だとするならリーゼロッテはどうするべきか。
「……絶対に終わらせる」
盤面を壊すことで救済とするしかないのだ。
どうせ結末は変わらない。結末に至る過程が選べるだけだ。
だったら得をする方を選ぶ。物の話ではない。心の話だ。
きちんと壊しきれば、何ら問題はないのだ。




