影を手繰って、おかえりなさい
かつて2人は仲間だった。
同じ願いを持った2人は違う道を選んだ。
1人は世界を壊すことにした。1人は世界の歯車を交代した。
そうして連綿と世界は輪廻し続けて、今に至る。
「そろそろ思い出してきただろう?」
ネツァーラグは影へと向かって語りかける。ぞろりと影が動いた。
ヒトの形をした影はじっとネツァーラグを見つめている。顔はないのであくまで雰囲気だが。
返答はない。だが構わずネツァーラグは語り続ける。それはまるで、演劇の台詞の朗読のように。
「意思の残滓とでも言うべきかな? 君はかつての仲間を避けた」
同じ願いを持っていたはずなのに、違う道を選んだかつての仲間。
相反する存在となってしまったがゆえに顔を合わせることを避けた。
そうしていくうちに意思の残滓さえも消え、世界への憎悪のみが残ってしまった。
「だけど憎しみのまどろみから目を覚ます時だ、そうだろう、破壊者?」
僕の目的のために。そう言い、影の手を取る。
うつろな感情の影である帰還者は実体がない。だが、破壊者は違う。影に覆われてしまっているだけで、きちんとした実体を持っている。
憎悪の影ではなく、世界を壊すものとして。彼女は立派に存在しているのだ。
思い出せ。憎悪以外の感情を。情緒を。意思を。自我を。
世界を呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って、そうして無限輪廻の果てに憎悪しか残らなくなってしまった哀れなものよ。
まどろみの底から引き上げるように、そして奈落の底に落とすように。
ネツァーラグは破壊者へと呼びかけ、情動を呼び覚ます。
「起きなよ、■■■■■■」
***
願いがあった。
ろくでもない世界を呪った。理不尽な世界を恨んだ。
こんな神の箱庭など冗談じゃない。永遠に弄ばれるなんてごめんだ。
ただ気に入らなかった。それはどうしてだったのだろう。
自分のためではなかった気がする。誰かのためだった気がする。
理由など時間の中に置いてきてしまった。憎悪の理由など忘れてしまった。
だけど、ただひとつだけ確信している。
――この世界は間違っている。
間違いだらけだ。誤りしかない。
ひとつひとつ修正することすら難しいほどの出来損ないだ。
だから壊そう。完膚なきまでに破壊し尽くそう。
これ以上弄ばれることのないように。玩具にされないように。振り回されないように。
憎しみのまどろみから目を覚まし、組み込まれたレールから外れなくては。
おかえりなさい。
***
「は……っ」
水面から浮上して顔を上げるように息を吐く。次いで、窒息から解き放たれたように咳き込んだ。
長いこと水の中にいて、やっと引き上げられたような。そんな酩酊感を頭を振って振り払う。
「おかえり、そしておはよう」
呼びかけられた声の方角を見る。その人物の名前を記憶の中から掘り起こした。
銀の長い髪、白いローブの男。ネツァーラグ、と唇が動いた。
「やぁ、僕のことを君が忘れていなくて何よりだよ」
「……テメェ」
「おっと。同類同士仲良くしようじゃないか」
敵対するつもりはない。ネツァーラグは軽く両手を挙げて敵意がないことを示す。
その様子はどうやら本当のようだ。握りかけていた拳を解く。そうしながら、ネツァーラグの言葉の意味を反芻する。
同類とは何のことだ。意図を掴み損ねて問いかけることにした。
「そりゃぁ決まっているだろう、完全帰還者同士さ」
君は完全帰還者に成ったのだ。
それはどういうことだ、とさらに問おうとして、自分の体の変化に気づく。
明らかな違和感がある。正体はわからないが、『何か』が『違う』。
「完全帰還者……?」
「そう、僕と同じ。完全な自我を持ってある一時から帰還した者」
帰還者。あぁ、『後付けの知識』で思い出した。
記憶の最後の一点から現在までを推測し理解し、それでやっと今の自分の状況を把握した。
願いは受領され、そしてこの世界のシステムに沿う形で実現された。
世界を壊すという願いの結果、世界の終末装置として配置された。
そして長い時の間、無限輪廻の果てに憎悪の影となった自分をネツァーラグは呼び起こしたのだ。
そこまで飲み込んだところで疑問がわく。
「……アタシになんでそんなことしやがった?」
ネツァーラグと面識はある。だがそこまでしてもらうほどの義理も義務もないはずだ。
何が目的だ。剣呑に問うと、なんてことないさ、と肩を竦められた。
「僕は『今週』、守護者だからね。世界のエラーを修正する役割にある」
その役割に忠実に動いているだけだ。
本来、世界の終末装置は彼女ではない。彼女の願いを叶えるため、その役割をなすものが変わってしまった。
「『正しい』システムとして、『世界の終末装置』はあれでなければいけない」
だから修正するのだ。そうネツァーラグは言った。
彼女を破壊者から呼び覚まし、世界の終末装置の役割を元に戻す。
要するにただのエラーの修正であり、守護者の役目の一環なのだ。
「……それで何をするっていうんだよ」
「さぁ、秘密さ」
目的は果たした。これで密談は終わりだ。
邪魔が入らないようにと焚いていた精霊除けの香を消す。
そのままくるりと踵を返し、ネツァーラグは闇に消えた。
後にはただ、彼女だけが残された。




